2020/12/5

【BCGDV 平井】トップが心がけている「たった一つの大事なこと」

フリーランスエディター・ライター(Editor,Journalist)
2016年春にBCG Digital Ventures(BCGDV)東京センターの創設をリードし、開設後は同センターのジャパンヘッドに就任した平井陽一朗氏。

20代の頃にコンサルタントとしての腕を磨いたボストン コンサルティング グループ(BCG)へ出戻り、デジタル領域における事業開発で世界に挑む。

7つもの職場を経験してきた平井氏は、「生まれながらにして、飽きっぽい。常に新しいことに没頭したい」と語る。タフなキャリアを切り開いた仕事の哲学とは。(全7回)

自分ができることを精一杯やる

転職や転籍もカウントすると計6回。次々と職場を変えてきた僕にとって、会社の名前や肩書は、もはやあまり気にならないものになってきました。
要は、どこにいるかより、誰と何をしているか。「うちの会社だから、これはできない」と枠を決めずに、自分ができることを精一杯やる。それでいいじゃないかと、最近は開き直っています。
2012年にBCGに再入社してからも、「コンサルティングファーム」という枠はほとんど気にせず、事業をつくることにフォーカスしてきました。
社外からエンジニアやデザイナーを連れてきてアプリをつくったり、通常のコンサル業務の枠を超えたサービスを開発したり。規格外のアウトプットをどんどん出していきました。
「BCGでも自前のサービスを立ち上げることができる」というのは、コンサル業務に注力してきた同僚にとっては驚きだったかもしれません。
これはまさに僕が今ジャパンヘッドを務めるBCG Digital Ventures(BCGDV)東京センターの役割です。BCGDVは、デジタル系の新規事業の創出に特化した部隊なのです。
僕は人の上に立つことを志向するタイプではないので、東京センターのリーダーの話が出た時、物陰に隠れていました。
「他にやりたいと言っている人がいれば、その人に任せればいいや」くらいに思っていたのですが、BCGのCEOであるリッチ・レッサーが僕の経歴を見て「なぜ陽一朗がやらないのか?」と。
その後、BCGDVのグローバルトップにも話がつき、僕がジャパンヘッドに就くことになりました。
平井陽一朗(ひらい・よういちろう)/BCG Digital Ventures マネージング・ディレクター&パートナー ジャパンヘッド

1974年東京生まれ。米国の公立高校を卒業後、東京大学経済学部卒業。三菱商事を経て、BCGに入社。その後、ウォルト・ディズニー・ジャパン、オリコン副社長兼COO、ザッパラス社長兼CEOを経て、BCGに再入社。同社パートナー&マネージング・ディレクターを経て、BCGデジタルベンチャーズ(BCGDV)東京拠点を立ち上げ、現在はBCGDVマネージング・ディレクター&パートナー ジャパンヘッドとして同拠点を率いる。デジタル領域における企業・事業戦略や事業開発などを中心に数多くのプロジェクト、事業立ち上げを手掛ける。
この連載でもさんざん「僕は飽きっぽくて、一箇所にとどまれない」と言ってきたので、「今度は長続きするのか?」と心配される方もいるかもしれません。
しかし、ありがたいことにBCGに戻って9年弱、BCGDVを立ち上げて5年弱が過ぎました。コンサルティング業務から新規事業の開発、ジョイントベンチャーの設立まで、あらゆる形態の事業づくりができるから、まったく飽きることがない。僕にぴったりの最高の職場を得られたようです。

リーダーとして心がけてきたこと

先ほど、「リーダーになりたいとは思わない」というふうなことを述べましたが、人の上に立つ立場になった時に心がけてきたことが一つだけあります。