2021/1/21

【宮田裕章×矢野和男】人の「変わらない欲求」の理解から、“データ×AI革命”は始まる 

NewsPicks, Inc. Brand Design Editor
 昨今、データ×AI活用の重要性が叫ばれて久しいが、日本企業の多くはまだインパクトのある成果を生み出せていない。
 その原因について、「そもそも何のために技術を使うのか」という目的が抜け落ちているからだと指摘するのが、医療やヘルスケア分野を中心にデータを活用した社会実践に挑む慶應義塾大学医学部教授の宮田裕章氏と、15年以上前からデータ×AIを駆使し、“ハピネス(幸福度)”の定量化研究で世界をリードしてきた日立製作所フェローの矢野和男氏だ。
 では、我々はいかにデータ×AIに向き合い、新しい未来を描けばいいのか。そもそもデータ×AIにできること、できないこととは何か。
 ともに人間の幸せやウェルビーイングのためにテクノロジーを活用してきた二人が、データ×AIの本質と未来について語り合う。

そもそも何のために「データ」を使うのか?

──コロナ禍の対応で、FAXによる陽性者情報の登録、給付金の一律配布などから、日本全体のデジタル化の遅れが露呈しました。日本のデータ活用の現状について、どのように捉えていますか?
宮田 そうですね。確かにコロナ禍の対応では、本来ならデータを駆使して個別対応すべきことができずに、世界から大きく後れを取りました。
 すでに世界では、行政サービスから企業のビジネスモデルまで、先を行く取り組みは一律対応から個別対応にシフトしている。人々の暮らし全般において「ダイバーシティ&インクルージョン」は重要な目標になっています。
 例えばドイツでは、オンライン申請から数日で支援金が振り込まれるなど、対応が非常にスピーディでした。デジタルを活用することで、一人一人の痛みに応じて、必要なタイミングで必要な支援を届けることができたわけです。
 こうした個別対応が可能なのは、データをうまく活用できているから。
 一方、日本でも特別給付金の施策がありましたが、マイナンバーカードがない人はオンライン申請できず、多くの人が郵送申請せざるを得なかった。そのため、給付作業に数ヶ月かかった上、事務費に1500億円も費やしてしまいました。
──日本がデータを最大限に活用できなかった原因はどこにありますか?
矢野 「そもそも何のためにデータを使うのか」を、理解できていなかったからでしょう。
 技術ありきで考えるのではなく、まず初めに「人間や社会をどう変えていくのか」という発想からスタートする。その中で技術をどう位置づけていくかを考えないと、目的と手段が逆転してしまう。
宮田 同感です。日本ではDXだIoTだと提唱されていても「データを使って何を実現したいのか」という重要な部分が抜け落ちているケースがあります。
 DXに限っても、目的は人間が豊かに生きることであり、デジタルはそれを実践する手段でもある。しかしながら、どうしても「デジタル」という言葉に引きずられて、手段が目的化してしまうケースが多い。
 きたる次の社会は、データやAIを手段として活用しながら「多様な生き方」が実現できる世の中にシフトチェンジしていくべきです。

