【核心】日本電産の会見が、永守の独演会に「逆戻り」した理由
コメント
選択しているユーザー
日本電産の創業者は永守重信氏77歳、ユニクロの生みの親である柳井正氏は72歳。それぞれが自らの後継問題と戦っています。
個人的には大学で同じゼミ10人の同期だった三木谷浩史君は楽天を立ち上げ、彼は三菱の創始者である岩崎弥太郎タイプ。自らけん引する永守氏や柳井氏を遠くから観ていて三木谷君と似た印象を受けます。真逆なのが同じゼミのヨシムラフード創業者の吉村元久君。彼は渋沢栄一タイプ。回りを盛り立てる名脇役。吉村君と渋沢栄一氏との違いはスピードだけで性格的には大河ドラマ『青天を衝け』の渋沢氏と同じ匂いを感じます。
三菱も岩崎弥太郎氏の時代には永守氏や柳井氏と同様に自らの後継問題と苦闘したのではと察します。違いは四代目の岩崎小弥太氏にありました。三菱グループの原点は小弥太氏の『三綱領』にあります。そういう意味で渋沢氏の凄みは岩崎家が四代かけて行ったことを一人二役、一代で成し遂げた処にあるのかもしれません。渋沢氏はクリスチャンではないものの、多くのキリスト教団体と関わりを持っていたようです。
社長とは昔でいえば王です。“王”とは中国文学学者の許慎(西暦58-147年)の『説文解字』によれば三本の横棒が「天・人・地」であり、縦に突き通す縦棒の杖が裁きの役割であると言われています。一方、聖書に示される“王”は別の表現で捉えることもできます。二本の横棒が天と地を指し、十文字でつなぐ描き方です。地にある民を憐れみ、また天にある主を敬い、自らはイエス・キリストのように十字架を負う僕として仕えるのです。王の字の上に“点”を打つと“主”を示し、王は神の下で遜り、民を治めるリーダーとして神との健全な関係を保つこともできます。誤解なきようお伝えすると三木谷君とも、吉村君とも、宗教の話をしたことは大学時代を通じて一切ありませんでした。
『聖書』は人が生きるうえで、また海外でビジネスをするうえで本質を見極める際の羅針盤になります。理想書店の『聖書がひも解く世界の歴史(2022年改訂版)』では聖書の66書1189章について、シンガポール日本語教会の松本章宏牧師やハーベスト・タイム・ミニストリーズの中川健一牧師の教えがコンパクトに分かり易く解説されています。
https://store.voyager.co.jp/publication/9784866890463
注目のコメント
ちょっとタイトルが下品ではないでしょうか。たとえば、これでも十分いいのではないかと。
【核心】日本電産の会見が、永守の独演会に「逆戻り」した理由
↓
【核心】日本電産の会見が「永守氏の独演会」に逆戻りした理由
名字だけで呼び捨てにするのはいかがなものかなと思いました。フルネームであれば敬称略も理解できますが……。
カギ括弧の位置も「独演会」にかかっていれば、意味がやわらぎます。「独演会」というのは、かなり直接的な揶揄ですが、記者がそう捉えたというならぎりぎり理解できます。
カギ括弧に入れないと、「独演会」という事実が存在するように読めます。そこは解釈が分かれるのかな、と。
同業からのマニアックな指摘ですみません……。ナイキのナイト氏やスタバのシュルツ氏も本当にお眼鏡にかかったCEOを見つけるまでに「三顧の礼」で迎えたCEOを3人くらい首にしています。柳井さんや孫さん、かつてユニデンそうであったように、こうした会社が長い目でどうなるか研究対象としても興味があります。
永守さんがトップとして説明する方が投資家にとっての安心感があるということか。
会社の中長期的な取り組みという視点で見た時、事業の観点ではM&A含めて永守さんマターだとしても、経営の持続性という観点においては本来関さんが担うべきで、その意味で「またか」という気がします。
というか、前回永守さんの覚悟を見た!と思えただけに、少し残念ですね。