昔の日本社会は「24時間戦える男性正社員のみ」が活躍できた 壁を壊し、多様な感性を解放することで生まれる“新たな価値”
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注目のコメント
実際にダイバーシティのお話が出る時には、どうしても数字目標を達成しなければならないという思考が先に出てしまうので、ダイバーシティを活用しましょうというような言い方になってしまうケースが出てきます。この場合、あまり目の前の起きている状態に特段困っていないので、いわゆるダイバーシティを進め、より多様性ある人材で作られた組織とすることに腹落ちしていないケースが多いのではないでしょうか。よくさまざまな場面でお話を伺うと、正直なところ特段困っていないのでねというお話をよく伺います。
記事に書かれている例のように、ダイバーシティ組織にした結果の実際の起きたビジネス上の利益、利点を情報展開し、主体的に得たメリットが体験できると更に主体的な出来事として、自ら加速させ本気で取り組もうとされると思います。
ただ、どうしても腹落ちするまで動きを待っているわけにもいかないので、数字目標を宣言してそこに向かっていくような、ある種の強制的な動き方も一方では必要と感じますが、多様性あり誰一人取り残さないような社会を作る組織がどんな組織でありかを漠然とした目標に向かうのではなく、実際体験した利点に基づいて動かしていきたいですね。24時間戦えますか?の時代はさすがに終わったよね。それでもまだまだダイバーシティが進まないのは、アンコンシャスバイアスが根強くあって、なぜに根強いかというと、家庭内の慣習があって、それも紐解くと子どもの頃からの教育や体験があって、、、これを自然解消を期待してると、なかなか息が長い…(-.-;)
私見として誤解を恐れずに言えば、例え短期間でもオーバーロード気味に働く経験は有用だと思うし、何なら24時間働こうと思えば働ける人の方が、活躍のチャンスは確実に広がると考えます。全くサステナブルではなく、また人に強要する気も毛頭ありませんが。
あと、「自分も若い頃に死ぬほど働いて成長できた」というようなアドバイスも、所詮は生存者バイアス(文字通り、死なずに済んだ)がかかってますので、善意からであっても軽々しく口にしないように注意したいと思います。