人は「幸せ」を求める生き物である

宮田 産業革命以降の社会では、社会システムにおいて経済合理性は非常に大きな軸でした。
 しかしコロナ禍によって、命の重みや人権の問題、格差の存在などに目が向けられるようになった。経済合理性以外にも様々な重要な軸があることが改めて認識され、社会のあり方が問われている。
 だからいま、人々の多様な「ウェルビーイング」をどのように実現するのか?という視点が重要になっているのです。
矢野 以前は、私たちが「ハピネス」や「ウェルビーイング」といった言葉を出すと、「そんなものは哲学や宗教の領域で、ビジネスには関係のない青臭い理論だ」という反応が返ってくるのが日常でした。
 それがパンデミックという非常事態に直面し、日常生活や企業活動が制限される中で、「どれだけ世の中が変化しても、変わらないものがある」ことに人々が気付かされた。
 それは「人は幸せを求める生き物である」ということです。では自分にとって幸せとは何か、その幸せを実現するにはどうすればいいのか。
 この本質的な部分を、多くの人が見直す機会になったのではないでしょうか。
宮田 人は理解できないことを、そういった考え方で脇に追いやって、片付けてしまうのかもしれませんね。
 私も「一人一人の多様な生き方を響き合わせて、社会をともに創る」ということを目指してきたので、よく分かります。「そんなものは綺麗事だ」と散々言われましたから。
 でも綺麗事だからこそ、実践しなければ説得力がない。だから医療やヘルスケアの分野を中心に、現実を改善するため様々な実践を行い、新しい社会の楔として打ち込んできました。
 私が矢野さんをリスペクトしているのは、綺麗事と言われがちな“幸せ”を定量化し、データで実証し続けているからです。
矢野 数値を測定して定量化することは、非常に大事です。測定しないと、定性的な水掛け論に終わってしまいますから。
 どんな要素が人間の幸福度に影響を与えるのかも、データを測らないと明らかになりません。
 例えば私たちが様々な職場で働く人たちの行動を計測した結果、組織の幸福総量は、9割以上が「人間関係」に関連することが判明しました。
 相手に笑顔で接したり、相手の話を頷きながら聞いたりといった行動は、自分のためではなく人のためにやっていますよね。
 こうした「誰かのため」の行動がたくさんあって、他人との良いつながりが多い職場ほど、組織の幸せの総量も多くなる。
 そのことがデータから明らかになりました。
 これはつまり、人間は自分一人では幸せになれないということ。データを見ていると、「幸せは天下の回りものなのだな」とつくづく思います。
 「自分だけが幸せになればいい」と考えて行動する人が本当に幸せになれるかというと、私たちのデータとはまったく整合しないわけです。
宮田 これもデータを測定したから示せるエビデンスですね。「人間は一人では生きられない」とよく言いますが、それを矢野さんのデータが裏付けたことになります。
──抽象的な概念である「幸せ」を、どのように定量化しているのでしょうか?
矢野 スマートフォンやウェアラブル端末に搭載した加速度センサーで、無意識の身体運動から幸福度を計測しています。
 “何によって幸せになれるか”という手段としての幸せは人によって異なるので、定義はできません。
 一方で、幸せに伴って生じる体の反応は共通しており、中でも筋肉の動きは体の外からでも認識することができます。
矢野 ただ、簡単ではありません。
 例えば1000人のデータを集めて統計解析をして、幸せな人の特徴を抽出したとしますよね。
 そのデータには、人を蹴落として、自分だけ幸せになっている人も入っているかもしれない。それでは、全体の幸せの総量を増やす要因は分からない。
 だから、一人一人のデータを解析するだけでなく、他者との関係性も含めてデータを分析する必要がある。
 以前はその作業が難しかったのですが、今は関係性も含めた大量のデータにより扱えるようになった。
 私たちは世の中に先行して、この関係性を含めた大量のデータを計測してきましたが、その結果ようやくハピネスやウェルビーイングの本質が見えてきたところです。

AI活用「3つの段階」

宮田 やはりデータのボリュームは大切ですね。加えて重要なのが、AIの使い方です。
 ある調査でAI関連のプロジェクト成功率は10%強という結果が示されています。失敗するプロジェクトの原因としては、AIに対する過剰な期待である点が挙げられていました。
 「AIか、人間か」のレベルまで達していない段階では、AIを人間の輪の中に入れてうまく使っていく必要があります。
 またAIの強みは、多様なものを多様なまま扱った上で、平均値ではなく一人一人に合ったソリューションを提供できることです。
 今後の更なる発展に向けて重要となるのは、こういった強みを活かすことができるかどうかだと考えています。
矢野 同感です。私はAIの活用には「3つの段階」があると考えています。
 第1段階は、統計学的にデータを使う。
 人間の行動データであれば、平均的な挙動を割り出して明らかにする。これは一律のルールやガイドを作る際には有効な使い方です。
 第2段階は、先ほど宮田さんがおっしゃったように多様なものを多様なまま見る、つまりデータを個別化して使う。
 人間が正解を与えた上で機械学習させる「教師あり学習」によって、個別の事象に対してそれぞれどのような成果が得られるかを予測する使い方です。
 ただしこの段階における最大の限界は、「所詮データは過去のものである」という点です。
 過去のデータを使って、本当に未来が判断できるのか。これはAI研究をやっている人が一番聞かれたくない質問。
 なぜなら、答えは「No」だからです。
 生理的なものや物理的・化学的なものなど、普遍的なものを扱う領域に限れば、答えがYesになるケースもあります。 
 これらは人の好みや世間の流行りに影響されないので、今年導き出した法則は来年になっても変わらない。
 それに対し、ビジネスで扱うソーシャルなものは変動が激しいので、未来予測には使えません。例えば、コロナ前のデータがコロナ後のマーケティングに使えるとは、誰も思いませんよね。
宮田 私も様々な方々から「大量のデータがあるので、何かに使えませんか」と相談を受けることがあります。
 しかしながら、現在と切り離されてしまったデータはすぐ過去のものになってしまうので、なかなか難しいんですよ。実践の中で現実とリンクしながら磨かれているかどうかが重要ですよね。
矢野 それがまさに第3段階です。
 過去のデータにできるのは、過去の延長線上にあるものを示すことだけであり、それは必ず未来とは乖離する。
 それを前提とした上で、過去との乖離が見られた時に、「予測が外れた」と考えるのではなく、「過去の延長線上とは異なる現実が起こっている」という事実をいち早く正確に捉えるレーダーとして使う。
 そうすれば、予想外の事態に対して人間は優先的かつ迅速に対処できます。つまり「人間の判断を後押しするため」にAIを使う。これが3つめのレベルです。
 新たな兆しとして過去との乖離が見えてくる段階では、まだデータ数が少ないので、必ずしも重大なことが起こっているとは言い切れません。
 それでもあえて前に踏み出し、未来を能動的に作っていく。人間が不確実なものや予測不能なものに対して行動し、道を切り開いていくことが、ウェルビーイングの本質だと私は考えます。

