2021/5/26

【タニタ 社長】敷かれたレールには乗らず、調理師専門学校へ

フリーランスライター
体組成計や活動量計など、健康計測機器の製造・販売や、「タニタ食堂」をはじめとする健康サービスを提供する健康総合企業・タニタ。もともとは体重計や体脂肪計などのメーカーにすぎなかったが、同社の社員食堂のメニューを紹介したレシピ本『体脂肪計タニタの社員食堂』が大ベストセラーになったのをきっかけに外食産業に進出し、健康総合産業に転換させた。

この転身を率いたのが、第3代社長の谷田千里氏である。「いったんこうと決めたら、誰がなんと言おうと聞かない」という谷田氏だが、実はタニタに入社する気はさらさらなかったという。

大学に進学せず、調理師免許を取得したあと、家庭科の教員免許や栄養士の資格を取るなど、創業家一族に生まれながら敷かれたレールに乗ることをよしとしなかった谷田氏の反骨精神と自由な発想の源を探る。(全7回)
谷田千里(たにだ・せんり)/タニタ 社長
1972年大阪府生まれ。調理師専門学校卒業後、佐賀大学理工学部に進学。船井総合研究所を経て、2001年タニタに入社。05年タニタアメリカ取締役、07年タニタ取締役を経て、08年より現職。レシピ本のヒットで話題となった社員食堂のメニューを提供する「タニタ食堂」や、企業や自治体の健康づくりを支援する「タニタ健康プログラム」などの事業を展開し、タニタを健康総合企業へと変貌させた。近年は働き方改革にも取り組み、希望社員を雇用契約から業務委託契約に転換する「日本活性化プロジェクト」を開始。編著に『タニタの働き方革命』がある。
INDEX
  • 自己主張の強い次男
  • タニタには入社しない
  • 早く自活するため調理師を目指す
  • ヘルニアで調理師の夢が消える

自己主張の強い次男

私は父の大輔がタニタの大阪営業所の所長を務めていたときに生まれ、今年(2021年)の6月6日で49歳になります。「千里(せんり)」という名前は大阪の吹田市の千里という地名にちなんでつけられました。
両親は女の子を望んでいたようで、「千里(ちさと)」という名前を用意していました。しかし生まれたのが男の子だったので、読み方を変えて「せんり」になったと聞いています。
1977年、5歳のころ