2021/10/29

【素朴な疑問】なぜ医療現場は、今も“アナログ”なのか

NewsPicks Brand Design editor
 病院に行くたびに手書きで記入する問診票や、紙が主流のお薬手帳。初めての病院に行けば、1ヶ月前に撮ったX線をまた撮り直し──。

 多くの業界で当たり前にデジタル化されていることが、いまだにアナログな医療業界。なぜ、医療現場のDXは、進まないのか?

 9月30日にNewsPicks Brand Designが主催したオンラインイベント「Disrupt Healthcare〜未来医療のための『破壊と創造』〜」では、医療業界の第一線で活躍する様々な立場の専門家が登壇、医療DXにおける課題と目指すべき未来について議論した。
 2つのセッション内容をレポートする。
 病気の早期発見・予防から、病院同士の連携まで、医療の常識を覆す可能性を秘める医療データ。データを活用し、私たちはどんな医療を目指すのか。
 KEYNOTE SESSIONで、慶應義塾大学教授の宮田裕章氏と、予防医療推進事業を展開するキャンサースキャン代表取締役社長の福吉潤氏が語り合う。

“行動あるのみ”のフェーズに来ている

──医療現場では、患者の医療データ連携が進まず、データを有効活用できていないという課題があります。他の領域では当たり前のデータ活用ですが、医療領域ではなぜここまで進んでいないのでしょうか?
宮田 根本の課題は、病院ごと、診療科ごとにシステムのサイロ化が進んでしまったことです。
 各病院、各診療科が使いやすいよう、オンプレミス(情報システムを企業内に設置し運用する)のシステムを、どんどん作り上げてしまった。
 結果的に、患者のデータがバラバラに保管されて連携できず、活用が進んでこなかった。これは日本だけではなく、世界中が同じ課題にぶつかっています。
 ただ全く先が見えないというわけではなく、ある程度解決の道筋はできていて。たとえばいまアメリカ政府は、医療データをやりとりする際の標準フレームワークであるFHIR(Fast Healthcare Interoperability Resources)の浸透を強力に進めています。
 このフレームワークが普及すれば、病気の罹患履歴や、検査や薬の処方履歴、検診データといった医療データを患者本人が所有でき、自身の健康管理に役立てられます。医療機関もこのデータを参照し、より効率的に診察、治療にあたることができるわけです。
 日本でも、産官学が連携し整備を進めている「PeOPLe」というプラットフォームの構想があります(注1)。
 データを医療に役立てる未来像がすでに描かれているわけですから、あとはビジョンに向けて行動していくのみ。「どうしたらいいか」と悩む段階ではなく、行動する段階に入っていると考えます。
注1:PeOPLeとは、個人を中心としたオープンなプラットフォーム。保健医療情報の主体的な管理・活用を可能にする。
──民間企業の立場から予防医療を推進している福吉さんは、どうお考えですか?
福吉 私は消費財メーカーのP&Gのマーケターを経てこの業界に入ってきましたが、まず痛感したのは、医療や保健に関わるデータ自体は、すでに潤沢にあるという事実でした。
 自治体なんて実は、検診のデータを含め、ヘルスビッグデータの宝庫なんですよ。でもその宝が、これまではほとんど活用されてこなかったんですね。
──なぜでしょうか?
 データ活用で市民の健康がどう促進されるのか、その成果を誰も見せられていなかったからだと考えています。
 そこで私たちのような民間企業が自治体と連携して、ユースケースを見せていきたい。たとえば健康診断に来ない人には、こんな媒体でこんなメッセージを配信すれば、何%の人が健診に来てくれるんですよ、という具体的なメリットを見せるんです。
 そういう事例が増えていくことで、自治体や医療現場の中でも、データをもっと活用していこうという風潮を作っていけるのではと考えています。

