2021/12/8

100年企業のマインドチェンジ。“顧客起点”で始めた新規事業創出とは

NewsPicks / Brand Design  編集者、クリエイティブディレクター
 多くの大企業が新規事業を重点テーマに掲げる一方で、現実に事業化を果たし、成功できているケースは決して多くはない。
 全社を挙げて推進しているはずなのに、社内の承認の壁に直面したり、思うように顧客が集まらないまま撤退に至ったりする失敗はなぜ起きるのだろうか?

 100年を超える歴史を持つ大手食品メーカーのキッコーマン。日本の味である醤油を武器にグローバル展開に成功し、成長分野である海外事業での売上や利益はすでに国内を上回る。
 多くの日本企業が抱える“市場縮小”という危機感とは無縁に思われる同社が、どのようにして新規事業に取り組んでいるのか。

 同社の新規事業チャレンジ制度「K2」(以下 K2プロジェクト)事務局を率いる茂木潤一と、プロジェクトをサポートするAlphaDriveの古川央士に、老舗企業が挑む新規事業創出のリアルについて聞いた。

業績堅調企業の新規事業創出プロジェクト。勝機はあるか

──キッコーマンの新規事業創出の取り組みについて教えてください。
茂木 江戸時代からの醤油づくりをルーツとする当社は、国内事業の多角化や国際化に挑み続けてきた経緯があり、それこそ本業が新規ビジネスであり続けたような会社です。
 今でこそ、醤油は欧米の食卓で広く受け入れられていますが、海外進出当時は未知の調味料であった醤油を浸透させるには長い年月と苦労がありました。
 こうした苦難を乗り越えて、現在も他の地域でチャレンジを続けています。
 一方、主力事業以外の新規事業創出に向けた社内アイデア募集制度は以前から実施してきましたが、残念ながらそこから誕生し今も継続している事業はありません。かつては会社の成長が主な目的だったのでしょうが、今当社が強く意識しているのは「不確実性の壁」です。
 コロナ禍でも明らかになりましたが、主力事業の業績や成長性の程度に関係なく、不確実性の壁にぶつかることはあるものです。
 こうしたときに、現在の事業以外でも当社が社会に求められ、貢献できる手段を広げていくことが、最も重要な経営課題のひとつであると考えています。
──多くの企業では、少子高齢化による市場縮小や競争の激化といった危機感を持って、新規事業創出に取り組んでいます。海外事業が順調に成長しているキッコーマンでは、なかなかこうした危機感を持ちにくいのではないでしょうか。
古川 順調に成長している企業で、不確実性の危機感を持ってもらえるかは、不安がありました。今回、新規事業創出プロジェクトをリニューアルすることになり、それを機にAlphaDriveがサポートすることになりましたが、この点は当初から最も議論した点のひとつです。
茂木 新しい新規事業チャレンジ制度を設計するにあたって、社内でたくさんのヒアリングを重ねました。過去に選考を通過できなかった人や通過したけれどうまくいかなかった人、そして何より今後応募するつもりがないと答えた人にも、丁寧に話を聞いていきました。
 このヒアリングを通して、リニューアルで重視すべき3つのポイントが浮かび上がってきました。その第1が、社員の意識改革です。
 当社はメーカーなのでどうしても技術起点、プロダクト起点の考え方に偏りがちです。このこと自体は悪いことではありませんが、より実効性を高め、結果を出すために顧客の課題やニーズから考える「顧客起点」という新しい視点から始めてもらうことにしました。
 また、本来は会社の業績が順調であることと、新規事業に取り組むことはまったく矛盾しませんが、改めて新規事業に取り組む意義を浸透させることにも力を注ぎました。
プロジェクト名の「K2」は、過去と未来の2つのキッコーマン(K)を掛け合わせるという意味に加え、世界で最も登るのが難しい山とされるK2にもちなんでいる。「新規事業創出は困難の連続だが、登り切ってほしい」という願いを込めた
古川 そこでAlphaDriveがご提案したのは、なるべく多くの顧客に話を聞くことで、「誰の」「どんな課題を」「なぜ自分が」解決したいのかという“WILL(意思)”を明確にすることです。
 多くの顧客にあたるほどWILLは強化され、取り組むべき顧客課題も絞り込まれていきます。何より、後の段階になってから「実はそれほどニーズがなかった」という失敗を防ぐことができます。
 決して技術起点やソリューション起点が悪いわけではないのですが、顧客起点はほとんど費用をかけずに並行してたくさん走らせることが可能です。
 時間やコストを抑えながら新規事業を育てていくリーンスタートアップに、最も適した方法の1つなのです。
 社員の皆さんには、新規事業そのものの意義や顧客起点のアプローチとその重要性について、研修などの場を使って粘り強く伝えていきました。

