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経営学は経営の役に立つのか 第3回

戦略の論理化が大事な、3つの理由

2014/10/1
NewsPicksの面白さは、なんといってもユーザーのみなさんのコメントです。ただ、コメントだけでは字数に限りがあるため、テーマを深堀りしづらい面があります。そこで、Hot Topicsのコーナーでは、NewsPicks内で話題になったテーマを編集部がピックアップ。そのテーマについて、ピッカーや外部の専門家に意見を聞き、より深く、多様な視点を提供します。第1回目は、「居酒屋コンビニ」の記事をきっかけに盛り上がった、「経営学と経営の関係」についてです。「経営学は経営の役には立たない」――そんな意見がNewsPicksのコメントでも多かったですが、それは本当なのでしょうか。経営学は経営の役に立つのか。役に立つとしたらそれはどういう意味なのか。一橋大学大学院の楠木建教授が説きます。
第1回目 商売の成功は、理屈2割、気合8割
第2回目 ビジネスにおける「学者」と「理屈」の意義

優れた経営者は「アーティスト」

戦略の論理化は実務家にとってきわめて大切です。ここでは3つの理由を強調しておきます。

第1に、けもの道で身につく嗅覚は決定的に大切なのですが、その一方で、限界もあります。それは、日々けもの道を走っていると、視野が狭くなり、視界が固定するという問題です。走りながら考えている人は、どうしても視界が狭くなります。

先の車の運転のたとえ話にあるように、日常の理論はひとたび自分の視界の中に入ると非常によくものを見せてくれます。しかし、見える範囲は限られてきます。運転中によそ見をしていると危険だからです。この傾向は高速で走っている人ほど顕著です。

厳しくなる競争の中で、人々はますます速く走ることを強いられています。高速道路を走っている状態を想像してみてください。速く走れば走るほど、どうしても視点も固定してきます。ものがよく見え、的確な判断と行動ができるという野性の嗅覚の強みは、「走りながら考える」ということ自体にあるので、視野と視界の問題はすぐには解決のつかないジレンマです。

そこで、視点を転換し、視界を広げるために、他のさまざまな業界や企業や経営者に学ぶ必要が出てきます。しかし、それはそう簡単ではありません。ここに論理が大切になる第2の理由があります。

戦略はサイエンスというよりもアートに近い。優れた経営者は「アーティスト」です。その会社のその事業の文脈に埋め込まれた特殊解として戦略を構想します。それが優れた戦略であるほど、文脈にどっぷりと埋め込まれています。

経営者が経験に即して語る戦略論は迫力に満ちていますが、ユーザーがその知見を自らの状況に当てはめるのは困難です。いったん論理化して汎用的な知識に変換しておけば、(具体化能力のある)実務家は、その論理を異なった文脈に利用できるわけです。反対に、論理化のプロセスがなければ、知見の利用範囲がきわめて狭くなってしまいます。

第3に、ありがたいことに論理はそう簡単には変わりません。目前の現象は日々変化します。だからこそ「変わらない何か」としての論理が大切になるのです。

以下の文章は『日本経済新聞』の記事からの引用です。ちょっと読んでみてください。

いよいよ日本経済は先の見えない時代に突入したという感がある。今こそ激動期だという認識が大切だ。これまでのやり方はもはや通用しない。過去の成功体験をいったん白紙に戻すという思い切った姿勢が経営者に求められる。

そのとおり、とうなずく人も多いと思います。ただ、この記事は昭和も昭和、私が生まれた1964(昭和39)年9月の『日本経済新聞』からの引用なのです。昔の新聞をめくってみれば明らかなのですが、この数十年間、新聞紙上で「激動期」でなかったときはついぞありません。今も新聞紙上では「今こそ激動期!」「これまでのやり方は通用しない」という全く同じような主張が躍っているのですが、新聞はいつの時代も「今こそ激動期!」です。「これまでのやり方は通用しない」と何十年間も毎日毎日言い続けているわけです。

論理ほど実践的なものはない

これはどういうことでしょうか。マーヴィン・ゲイならずとも“What’s going on?”と言いたくなるところです。

激動期が何十年間も毎日続くというのは、論理的にいってありえません。要するに、「変わっているけど変わっていない」というのが本当のところなのです。為替レートや株価は定義からして毎日変わる現象です。新しい市場や技術が生まれては消えていきます。そういう意味では現象が「激動」するときもあるでしょう。

しかし、現象の背後にある論理はそう簡単には変わりません。日々動いていく現象を追いかけることに終始してしまえば、目が回るだけです。目を回してしまえば、有効なアクションも打てません。そういう人には腰の据わった戦略はつくれないのです。

実際に考え、決定し、行動するのはあくまでも皆さんです。本当の答えは皆さんの中にしかありません。しかし、新しい視界や視点を獲得すれば、背中を一押しされるようにアクションは自然と生まれるものです。この意味で「論理ほど実践的なものはない」と私は確信しています。

逆にいえば、新しい実践へのきっかけを提供できない論理は、少なくとも実務家にとっては価値がありません。実践にべったりの処方箋は、ある特定の実務家にとって、特定の状況のもとでは有用でしょう。しかし実践は、どこまでいっても一人ひとりに個別の問題です。そうだとしたら、いわゆる「実践的なビジネス書」というものは実はひどく窮屈な話なのです。

即効性のある処方箋も、優れた戦略の「法則」もありません。しかし、優れた戦略の「論理」は確かにあるのです。ふだんから走りながらなんとなく考えていることであっても、一度立ち止まって頭の中から出してみて、じっくりと論理化してみれば、どうすればいいのか気づくことがあるはずです。

3回に分けてお話ししてきたこのコラム、NewsPicksの読者の方々にはすこぶる評判が悪く、「これで経営学が経営の役に立たないことが分かった」というコメントを数多くいただきました。通して読んでいただいた方にそのような印象を与えてしまったとしたら、僕の非才のいたすところであります。

言うまでもありませんが、僕は実際に経営をしている人、ビジネスの現場にいる人の仕事に役立ちたいと思い、経営学の仕事をしています。そのためには、「処方箋」でも「法則」でもない、この連載でお話した意味での「論理」をじっくり考えて、実務家の人々に提供する、これこそが自分の仕事だというのが僕の立場です。

僕は競争戦略という分野を専門にしています。拙著『ストーリーとしての競争戦略』(東洋経済新報社)は、この連載にある僕の考えに基づき、競争戦略についての僕なりの論理を実務家に向けて発信したものです。本当に経営学の論理は経営の役に立たないのか、その辺を確認する意味でもぜひお読みいただければ幸いです。

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