2022/2/24

DX→QX。量子コンピュータは世界を最適化できるか

NewsPicks Brand Design / Senior Editor
 社会のスマート化によって端末の数も扱うデータ量も桁違いに増え続ける一方、従来の古典コンピュータの進歩は限界に達している。現在あらゆる領域で推進されるDXの先には、量子技術による新しいパラダイムシフトが必要になる。

 世界各国のテック企業が量子コンピュータのハードウェアやアルゴリズムの研究開発に挑むなか、いち早く「Quantum Transformation(量子技術を起点とした社会変革)」を掲げた事業開発をスタートさせたのが住友商事だ。

 彼らが取り組むQXは、世界に山積する複雑な課題を解き、サステナブルな社会を実現する突破口になるのか。産学をまたいで量子コンピューティングの啓蒙や実装に取り組んできた寺部雅能、スタートアップや大企業の新規事業のインキュベーションを手がけてきた蓮村俊彰の2人に聞く。
INDEX
  • DXの先にある「QX」とは?
  • アプリケーションを創出できるか
  • 量子コンピュータに何ができる?
  • 社会をクオンタム・レディに変えていく

DXの先にある「QX」とは?

── 量子コンピューティングといえば、GoogleやIBM、Microsoftなどが基礎研究に取り組む先端領域です。寺部さんはいち早くアプリケーション開発に取り組まれてきましたよね。
寺部雅能 はい。学生時代からテクノロジーで世界を変えたいという思いがあって。前職でハードウェアのエンジニアだった2015年ごろに量子コンピュータを知り、生産現場やモビリティなどの分野でどう活用できるのか、技術的な探索とアプリケーションの実証実験をいろいろとやってきました。
名古屋大学大学院工学研究科で量子工学を専攻。2007年にデンソーに入社し、モビリティサービスや生産現場のIoT化を推進。量子コンピューティングの社会実装分野で多くの実証、発信、知財創出を手がける。2020年に住友商事に入社し、量子コンピュータの社会実装領域の第一人者としてQXプロジェクトを推進。著書に『量子コンピュータが変える未来』(オーム社)。
 そうして試せば試すほど、量子コンピュータがより広い領域で世界を変えると確信するようになりました。それがどういう変化になるのか、世界で知られているのはまだほんの一部でしかないと考えていますが、だからこそ、幅広い事業フィールドを持つ住友商事が取り組む意義があります。
 現在、さまざまな領域でIoT化が進み、無数のセンサーでデータを取り、AIによる可視化と分析が行われています。でも、いまの世の中でDXと呼ばれているものは、ほぼそこで止まっているんです。つまり、可視化されたデータや予測結果を、人間が判断している。
── 人がボトルネックになっているということですか。
寺部 加えて、従来の古典コンピュータの限界でもあります。判断をコンピュータによって高度化していくためには、時に1兆通りを超えるような膨大な選択肢のなかから最適なものを瞬時に選ぶ必要があります。それを古典コンピュータで行うには、計算量が膨大すぎる。計算のスピードやコンピュータリソースに加え、排熱や消費エネルギーなどの問題もあります。
0か1かの情報しか持てない古典コンピュータに対して、量子コンピュータは0と1の両方の値を同時に持てる。この特性によって、複数の組み合わせのなかから最適解を探す際に必要な計算時間が少なくなると期待される。
 量子コンピュータは従来と違う原理を使って、その最適化問題を解くことに秀でています。将来、量子コンピュータが超高速に最適化を行ってくれる時代には、量子コンピュータでしか実現できないような新たなアプリケーションが登場し、社会を変えていくでしょう。
 私たちはこのパラダイムシフトを、DXの次の「QX」と定め、社内外のステークホルダーを巻き込んで事業開発と社会実装のエコシステムをつくろうとしています。