提案内容によって人事評価をマイナスにしない

──社員の意識改革に続く第2、第3のポイントは何でしょうか?
茂木 第2のポイントは、社員が安心して取り組める環境づくりです。選考が進むほど新規事業に割く時間が増えて既存業務が圧迫されますが、本来は周囲から応援され、本人も罪悪感を持つことなく安心して取り組める必要があります。
 本業と新規事業チャレンジの業務割合を明確にし、またチャレンジ自体で人事評価をマイナスにしないというルールを定めました。
古川 哲学としてこうした考え方をうたう企業は多いのですが、現実にルール化するのは珍しいケースです。応募に不安を感じている人を力強く後押ししてくれる仕組みだと思います。
茂木 スタートアップは常にリスクと隣り合わせであることに比べたら、安全が保証されることなんて甘いルールかもしれません。それでも挑戦する人を増やして結果を残せるプロジェクトに発展させるには、このぐらいの仕組みは必要と判断しました。
 選考通過者の上司にも直接連絡して、部下が価値ある挑戦をしていること、そして何よりこうしたトライができる魅力ある人材であることを伝えていました。
古川 第3のポイントは、顧客ニーズや成長性よりも、社内で評価されやすいアイデアが重視されるのではないか、といった不信感を解消するため、社外の審査員を起用したことです。
 全4回のある審査のうち、3次審査まではベンチャーキャピタル、外部の起業家など社外の審査員が選考し、経営陣など社内審査員は最終選考で初めて関与する仕組みを提案しました。
 多くの企業では一貫して役員が審査の決定権を持つのが一般的ですが、初期段階ではどんな案もただのアイデアでしかありません。ニーズがあるか、事業としての可能性があるかどうかは、もっと探索を進めなければ誰にも判断できないものなのです。
 それを最初から「事業化できるか」「自社が取り組むメリットがあるのか」といった経営的な視点でジャッジしてしまうと、耳障りのいいアイデアばかりが評価されがちになり、事業化までたどり着けない恐れがあります。
 それよりも、顧客ニーズや事業化の検証が終わっている最終審査で入ってもらう方が、良い結果につながります。