病院に行く前から、医療は始まっている

──医療DX促進に向けて「行動あるのみ」というフェーズにあるとのお話がありましたが、具体的にどのように推進できるとお考えですか?
福吉 医療DXの促進のキーになるのは、マーケティング的アプローチではないかと考えているんです。
 たとえば、地域の高齢者検診で「要治療」の結果が出たとしても、きちんと治療に行く人は半分くらいにとどまるんです。
 皮肉なことに、「自分が不健康だと身に覚えがある」人ほど、病院に行きたがらないという調査結果も出ています。
 そのときに、マーケティングの思考法が非常に有用。顧客(患者)視点に立って、検診の案内のキャッチコピーやデザインを変えるだけで、受診率に大きな差が出るという結果も出ています。
「どう病院に足を運んでもらうか」という課題を解決する手法は、「数ある洗剤からどうこの洗剤を選んで買ってもらうか」という消費財のマーケティングと、実は変わらないんですよ。
 重要なのは、いかに患者の行動変容を起こせるか。患者にどう行動してほしいのかというビジョンが先にあって、そのときに初めてこれまで蓄積したデータの意味が出てくるのだと思います。
乳がん検診の受診を呼びかける案内。キャッチコピーやデザインの違いで、受診した人の率に大きな差が出たという。
──なるほど、面白い。宮田さんはいかがでしょうか?
宮田 私は、PeOPLeのようなオープンプラットフォームを用いて様々なデータを統合していくことで、医療の役割自体が大きく変わると考えています。
 これまでの医療は、言ってしまえば“病気になってからが勝負”という考え方でした。
 ですが、データがつながる世界では、病院に行かなくても、たとえばスマートフォンで血圧や心拍数のデータを日常的に計測していたら、自分で異常値に気づくことができる。病院に行く前の生活の中で、すでに医療が始まっているんです。
 日常生活のさまざまなデータが、健康や予防医療に自然と結びついていく。「生きることが全てつながる」時代になっていくと思いますね。
 ですが大前提として突っ込みたいのが、「プラットフォームが整うまで待ちます」という姿勢ではダメだということ。
 待っているうちに、状況はどんどん変わっていく。様々なステークホルダーが自ら動いてチューニングをしながら、一緒に進めていくべきものだと考えています。
 膨大な課題を抱えながらも、抜本的な変革には至ってこなかった医療現場。そのボトルネックとは何か、変革を推し進める糸口はあるのか。
 PANEL DISCUSSIONでは、日米両方の医療現場を知る医師の山田悠史氏、眼科医で元厚生労働省勤務、現在は自らAI医療機器開発ベンチャーを経営する加藤浩晃氏、塩野義製薬でDX推進本部長を務める塩田武司氏が、多角的視点から医療体制が抱える課題を洗い出し、進むべき道筋を提示する。

日本の医療は、便利すぎる?

──PANEL DISCUSSIONでは、それぞれ異なる立場から医療に向き合うお三方をお招きしています。まずは、医療DXのボトルネックを議論していきたいと思いますが、日米両方の医療現場を経験している山田さんは、どうお考えですか?
山田 日本の医療ってファストフードで言うところの、「はやい、安い、うまい」が成立しているんです。
 3ヶ月先しか予約が取れない、なんてことはほとんどないし、国民皆保険制度のおかげで医療費も比較的安い。さらに日本には、世界に誇れる医療技術や設備があります。
 この3つを達成するのってすごく難しくて、例えばアメリカのクリニックでは「はやい」が大きく欠けています。予約を取れるのが数ヶ月後なんてことは普通ですし、国土が広い分1回の通院に2〜3時間かかるのも一般的。
 だからこそ遠隔医療が求められるなど、デジタル化による医療の効率化へのニーズがあります。
 一方で日本の多くの患者さんにとって、病院に対する切羽詰まった不便さはなく、だからこそDXのニーズが高まりづらい。これは大きな要因の一つだと思います。
──なぜ日本では、「はやい、安い、うまい」を満たせてきたのでしょうか?
山田 もちろん様々な要因はありますが、医療者が過剰な労働時間などの、大きな負担を背負ってきたのは確かです。
 これからの高齢化時代、このまま医療者の犠牲に目を瞑っていれば、将来的に立ち行かなくなる可能性は高いと思います。
──製薬会社の立場から見て、塩田さんはどう感じていますか。
塩田 今は、まさに過渡期にあるのではないかと思います。現に、遠隔医療やPHR(注)といった、「デジタル×医療」の活用事例が出始めています。
 患者側がデジタル化のメリットを実感するようになれば、医療現場側も変わらざるを得なくなると感じています。
 たとえば、私たち塩野義製薬が提携する中国平安保険グループは、オンライン診療の巨大なプラットフォームを持ち、診療履歴は全てデータ化、AIによる診断も行っています。
 なぜこんなにも普及したかといえば、やはり中国の医療環境が不十分で、患者からのニーズがあったことが大きい。日本においても強い社会的な要請があれば、より早くデジタル化も進むのではと思います。
注2:Personal Health Recordの略称で、個々人が自身の医療に関わる情報や健康に関するデータを記録し、それを自身の手元で管理する仕組みのこと。
──元々は眼科医で、今はビジネス領域からも医療の課題解決に取り組む加藤さんは、どうお考えですか?
加藤 これは私見なんですが、医師ってやはり、職人気質の方が多いんですよね。
 医療の質向上の観点はとことん追求する一方で、患者さん目線の便利さとか使いやすさについて視点があまりなかった。だからこそ、データやテクノロジー活用がなかなか進んでこなかったのではないでしょうか。

医療DXの鍵は、民間企業が握る?

