世界で戦う和僑たち_re

奇跡の国・ルワンダがなぜ僕の人生を変えたのか

多くを与えられた人は、多くのことを期待される

2014/11/8

皆さんこんにちは、ドガです。前回の記事『アフリカで活動するということ』では、”真の国際協力”のあり方、について書き綴らせて頂きました。

今回はもう少し掘り下げて、ミクロレベルで今の僕を創り上げてくれたアフリカ・ルワンダでの活動とその思い、について話させて下さい。

直感とノリ

時は2012年8月末。大学入学前に1年置いて社会貢献活動や世界一周などの課外活動を行う「ギャップイヤー」を取得。日本に一時帰国していました。そんな中、僕はメンター的存在でもある、元リクルートで民間出身者としては初めて校長になられた藤原和博先生に薦められ、アフリカ・ルワンダでの教育NGO活動をすることになったのです。

藤原先生:「ドガ、お前は日本だと好きなことできないし叩かれるだろうし、本当に好きに暴れたいならアフリカ、ルワンダに行けばいい」

ドガ:「分かりました!」

(中略)

1ヶ月後、僕は日本から約24時間かけてルワンダの空港に降り立っていました。

実は、元々自分からルワンダに行きたいと言ったのではなく、なんにも考えず、藤原先生に「行きます!」と答え、ルワンダに成り行きで来たのです。最初は(笑)。

直感で、ルワンダに行けば日本ではできそうにないことができるかもしれない。そもそも国も大陸も文化も人も違う巨大市場アフリカでチャレンジしてみたかった、という思いが強かったのを今でも覚えています。

やりたいことが分からない、というのは多くの人が感じることだと思います。しかし、だからこそ目の前に転がって来たチャンス・機会を逃さないようにとりあえず「Yes」と言い続けると、自然と打数が増えます。そうすると、いくらスランプ、運が悪い人でも10分の1の確率でそれが安打に繋がっていくと思います。たまたま僕の場合はこの一安打が満塁ホームランになった、というだけで(笑)。ちょっとかっこよく言うと、「でもまだホームベースは踏んでない」と。

アフリカ=危険/紛争/貧困、ではない

皆さんは、アフリカ、「ルワンダ」と言われて何を思い浮かべるでしょうか?映画『ホテルルワンダ』でも描かれた、1994年4月6日のルワンダ大虐殺。東アフリカの小国ルワンダで、わずか100日間で約80万人以上もの人々が虐殺されました。僕がルワンダについて話をする時、ほとんどの人はこの惨事のことしか知りません。

それから20年。ルワンダは「奇跡の国」と呼ばれるほどの急激な発展を遂げました。あの大虐殺(ジェノサイド)は絶対に風化させてはならない事実ですが、ルワンダの現状を見ると、わずか20年前、この地で本当にジェノサイドが起きたとは到底信じがたいでしょう。

未だにアフリカ54カ国の多くは依然として大きな貧困層を抱え、先進国から巨額の援助を受け、紛争も絶えません。

しかし、アフリカは”国”ではありません。ルワンダは同じアフリカでありがながら、上記のアフリカのネガティブな状況とは明らかに違う状況にあります。人口の20%がわずか3カ月の間に殺されたというジェノサイドの悲劇から20年、近年のGDP成長率は年率8%を超え、治安も安定しており、夜中に町中を歩いても問題ないと言われています!

ボランティアの限界

僕がルワンダに2年滞在している間、何をしたか。ルワンダで非営利の教育支援活動と、地方と都市部の農民と市場とを繋げる営利のマッチング事業を国連と恊働で牽引してきました。

そもそも、最初はギャップイヤーで1年ほど教育NGOの活動をしていく予定でした。しかし、ルワンダに降り立って2カ月もすると、団体から支出される活動費も底をつき、僕自身もっと広い地域で活動していきたく、どうしてもさらなる資金が必要になりました。

そこでたまたま国連の職員の方と話をしていました。彼いわく、「都市部では、隣国コンゴ共和国から日々流れてくる難民の数が多過ぎ、難民キャンプで食糧が足りていない」と。その数日前、僕は地方で買い手が見つからない余った農作物が農村の前に積まれている光景を目の当たりにしていました。

ここから国連と一緒に、地方の余った農村から、これらの農作物を買い上げ、国連を通じて難民キャンプへ提供していきました。地方の農民たちはこれによって収入を得ることができ、国連は足りなかった難民への食糧を提供することができるようになりました。

ここで生まれた収益の一部を教育NGO活動へ回し、同農業事業も拡大させていきました。

世界には、売り上げ数十億円の「巨大NGO」なるものが存在します。巨大NGOの中には、教科書を売ったり、広告から収益を得る、などといったマネタイズモデルが確立されている団体が多くあります。だからこそ、一切、寄付に頼ることなく活動を広げていくことができています。

日本ではまだまだ寄付市場自体小さいのが現状です。だからこそ既存のリソースを活かしてビジネスとして当事者に与えるインパクトを最大化させるモデルが必要になってくると思います。

提携先農業組合長と

提携先の農業組合長と

ニッチなところで活動する

これは後から気付いたことですが、僕のルワンダでの活動は僭越ながら想像以上に多くの人に届いているように思えます。それは、単に僕のブランディングが“若い”ということだけかもしれませんが、フィールドが“ルワンダ”という日本人があまり少なく、一般のイメージが湧きにくい場所だったからなのかもしれません。

最近では、僕の仲の良い知り合いが、ソマリアでもない、未承認国家ソマリランドで「大学院を作る!」と言い出しました。今では大統領まで出てくる壮大プロジェクトとなり、注目を浴びています。

もちろん、そこでなんにもできないで終わってしまっては意味が無いのですが、先進国や他の知られた新興・途上国(インドやブラジルなど)で同じ活動をやっていたら話は違っていたのかもしれません。

そして、メディアの力も借りながら、農業事業は周辺4カ国に広がっていったのです。

期待は投資と同じ

僕は最近、「やりたいことをやって生きている」とよく言われます。

はい、そうです(笑)。しかし、それと同時に常に意識していることの1つに、タイトルにもある「多くを与えられた人は、多くのことを期待される」という思いが強くあります。先進国に生まれた以上、これまで培ってきた経験・知識・機会を社会に還元することが求められている、と。

小学校から続いてきたエスカレーターから飛び降りて和田中学校へ、中学2年生で単身渡英、またまたエスカレーターを降りて今度はインドやアフリカへ。

イギリス留学時は学費も日本の学校の数倍高く、かなり自由にやりたいことをやってきました。僕の連載記事に対するピッカーの皆さんのコメントを読んでいても、かなり期待されているように感じます(たぶん)。

世界は、私たちに期待する、限りない権利があると思うのです。

この期待をどう社会にリターン、還元していくのか。僕はその場所を途上国に選びました。ここだけはここ数十年変わらないでしょう。

こういう活動をする際に一番重視している指標、それはインパクトです。簡単に言うと、20億円稼ぐのか、20億人の生活を変えるのか。

この期待に対するROI(Return on Investment)は、後者、より大きなインパクトを与えることの方がきっと重要になってくる世界になる。そう僕は信じて日々、歩んでいます。

ありがとうございました!