アプリケーションを創出できるか

蓮村俊彰 私は前職から国内のスタートアップ投資や新規事業のインキュベーションに携わってきましたが、日本はアナログからデジタルへのパラダイムシフトでは完全に後れを取ってしまいました。それ自体が悪いわけではありませんが、国内のテックビジネスの多くが欧米で成功したビジネスモデルを持ってくるタイムマシン経営となっています。
前職の電通では、日本初・最大のFinTech産業拠点FINOLABを立ち上げたほか、さまざまな企業や電通自身の新規事業構想・立ち上げに従事。2019年に住友商事入社。世界最大のハードウェアアクセラレータープログラム「HAX」の日本版「HAX Tokyo」を立ち上げ、新規事業開発者の企業の垣根を越えたエコシステム構築を推進。寺部と出会い、量子の可能性に触れQXプロジェクトを共に立ち上げた。
 DXという言葉を聞くようになったのはこの3〜4年だと思いますが、そのずっと前から日本のメディア・コンテンツビジネスをはじめ、多くの領域がディスラプトされていました。広告はGoogle、ECはAmazonというふうにキラーアプリケーションがすべてを押さえ、GAFAMの5社だけで日本の上場企業全体の時価総額を超えています。
 その点、量子コンピュータにはまだキラーアプリケーションが見つかっていません。ハードウェアでは投資規模で差をつけられていますが、クオンタム(量子)というまったく新しいパラダイムでどんなアプリケーションを生み出せるのか。さまざまなテック領域のなかでもQXの可能性は突出しています。
── そのアプリケーションの領域を、総合商社である住友商事が開拓していくんですね。
寺部 そうです。基礎研究からエンジニアリングへの過渡期にあるテクノロジーだからこそ、この段階で事業開発を進めておく必要があります。
 地下資源の採掘から宇宙ビジネスまで壮大なスケールのなかで幅広い事業を手がける住友商事が、単なる実証実験に終わらない「実業」を生み出すことで世の中を変革することを目指しています。
 テクノロジーは重要なピースではありますが、技術者的な発想だけでは世に出ていきません。産業や市場を整える人がいなければ、「技術はよかったけれど、事業で負けた」で終わってしまいます。
 私も技術者として、せっかく創り上げたいい技術を埋もれさせて悔しい思いをした経験が何度もあります。量子技術の可能性を信じ、ビジョンを描き、エコシステムを構築することで技術にとどまらない取り組みを広げていきたい。
蓮村 住友商事って、そういった技術を社会実装するために必要なものを集めるのが得意なんですよ。こういう事業を立ち上げたいと言えば共感するメンバーが集まり、外を走り回って実現する。
 ケーブルテレビのような社会インフラや、巨大スケールの都市開発など、たくさんの事業をゼロからつくり、黒字になるまで歯を食いしばって耐える、みたいな文化がある。この会社、このチームでQXに取り組めば、デジタルで遅れた分を巻き返せるんじゃないかとワクワクしています。

量子コンピュータに何ができる?

── 量子コンピュータの特徴についてうかがいたいんですが、量子ビットが0でもあり1でもあるというところで頭がフリーズしてしまうんです。
寺部 そうですよね。それを感覚的に理解できる人はいないかもしれません。
── ただ、先ほどおっしゃった組み合わせの最適化。たとえば渋滞を起こさないルートを選ぶのが、古典コンピュータには難しいことはわかりました。
寺部 そこが、現在のコンピューティングの障壁であり、量子コンピュータの実用化が大きく期待されている領域です。たとえば3パターンのルートを選択できる車が2台あったときに、それぞれが渋滞を起こさないルートを検証するには3の2乗(3×3)で9通りの計算が必要です。
 これが30台に増えると、3の30乗で200兆もの組み合わせを計算しなければなりません。街の渋滞解消を行うには車はたった30台ではありませんので、さらに膨大な組み合わせ計算が必要になります。
1台あたり3通りの経路候補から渋滞のない組み合わせを求めるには、10台で59,409通り、20台で3,486,784,401通り、30台では205,891,132,094,649通り……と、組み合わせは爆発的に増大する。
 スーパーコンピュータで長い時間かけて計算することはできますが、現実の交通状況をリアルタイムで処理するには、量子コンピュータのような非連続的な技術革新が不可欠です。
── 実用化に向けて現在はどの段階にあるのでしょうか。
寺部 実用化という言葉の定義にもよりますが、量子コンピュータならではのアプリケーションが生まれ、それによって世の中を大きく変えるまでには、まだ10年以上はかかるでしょう。
 ただ、量子コンピュータも急速に発展しています。量子コンピュータの理論や原理自体は数十年前からありますが、ここ数年でいくつかのハードウェアが登場したことで業界が盛り上がり、さまざまな企業や団体が参入しています。
 部分的にですが、現在の古典コンピュータでもできるけど、将来に備えて量子コンピュータで実用的なアプリケーションを実装してみるという話は、これから数年以内に出てくるはずです。
── 今の課題は?
寺部 量子計算にもいくつか種類があって、いずれも制御の難しい量子状態を保ちながら、いかに量子ビットを増やすかが課題です。
 私たちがおもに実証実験で扱っているのは、組み合わせ最適化問題を解くことに特化した「アニーリング方式」と呼ばれるマシンで、5000量子ビットを超える規模のハードウェアが実現されています。
 また、QXプロジェクトの発足と合わせて出資したイスラエルのクラシック社(Classiq Technologies)とは、より汎用的に使えるゲート方式の量子コンピュータ活用に取り組んでいます。このゲート方式のコンピュータはより広範なアプリケーションを扱えると期待されていますが、現在はまだ100量子ビット程度であり、用途も限定されています。
 ただ、量子コンピュータが扱える問題規模を示す重要な指標である量子ビット数は年々増え続けています。量子の世界は、1ビット増えるだけで原理的に倍の性能になります。nビット増えれば2のn乗倍です。あくまでも理論上ではありますが、指数関数的な速度向上が期待できます。そのときに向けて、アプリケーションを開発しているんです。

