「自己肯定感が低い人」ほど苦手な人が多い理由
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自己肯定感については高すぎても低すぎてもどちらも…の記事がでていますが、無理に高めようとせずに自然体で高められるところまであげられるのならそれが一番幸せなことなのかなと思います。そして自分の思い込みの眼鏡ごしに見る他の人の世界をやめようとしても、もともと鈍感力ある方や、気にしないといいきれる強い信念がうまれたらできると思いますが、なかなか難しいものですね。ただ、自分越しで見ている眼鏡から、実際の物理的なフィードバックを他人からそして多様性ある様々な人からもらうことで、自分の気づきえなかった強みに気づくということはあります。無意識にやっていたことが人よりも優れていることに気がつくことができれば、少しずつこの自分の思い込み眼鏡から、外れることができるのではと思います。
フィードバックも、あえてポジティブなフィードバックをお互いに交換し合うそんな組織であれば、強みに気がつくことができるチャンスがありますね。〈自己肯定感が低い人ほど「承認欲求」がある〉というのはそのとおりですね。
私も二十歳くらいまでは、自分への自信の無さから他人の評価が気になって仕方が無かったです。
多くの人は年齢とともに様々な人間関係を経験して悟って来るものと思うんですが、実際は他人の目への執着から脱却できぬままの人も少なくない。
ベストセラーにもなった「嫌われる勇気」でいう所の「他者の課題」。これは自分ではコントロールできない領域です。
そこにエネルギーを注ぐのでは無く、自分でコントロール可能な「自己の課題」に注いだ方が良いです。本文を何回か読み返して、ようやくタイトルの意味がわかりました。
これって結局、自分も他人も信用していないってコトですよね。
劣等感が思い込みなら、優越感も思い込みなんですよ。「できる」と思ってやってもできなくて、自分よりも劣っている人と比べて、私はアンタと違う、アンタに私の気持ちがわかるハズがないって言っちゃうんですよ。「できない」と思っていても何かのキッカケでやっちゃったらできちゃって頼られるんだけど、プレッシャーになっちゃったりってコトもあるじゃないですか。碇シンジとかアスカとか、そこに中性の綾波がいる。
カミナをアニキと慕っていたシモンに言ったのが、「お前を信じるオレを信じろ」こういうのが好きですね。アニメの話ですが。
あ、両方ともガイナックスだったね。