2021/12/10

自らを変容させる組織とは? 「両利きの経営」を実践するポイント

NewsPicks / Brand Design  編集者
90年代をピークに日本経済は低迷。世界との差が生まれる中、「両利きの経営」と呼ばれる経営理論を実践し、イノベーションを起こし続ける企業がある。コア事業の深化と戦略事業の探索。両輪で動かすために、組織カルチャー変革に取り組んだAGCだ。なぜ、両利きの経営を実践できたのか。日本での「両利きの経営」第一人者であり、組織開発コンサルタントの加藤雅則氏と、AGCのCEO平井良典氏の対談からひもとく。

「技術で勝り、事業で負けた」日本企業に足りなかったもの

加藤 失われた30年、多くの日本企業は次のステップに進めませんでした。
 私はさまざまな経営者と話をする機会がありますが、「日本の企業は技術では勝っていたが、事業で負けた」「経営力やしたたかさが足りなかった」とおっしゃる方が多いのが印象的です。
平井 失われた30年を解きほぐすことは、私も日本の経営者の一人として、やるべき仕事だと思っています。
 2000年代の米国では、Apple社がデザインと販売、マーケティング以外の“ものづくり”を他社に任せる水平分業モデルを採用しました。
 今ではさまざまな業界で当たり前になっていますが、当時日本の経営者の多くは「あんなのものは、ものづくりじゃない」と否定してしまったのです。
 日本の企業は、効率化で成功した体験から抜け出せず、ビジネスモデルを変えられなかった。それに、もし「ものづくりを他社に任せる」と経営者が言っても、自社の製造部門から猛反発を受けてしまったでしょう。組織のサイロ化による弊害です。
加藤 この30年で、組織のサイロ化は進みましたね。
 従来日本の企業が強かったのは、ミドル層の人たちが自由闊達に動いて会社を成長させていく、ミドル・アップダウンでした。
 しかし、組織のサイロ化によって、ミドルと経営層の距離が離れてしまい、本来の強さを発揮できなくなってしまったのです。効率的な生産はできても、新しいものを作り出す力が落ちてしまったように感じます。
平井 AGCにもバブル崩壊後、2度の経営危機がありました。
 最初の危機は、日米構造協議で米国から「ガラスのマーケットが閉鎖的である」と言われたこと。好調だったガラス事業の潮目が変わり、2001年には創業以来初の当期利益赤字を経験しました。
 すぐに次の成長事業として、液晶用のガラス基板に集中投資。2010年には史上最高益を出すまで業績を回復したのですが、この成長事業の一本足打法が、2度目の危機を招いてしまうのです。
 液晶用ガラス基板は、市場の成長が止まると利益が急速にしぼみ、2014年の当社の営業利益はピーク時の3分の1まで落ち込みました。
 ただ、当時の経営トップは、最高益を記録した2010年の時点で「次の事業を作らなければいけない」と危機感を持っていましたし、その後減益が続く非常に苦しい中でも、将来を見据えた新しい素材の研究開発はやめませんでした。
 2015年にCEOに就任した島村とCFOの宮地、当時CTOの私を含めた経営チームは、まず「会社のカルチャーを変えていこう」と話し合いました。
 減益が続くと組織は萎縮し、どうしてもコストの削減などに集中してしまいがちです。AGCが本来持っていた、新しいものを生み出していく雰囲気が失われかけていたのです。
 そこで、事業ポートフォリオのリバランスと同時に、新規事業にチャレンジするための仕組み作りに着手しました。
加藤 やはり「仕組み」は非常に重要だと思います。仕組みがないと、どうしても目の前の業務に引っ張られて、新しいことにチャレンジできません。
 また、仕組みと同時に組織カルチャーも変えていく。組織カルチャーというのは、社風や風土といったレベルの話ではなく、もっと踏み込んだ具体的な行動様式や仕事のやり方です。まさにこれをやってきたのが、AGCだというわけです。