社会をクオンタム・レディに変えていく

蓮村 この先10年以内には普及するであろうエアモビリティが安全に航行できる管制シミュレーション、当社のグループの物流センターであるベルメゾンロジスコでの従業員の配置最適化など、すでに、いくつかの実証プロジェクトは動き出しています。
 これら以外にも、電力の需給最適化による再エネ普及促進や脱炭素の推進、サプライチェーンやマーケティングの高度化による食料や資源の廃棄削減など、量子コンピュータにはさまざまな期待があります。
 さらには、住友商事がベトナムの北ハノイで20年かけて取り組むスマートシティ開発にも、QXのコンセプトが生かされていきます。
── 20年先の未来であれば、量子コンピュータの性能も向上しているかもしれません。
蓮村 そうですよね。都市は、人々が代々暮らし続ける場所です。2022年現在の最先端テクノロジーを前提に設計してしまうと、都市が完成する20年後には陳腐化しているでしょう。
 これから先、社会がどう変わっていくのか。環境や暮らしをより豊かにするためには、どんなサービスやアプリケーションが求められるのか。きっと20年後は量子コンピュータが世に溢れる時代になるでしょうから、あらかじめその技術をインストールしやすい街をつくっておく。
 環境やエネルギー、モビリティ、ヘルスケア、コミュニティなど、ベトナムの行政や市民の皆さんとも話し合いながら、クオンタムレディ(Quantum ready)な街とはどんな街かを考えていきたいですね。
── Quantum Transformationというからには、今あるデジタルの延長だけでもいけないんですよね。
寺部 そうなんです。QXは、単にコンピュータの処理性能が向上するということではありません。これまでは処理できなかったような数の人やモノ、AIの動きを捉え、より一人ひとりにフィットした全体最適が可能になる。
 従来のソフトウェアとは異なる新しいアルゴリズムによって、社会や都市、産業の設計思想が変わる。渋滞や事故のない街、エネルギーや資源の無駄のない配分、多様なニーズに合わせた多品種少量生産も可能になるでしょう。
 その世界を思い描いて逆算することで、未来を創造できるのだと思います。
蓮村 「QX」というビジョンを打ち立てて発信したことで、住友商事グループの中からも外からも反響がありました。こういうプロジェクトに共感し、賛同するような仲間を見つけるには、こちらから探しにいくよりも、発信して見つけてもらうほうがよっぽど早い。出会いたいのは、アンテナを立てて自分から動く人たちですから。
 それに、世界最古の財閥と言われる住友の400年の歴史のなかでは、さまざまなパラダイムシフトがありました。その時々の時流を読み、先取りし、社会の要請に応え、新たな産業を創出し、雇用を生み出して人々の暮らしや営みを支えてきたことが、連綿と今に続いています。
 技術という手段に固執することなく、人々の生活を豊かにしていく視点で長期の取り組みができる。アナログからデジタル、そしてその先のクオンタム・トランスフォーメーションへの取り組みはまさに、住友商事が掲げる「Enriching lives and the world」そのものだと思います。