今こそ、暗黙知を形式知に。メンター必須の時代が来た
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【 移住し非正規として働き法人運営。臨床と研究 】
<< DX for Japan : Concepts worth spreading >>
〔 http://www.sunverdir.com/D4J 〕
北野唯我さんのForbes JAPAN書き下ろし寄稿が濃密なので取り急ぎシェア。言語・体系化が難しい暗黙知と形式知を、臨床と研究に置換し、それらをビジネス軸に据えて書き進め、「共通の問い」を立てられるメンターは不可欠。そのようにフィニッシュする構成は軽妙洒脱。そうして最終ページで北野さんは
現代とは「良きメンター不足の時代」なのではないか?――。
と問うように、不確実性に富む現代を生きる私たちは、メンターを探すより以前に、自らをメンターに育てる努力が必要不可欠。
2006年。年俸1本超の管理職ポジションを離脱し地方へ移住。以降はフットワークの軽い非正規として、主に大企業のブランチに勤務し暗黙知を深めるための臨床を継続する傍ら、大企業(地方の中小企業では稀)ならではの完全週休2日と有休完全取得の利を活かし、形式知を深めるための研究機関を兼ねる法人を運営している私。座右之銘は、天は自ら助くる者を助く――。
折しも新政権を指揮する菅さんの理念「自助・共助・公助」 が個人切り捨て!として批判する向きはありますが、自由意志で退職、移住、転職を繰り返し、社会起業に勤しむ者にとって、とても自然なことだと感じています。もとい。北野唯我さんのForbes JAPAN書き下ろし寄稿に気づかされることは、山の如し。いま私が立てる「共通の問い」は、岡山版「スーパーシティ」構想。
なぜスーパーシティなのか? 菅首相「地銀多すぎる」発言が報道される中、地銀みな様「スーパーシティ」構想を静観している事象は私にとって不思議でなりません。あらためて地銀のボードみな様は、天は自ら助くる者を助くの精神のもと、地方版「スーパーシティ」構想の実現という「共通の問い」を立ててみては、いかがでしょうか。
札幌~東京~大阪を経て地方へ移住しキャリアチェンジを繰り返す傍ら、SDGsからSociety 5.0を研究するNPO法人を運営する私の個人屋号は『 働き方改革 lab. 』。「誠の働き方改革コンサルタント」というキャッチは案外、まともかも知れませんね(笑)。お時間ある時よろしければ!
注目のコメント
ナレッジマネジメントの大家である野中郁次郎先生(一橋大学名誉教授)は私がいたトヨタ自動車も研究対象にして、暗黙知を形式知化しながら企業内に知識を蓄積していくSECIモデル(Socialization、Exterbalization、Combination,
internalization)をつくられました。
トヨタ自動車について、世間では「カイゼン」が有名ですが、それと並んで社内では「横展(ヨコテン)」という言葉も良く使われます。
「横展」はある部署で成功した事例を社内で共有化(Socialization)して、誰でも分かるように視える化(Exterbalization)するというSECIモデルの前半部分を指しています。
また、職場先輩制度が行われていて、新入社員を手取り足取り指導します。今でいうメンターですね。
会社を辞めて分かったことですが、「カイゼン」「横展」「職場先輩」といった一見地味なことをクソ真面目にやってきたのがトヨタであり、カッコいい横文字を使って表面的になぞっている会社との違いなのだと思います。Forbes JAPANさんに寄稿しました。
「チームで成功事例をシェア」
「暗黙知と形式知を現場に落とす方法」
など、人材開発や経営に関わる方からするときっとお楽しみ頂けると思います。私がトシをとったからか難しく感じます。メンターですか。
いわゆる「メンター」を周囲に見つけるというのは容易なことではないかもしれません。なぜなら周りにいる方々も自分がどう進むべきか間違いなく悩み、迷っているはずだから。
一方で、過去に出会った師の言葉を心の中に大切に持っておくということはひとつ重要なことだと思います。いつの時代も物事の神髄はそんなに大きく変わるものではないと私は思いますし、そういう普遍的な言葉はいつの時代にも生きるからです。私にとってのビジネス上の師は最初に勤めた会社にお二方おられました。そしてそれ以降は一名も現れていません。すなわち30代以降はそういう存在にお会いできていません。
もうひとつは、自分がかくありたいと決めた際の思いをいつのときも優先するということが挙げられると思います。私であれば高校一年生のときに人間活動がもたらすマイナスの部分をプラスに転じようと誓ったとき。湾岸戦争をTVを通じてみたときのことでした。何かこういった強烈な原体験があると、この年齢になってもひとつの評価軸からぶれませんし、ぶれたときに「あ、違うことをしている」と気づくことができます。
なので、メンターといったとき、それは自分自身でもあり、また過去に出会った方々のことなのかもしれません。そういう意味でも自分自身を強く持ち、人との出会いを大切にすることがいつのときも求められるような気がします。