両利きの経営は「自らを変容させる」組織の進化論である

加藤 「両利きの経営」とは、既存事業の「深堀り(exploit)」と新規事業の「探索(explore)」を両立させる経営理論です。私の師でありスタンフォード大学経営大学院教授のチャールズ・オライリー氏と、ハーバード・ビジネススクール教授のマイケル・タッシュマン氏が1996年に発表しました。
 既存事業と新規事業の両立は、ポートフォリオ論として、一見すると当たり前のように思う方がいるかもしれません。
 しかし、両利きの経営が難しいのは、既存事業の深堀りと新規事業の探索という2つの組織能力を持ち、その2つの異なる能力を併存させる組織能力が求められる点です。
出典:『両利きの組織をつくる―大企業病を打破する「攻めと守りの経営」』
 事業環境の変化に適応し、自らの組織を変容させる。両利きの経営はまさに、第二の創業とも言えるのです。
 AGCの事例はスタンフォード大学でケーススタディとしても紹介されました。理論が先ではなく、実践の中でやってきたのですから、オライリー教授も驚いていましたね。
平井 我々は2年ほど前に初めて「両利きの経営」という理論を知り、体系的に自分たちがやってきたことを理解しました。
 建築用ガラスや自動車用ガラス、化学品、ディスプレイ、セラミックスをコア事業、ライフサイエンス、エレクトロニクス、モビリティを戦略事業に置いています。コア事業が収益基盤となり、戦略事業へ投資を強化することで一層の収益拡大を図る仕組みです。
出典:『両利きの組織をつくる―大企業病を打破する「攻めと守りの経営」』
 もともと「0から1」を生み出す研究には、たくさんの種をまいてきました。さらに、社内をよく探すと、実はすでに「1」になっている研究も多くあったのです。
 しかし一番難しいのは「1から10」にする過程で、技術の分野ではよく「死の谷」とも言われます。
 まずは死の谷を越えるために、2011年に事業開拓室(当時。現在は事業開拓部。以下、BDD)という組織をつくり、私は初代室長に就任しました。MBAを持っている人や実際に社内起業を経験した人など、事業のプロフェッショナルをそろえて集中的に育成しようと考えたのです。
 ただ、BDDは社長直轄の独立した組織ではあるものの、孤立していたわけではありません。各社内事業部門の人や技術、ビジネスアセット、生産設備、顧客チャネルなど、あらゆるものを利用できるようにしたのです。
 また新規事業立ち上げにあたっては、当社が従来とっていた手法と同様、黒字化するまでの費用を全額BDDが負担する仕組みにしました。
 優秀な人材をBDDに引き抜いてくるので、当初はやはり反発もありました。
 しかし、少しずつ新規事業の成果が見えてくると、社内でも協力体制がつくられていきました。事業が成立し、黒字化した後に各事業部門に引き渡されるので、けっして悪い話ではありませんよね。
加藤 両利きの経営というのは、アイデア(着想)・インキュベーション(育成)・スケーリング(量産化)の事業創造プロセスを組織に埋め込むことなんです。
 既存事業の深堀りと新規事業の探索では、仕事のやり方が違うので、まずは組織を分離すること。ただ、分離はするけれども、分離したものをもう一度部分的に統合することが重要です。
 つまり探索事業の種をインキュベートして、もう一度既存事業のところに戻す。出島方式で完全に孤立してしまうと、もう戻せなくなってしまいます。
 AGCがすごいのは、この組織デザインを独自の工夫で作ったことです。他社で両利きの経営を推進したいと考えるならば、まずまねるべきは組織の仕組みでしょうね。