──医療領域には、医療者、行政、民間企業など、複数のステークホルダーが存在します。医療のDXを進めるためのリーダーシップは、誰がとるべきなのでしょうか。
加藤 「べき論」で言えば、本来は行政がリーダーシップを取るべきだと考えています。ですが、現実的には難しいのも確かです。
 私は眼科医として働いた後、厚生労働省で医政局室長補佐として法律制定や政策立案に従事していたのですが、実際に入省してみると行政の動きにくさを痛感しました。
 というのも、厚労省って大体2年で人事異動があるんですよ。熱い想いを持って医療改革に臨んでも、長期的に関われない人も多い。
 では医療現場はどうかというと、やはり難しい。言葉を選ばずに言えば、年齢が上の医師はもう、“逃げ切れる”んですよ。正直もう儲かっていますから、医療現場のDXなんて面倒なことはしたくない、と考える人は多いと思います。
 そうなると、医療変革のイニシアチブを一番取りやすいのは、実は民間企業ではないかと考えています。民間企業が積極的に医療分野に入り込んで、別の領域の知見やテクノロジーを持ち込んでいく。
 私自身、その思いから自身でも事業を立ち上げたり、医療ビジネスの支援をしたりしているんです。
塩田 民間企業側から見ても、気運は高まっていると感じます。
 いま多くの製薬企業は、これまでのように新薬を開発して成長していくことに、限界を感じている。次にできる社会への貢献、ヘルスケアのサービスをどう進化させるか、各社模索しているところです。
山田 私はそもそも、「リーダーシップ=上層部が発揮すべきもの」という考えを取っ払った方がいいと思います。
 リーダーシップが上層部のものだという意識がある限り、物事はあまり動きません。院長先生くらい年配の医師に、リーダーシップを取ってDXを進めてもらおうと期待するのって、現実的じゃないですよね。
 ですから若い世代がリーダーシップを発揮する自覚を持ち、現場を動かしていかないと変革は難しいと思います。
 実際にアメリカの医療現場では、若手の医師に対してリーダーシップトレーニングが行われていますし、そういった姿勢は日本も取り入れるべきかもしれません。

「病院に行かない」未来を目指して

──今後医療業界においてデジタル化が進んだ、その先の医療の未来はどうあるべきだとお考えですか? みなさんのビジョンをお聞かせください。
塩田 製薬会社はこれまで、薬を作って売りますというプロダクトアウト的な発想でした。
 ですがこれからは、顧客起点のヘルスケアサービスを提供するという、マインドセットの転換が求められてくると考えています。
 小売業界のマーケターがカスタマージャーニーを描くように、製薬会社もペイシェントジャーニーを描く。
 そして未病、予防、診断、治療、予後のケア全てのステージにおいて、お客様に最適なサービスを届けていくんです。
 そのためには、画一化されたサービスを提供するのではなく、お客様一人ひとりに個別最適した創薬や診断技術を提供していく必要があると考えています。
──なるほど、製薬業界のマインドチェンジが起きているのですね。山田さんはいかがですか?
山田 現状の日本は、少ない負担で質の高い医療を提供している素晴らしい国です。
 しかしこれから先、ますます高額な治療が開発され個別化が進むと、医療費全体が膨れ上がりますし、医療者への負担も増していきます。現場の犠牲だけでは、もう持続できなくなってくる。
 そこにメスを入れる重要なピースの一つが、やはりデジタル化なんです。この現実から目をそらさずに、向き合っていくべきだと考えています。
加藤 私が考えているのは、通院がなくなる世界
 たとえば遠隔医療が進めば、大多数の人がオンラインでの診断・診療で済んで、本当に治療が必要な人だけ病院に足を運べば良くなる。遠隔医療だけでなく、予防という面でもウェアラブルデバイスで自分の健康管理ができるなど、日常に医療が溶け込んでいる未来を思い描いています。
 世界各国の事例を見ていると、日本でも2030年には叶えられるのではないでしょうか。