【難問】西暦3000年、人類はどうなっているのか
- ハラリが描く未来図
- バイオテクノロジーの変遷
- 人間は絶滅するのか
- ホモ・デウスが誕生する時期
- 哲学が果たす役割
- なぜ哲学的視点が重要なのか
プレミアム会員限定の記事です
今すぐ無料トライアルで続きを読もう。
オリジナル記事 7,500本以上が読み放題
オリジナル動画 350本以上が見放題
The Wall Street Journal 日本版が読み放題
JobPicks すべての職業経験談が読み放題
人類は絶滅に向かっているのか。「ポスト・ヒューマン」が意味することとは。
昨日の前編では、人類と文明、技術の変遷を辿りました。それをふまえてこそ、私たちはどこに向かっているのかが見えてくるのではないかと思ったために、このような構成にしました。
岡本先生の『哲学と人類』には「歴史は終わりを確認してこそ、始めることができる」と書かれています。
それは何を意味するのか。前後編を通して、みなさんがどうお感じになられたか、ぜひお聞かせください。
個人的な感想としては、たとえ元には戻らないとしても、技術は私たちをどこに導くのかを、短いスパンではなくしっかりと考える必要があると感じました。
人間はどうしても目の前の出来事に囚われてしまいがちです。私自身もそうですし、それを0にするのはなかなか難しい。だからこそ、「役に立たない」と言われる哲学の視点を持つことに意味があるような気がします。
哲学はどのように物事を捉えてアプローチしていくのか。哲学の営みをお楽しみいただけたら幸いです。
哲学の役割のひとつは、警鐘を鳴らすことではないか、と思いました。このまま突き進むと、将来はこうなる。だからいま、しっかりとそれを阻止しなければならないと。
もうひとつの役割は、モノやコトの本質を解明すること。人は何のために生きているのか。幸せとはいったい何か。それを徹底的に追求することです。
沙羅双樹の花の色、盛者必衰のことわりをあらわす。とかも、哲学ですね。
ひと昔前だと、「科学哲学」のような分野はそこまで哲学の本流ではなかったように思いますが、これほどに科学技術の進化が人間の生活や思想(や存在までも)を根本から覆すようになると、すべての哲学者にとってテクノロジーは無視できないものになっていくのでしょうね。
一点、ホモ・デウスへの論評は若干荒い印象を受けました。アルゴリズムが世界を支配するデータ至上主義において、人間の(知能ではなく)意識の価値が問われていたと思っています。人間は自由意思を持ち続けていけるのか、と。
学問って、突き詰めると歴史と数学に集約されるし、さらにそれを集約すると哲学に集約されると思ってます。そもそも学問って哲学から始まっていますしね。10年20年続くような問いや命題を立てて考え続けることが哲学の役割。そういう意味で、ハラリのたてた問いは深淵すぎて、圧倒的に影響を受けました
マイニュースに代わり
フォローを今後利用しますか