生物が常に学び続けていると、必然的に多様になる

宮田 データが大量にあればいいのではなく、最終的にどう使うかという目的を理解しないと、データは人間や社会のために活用できるものとして磨かれていきません。
矢野 ただしそれを実践するには、かなり幅広いスキルが求められます。
 機械学習に詳しいとか、開発言語のPythonが使えるといったことも大事ではあるのですが、一番重要なのは「人間を知る」ことです。
──「人間を知る」とは?
矢野 時代や環境が変化しても、人の根源的な欲求である「変化しないもの」を理解することです。
 例えば、人は環境によって、行動や性格は変わりますよね。一方で「人は幸せを求める生き物」であるということは変わらない。
宮田 これからは様々なビジネスにおいて、データで一人一人を捉えて体験価値を高めることが必須となる。だからこそ、「人間を知る」ことは必要不可欠です。
これまでの社会は「最大多数の最大幸福」を目指していましたが、集団平均ではなく個別化に対応する「最大多様の最大幸福」が社会の指標になっていくでしょうね。
矢野 なぜ多様性が大事かというと、人間が学び続けていることの証だからです。
 自然界に目を向けると、木も花も鳥も虫もたくさんの種類が存在して、とても多様ですよね。
 それは生物たちが生きるための方法を色々と試しながら、より環境にフィットする体や姿形に進化してきたから。
 つまり生物が常に学び続けていると、必然的に多様になる。裏を返せば、一律であるということは、学んでいないということ。
 昨日と同じように行動し、昨日と同じように仕事をして、昨日の自分と同じように生きる。一律とは、そういうことです。
 20世紀の工業化社会では、均一で標準化されたモノが全員に一律に行き渡ることがいいことだというマインドが人々の間に醸成されました。
 日本ではまだその価値観が残っていて、会社の運営や職場の業務も一律のルールや仕組みでやってきたわけですが、生物としての原点に立ち返れば、社会にどれだけの多様性が生まれているかを人間社会の進化の指標とすべきです。

日本の大企業が生み出す社内スタートアップの可能性

──日本企業がデータ×AI領域で遅れを取り戻すためにも、企業はどのように意識や行動を変えていくべきでしょうか。
宮田 矢野さんのように、まずは企業のトップがデータ×AIの本質を理解することが重要でしょう。
 トップがデータ×AIの本質を理解していない限り、日本の優れた技術も無駄に終わってしまいますから。
矢野 シリコンバレーの真似をするのではなく、日本の大企業から新しい価値に挑戦する人が増えれば、大きなインパクトのある成果を生むことも可能だと信じています。
 私は昨年7月に、「ハピネスプラネット」を新たに立ち上げましたが、日立の資本が入りながらも本体とは離れた出島のような組織で、新規事業の創出がミッション。
 10人程度の小さな組織なので、機動力を活かして自由にチャレンジすることが可能です。
 かと言って、日立から孤立無援で放り出されたわけではなく、今後も必要に応じて本体のリソースが活用できます。約10億円の資本金で始められたのも大企業の社内スタートアップならでは。
宮田 強大なネットワークやインフラを使いながらチャレンジできる社内スタートアップには、大きな可能性がありますよね。
 ハピネスプラネットが成功モデルになれば、日本企業のポテンシャルはきっと大きく跳ね上がりますよ。
矢野 ありがとうございます。大企業がリソースを現状維持のために使うだけでは、日本に活力は生まれませんよね。新しいものを生み出し、社会を変えていくために、私たちもチャレンジを続けていきます。