“技術起点”と“顧客起点”は矛盾するものではない

茂木 経営陣には丁寧に説明して理解を求めました。同様に、最終選考を通過した案については、必ずヒトとモノとカネを投資して前に進める仕組みづくりにもこだわりました。
 説得できるか不安もありましたが、CEOからはむしろ「もっと思い切りやれ」と逆に勇気づけられたのはありがたいサポートでした。
古川 これらの設計が功を奏して、選考の後半戦での事業検証がスピーディに進捗しましたね。
 もともと研究開発や技術起点での考え方が強いメーカーでは、顧客起点というこれまでとは異なるアプローチをうまく受け入れられないこともあるのですが、キッコーマンではむしろうまく融合できた印象があります。
 研究所に協力を求めたチームもありましたが、設備や人材提供に対する反発もなく、スムーズに事が運んでいましたね。
茂木 研究所の協力が必要な事業案は必ず出てくると思っていたので、最初から巻き込んでいくようにしました。
 研究所は普段から独自技術を活用するためのアイデア出しに取り組んでいるので、今回は顧客起点で進めていること、これは技術起点のアプローチと矛盾するのではなくコラボなのだということを、事前に説明会を開くなどして理解してもらったのです。
 ちょうど新しい研究所が竣工したところで、面白いプロジェクトを待っていてくれたこともあり、充実したコラボができました。
古川 最終選考を通過して事業化を目指しているチームだけでも、ずいぶんバラエティに富んだ中身になっていますね。メーカーならではのものづくりにたどり着いたチームもあれば、サービスの領域で取り組んだチームもあります。
茂木 当社らしいアイデアもあれば意外なものもありましたし、研究開発に限らずさまざまな部署から応募があったことはうれしい誤算でした。
 事業として成功できるチームが誕生するかどうか、結果が判明するにはまだ時間が必要ですが、今回はチャレンジしてくれた社員が大きく成長してくれたという手ごたえがあります。
 技術起点に偏りがちだった当社の社員にとって、徹底的に顧客の声を聞いてニーズを深堀した経験は、大きな学びになったようです。実際、100人、200人とヒアリングを重ねて顧客の声を分析したチームの提案は、解像度が高いと感じました。
古川 今回、応募してくれた人たちのマインドを変えてくれたのは当社でも事務局でもなく、顧客だったと思います。
 顧客の声は「目の前にいる人の課題は別のところにありそうだ」といった気づきをもたらしてくれますし、参加者からは「気がつかないうちにニーズのないものを作ってしまう可能性に気づいた」という声や、「プロセスを経るほどに“顧客起点とはこういうことか”という納得感が出てきて、その重要性を理解できた」という声を耳にしました。
 顧客からもたらされる学びは、上司やコンサルの言葉よりずっと心に響くのです。
茂木 途中で選考に漏れた人の上司からも、「K2プロジェクトに参加してから部下が変わった」とお礼の連絡を受けました。既存事業に戻ってからも、顧客視点を取り入れたり、新しいアプローチで本来業務に取り組んでいたりするのだそうです。
 最終選考までたどり着く人より、途中で脱落する人の方が圧倒的に多いからこそ、漏れた人たちに対するフィードバックには力を入れたのですが、やってよかったと思えました。大きな学びを得た彼らには、ぜひ再度挑戦してほしいですね。

意外な人材に活躍の機会がもたらされるのも、新規事業の醍醐味

古川 選考の過程でも、社内人材の知らなかった面を見られたことは、大きな収穫だったかと思います。
茂木 応募者の中には、既存事業で活躍する人材だけでなく、普段はあまり目立たない人もたくさんいて、「こんなに地道に頑張れる人材だったのか」「こんなアイデアを出せる人だったのか」と、胸が熱くなる場面がたくさんありました。
古川 既存事業と新規事業ではたどるプロセスがまったく異なるので、必ずしも既存事業で活躍する人材だけが、同じように突出するわけではないのです。
 どのレイヤーでも良い人材が出る確率は変わらないので、意外な人材の発掘につながる点は注目に値すると思います。
茂木 K2プロジェクトは本社ビルではなく、外部のインキュベーション施設で進めましたが、ここで他社の事務局の人たちと知り合えたことも大きな学びでした。同じように悩み、試行錯誤する人たちとの意見交換で、次へつながる新しい視点がもらえた気がしています。
古川 今回、200近い応募があり、人材育成の観点でも大きな成果があったことは、現時点での収穫です。なんとしてもここから、K2プロジェクト事業化第一号を生み出さなければなりませんね。
茂木 今後も定期的に開催し、実績と経験を積み上げていきたいですね。
 今回は、応募者の職種や年代にあまり偏りはありませんでしたが、中間管理職の応募が少なかったので、あらゆる層がトライできる制度にしていくことも課題です。
 また、社外の人を巻き込んで、より多様な人材やアイデアが集まる場にもしていきたいと思います。