両利きの経営は、個人レベルにまで進化し続ける

平井 戦略事業の成果は、数字にも表れています。
 2018年に発表した中期経営計画では、2020年度の戦略事業の営業利益目標を400億円と置いていたのですが、実績は10%以上超えた444億円。コロナ禍でコア事業は影響を受けたものの、全社の営業利益の59%を戦略事業が担ってくれました。
 また、数字以外にも成果を実感しています。各事業部門において、BDDが興した新規事業を受け取るだけではなく、既存事業を強めながら、自ら新しいことにチャレンジしようという機運が、社内で生まれてきたのです。
 各々の事業部ごとに、「両利きの中の両利き」を目指そうということですね。
加藤 全社レベルの両利きも大事ですが、事業部やその下の組織レベル、究極まで行くと個人レベルの両利きもあると思っています。
たまに「両利きをやると既存事業の人がモチベーションダウンするんじゃないか」と誤解している方がいますが、それは間違いです。両利きの経営は探索事業だけでなく、既存事業も進化していく組織進化論です。
 AGCはまさに今、全社レベルの両利きから、事業部レベルの両利きにギアチェンジが入っている状態ですね。
平井 組織も個人も、サクセストラップに陥ることなく、進化し続けなければなりませんね。過去の成功を過剰に評価してしまうと、失敗してしまう。これは事業でも個人でも同じです。
 ただ、失敗を恐れたり、失敗した者を叩いたりする組織では、挑戦はできません。私自身も、35歳のときにシリコンバレーのベンチャーとの共同研究で事業化に失敗し、多くのことを学びました。
 ですので、これから新規事業の立ち上げに挑戦する人は、失敗の中からどんどん学んでほしいと思います。
 また、立ち上げ時に苦しいときは、どうしても手を広げ、いろいろなことをやりたくなってしまうものです。しかし、自分たちが信じるものを決めたら、迷わず進むこと。自分を信じて、プライドを持って仕事をしてほしいですね。

リーダーには「意思表示」と「価値判断」が求められている

加藤 両利きの経営は、自分たちの事業の目的を再定義し、目的に沿って事業ポートフォリオを組み直す。そしてそれを運営できるような組織をつくるのが必要条件です。
 この中でも一番難しいのは、組織を実装すること。効率の世界と打率の世界、矛盾した両方の組織をマネジメントしなければならないからです。経営チームが覚悟を決めてコミットしなければ、絵に描いた餅で終わってしまいます。
平井 AGCでは2015年から、CEO、CFO、CTOの経営チームを「One team」と呼んでいます。とにかく徹底的に議論し、一枚岩になり、社内でビジョンを共有していこうと。今の時代に求められているのは、ビジョンを持ち、共有できるリーダーなのだと思います。
加藤 この規模の会社で、経営トップ3人がそろって、若手と合宿をやっている会社はなかなかありませんよね。他にもトップダウンとミドルアップがミートする場面を、私は何度も拝見してきました。
平井 経営チームはAGCのありたい姿を提示し、それをどうしたら実現できるのか、若手や中堅の人に考えてもらい、アイデアを出してもらっています。それ自体が、教育の場にもなっているのです。
2019年9月に鎌倉で行われた経営トップと若手、現場の最前線で活躍しているミドル層によるコミュニケーション合宿。若手・ミドル・トップが一丸となってAGCの人財・風土で大切にするポイントを出し合い、対話を通じて整理。「非常に熱い思いを持った若手とミドルと対話し、刺激的な2日間だった」(平井氏)
 ですからAGCで出しているビジョンの表題は『2030年のありたい姿』であって、“あるべき姿”ではないのです。
加藤 経営チームは、海外も含め多くの拠点を回り、対話をしていらっしゃいます。どうすればそんな時間がつくれるのだろうと、他社のトップは思っているんじゃないでしょうか。私は権限委譲がポイントだと見ています。
平井 おっしゃるとおり、マイクロマネジメントの排除は強く意識しています。当然数字は厳しく見ますが、各事業の細かいところは任せている。だから経営チームはAGC全体の経営に集中できますし、時間はどうにでもなるのです。
加藤 指示型、コントロール型からコンテキスト型にリーダーシップが変わってきていますね。
 リーダーは大きな方向性を示して、従業員がやりやすい環境をつくり、ボトムアップに対して必要な価値判断をする。意思表示と価値判断がセットになっているリーダーシップじゃないと、うまくいかないんです。
 組織が動く原理も、指示命令型から共感型に変化しています。雇用の流動性が上がり、いつでも会社を辞められる時代だからこそ、会社に共感し、自分がいることに誇りを持てるかどうかが重要ですね。
平井 AGCの両利きも次のフェーズに移ろうとしています。経営者として私がやるべきことは、深化と探索の方向性を示し、組織カルチャーを継続できるものにしていくことです。
 素材の研究開発は、実際に世に出るまで10~20年、もっとかかる場合もあります。だからこそ、AGC自身がサステナブルな会社でなければなりません。
 これから20年、30年、50年。きちんと世の中に貢献できる会社であるために、進化し続けたいと思います。