2021/1/18

【高原豪久】言葉ではなく、行動で人を評価する

ライター&編集者
2001年に39歳で社長に就任。当初はその経営手腕を不安視されるも、圧倒的な実績で外野の雑音を跳ね返したユニ・チャームの高原豪久社長。

生理用品や紙おむつなど国内の事業基盤を強化するとともに、新興国を中心とする海外展開を加速。80を超える国や地域に進出して現地ニーズを掘り起こし、社長就任時に約1割だった海外売上高比率を約6割に、売上高を3倍にするなど、同社を大きく躍進させた。

なぜ創業者である父のカリスマ経営から、社員が自立的に動く全員経営へと転換できたのか。海外戦略、急成長を支えた人づくりなど、社長人生20年で培われた経営の要諦を語る。(全7回)
高原豪久(たかはら・たかひさ)/ユニ・チャーム 社長
1961年愛媛県生まれ。成城大学経済学部卒業後、三和銀行(現・三菱UFJ銀行)を経て、91年ユニ・チャームに入社。台湾現地法人副董事長、サニタリー事業本部長、国際本部担当、経営戦略担当などを歴任後、2001年6月、社長に就任。

小学校を3回転校

私は1961年、愛媛県で生まれました。長男でしたから、自分が高原家を守っていかなければならないという意識は、幼い頃から自然と芽生えていました。
祖父は大阪での丁稚奉公を経て、故郷の四国へ戻り、紙の卸売りや製紙会社を経営したり、地元の市議会議員をしたりしていました。
父は長男でしたが、やはり愛媛で起業し、今のユニ・チャームをつくりました。私自身が愛媛で過ごしたのは幼少時代と小学校の3年間だけですが、地元意識は非常に強いです。
父・高原慶一朗氏(写真:時事)
父は忙しく、ほとんど家にいなかったので、キャッチボールをした覚えもなければ、父子鷹のように帝王学をたたき込まれたということもありません。
仲が悪いわけではないのですが、離れている期間が長かったせいか、ウエットな親子関係ではなかったですね。
私は小学生のとき、家庭の事情などで3回転校しています。小学1年は愛媛で、2年は東京、3年、4年は愛媛に戻り、5年、6年はまた東京の小学校です。
方言をからかわれたことはあったものの、転校はそれほど苦痛ではなかったですね。環境が変わったほうが友人も増えますし、いろいろな発見や刺激があります。
転校が多かったことが何か人格形成に影響しているか?
そうですね、あまり人見知りはしませんが、場の空気を読み、慎重に接したりというのはあるかもしれませんね。

仕事ぶりや複数の評判で人を判断

大人になるにつれ、社長の息子であるがゆえに「こいつを利用してやろう」という目的で近づいてくる人もいました。社内でもありました。「将来の社長を取り込んでやろう」とか。それは敏感に感じるというか、鈍感でも分かるくらい(笑)。
こうした周囲の態度が心地いいわけはありません。でも創業家の長男として、どんな環境に置かれても、最終的に投げ出すことだけはできないという覚悟がありましたから、必要以上に気にはしませんでした。
一方で、うちの父はアピールする社員がかわいくて評価していました。確かに懸命にアピールしてくるのは、意欲のあらわれではあります。
ただ、多くの場合、言葉ばかりうまくて、行動が伴わない。