【塩野誠】デジタルテクノロジーと権威主義国家#3/6

2020/10/9
「テクノロジーを知らずして、未来を語ることはできない」とよく言われる。しかし、現代は、国際政治への理解なくして未来を語れない時代となった。

ファーウェイやTikTokが米国から追放され「米中新冷戦」とも呼ばれる状況の中、日本はどう振舞うのか。GAFAは政府のように公共性を担う存在になりえるのか。SNSで投票を操作できる世界で、民主主義は成立するのか。

様々な論点を一つの物語として描き出す新刊『デジタルテクノロジーと国際政治の力学』(塩野誠著)の各章前半部分を、お届けする。
「アラブの春」という楽観
その若者の名前はムハンマドといった。失業中の26歳の青年は家族の生活のために、スィディブジドの街の路上に白い屋台を出して果物を売っていた。地元の警察は路上のムハンマドに執拗に賄賂を要求し、売り物を没収した。若者は怒り、ついには役所の前で自らの身体に火を放った。
2010年12月17日、失業中のチュニジア人の青年が自らの身体に火を付け、腐敗した警察に対し自らの身体を犠牲にして抗議した。チュニジアは北アフリカの国であり、地中海を挟んでイタリアのシチリア島の対岸にある。この青年の事件を発端として、チュニジアでは全国規模で政権打倒のデモが起こり、翌年2011年1月14日には23年間続いたベン・アリ大統領の独裁政権が倒れるに至った。このチュニジアの民主化運動は「ジャスミン革命」と呼ばれ、これに続いたエジプトの大統領退陣、リビアの政権交代といった民衆による反政府運動は「アラブの春」として世界中の注目を集めた。
体制に不満を持つ民衆にとって何よりも大きなパワーとなったのがフェイスブック、ユーチューブ、ツイッターといった米国製のソーシャルメディアだった。この現象は、インターネットが各国の民主化に寄与すると考える者、またはそう願う者を活気づかせた。チュニジアでは2011年の民主化運動の時期、フェイスブックのユーザの85%以上がこの民主化運動を支援するために同サービスを利用していたとされる。
インターネットは個人にパワーを与えた。自らの権利を黙殺されてきた人々は、世界に向かって声を上げ、多くの仲間とつながり、正しく開かれた情報にアクセスできるようになった。
「自律・分散・協調」という技術的コンセプトを根幹に持つインターネットが社会と対峙したとき、個人が自由かつ民主的なパワーを手にすることは宿命づけられていたように見えた。黎明期より言われる「インターネットによる民主化」である。抑圧されていた人々はついに自由のためのテクノロジーを手に入れたのだ。そのテクノロジーを象徴するサービスであるフェイスブックやツイッターが自由と民主主義のリーダーを自任する米国から出て来たことは、おおいに米国のプライドをくすぐったことだろう。
しかしながら、デジタルテクノロジーは個人が独占できるものではなかったことを2020年代に生きる私たちは知っている。アラブの春から数年後、各国の政治学者たちが「独裁的な権威主義国家とデジタルテクノロジーは相性が良過ぎる」と語るまでに長くはかからなかった。
権威主義体制(authoritarian regimes)とは、全体主義と民主主義の中間に位置する体制である。多くの利益集団や要素といった多元性を限定しつつ、特定少数の指導者や集団が政治権力を掌握する。独裁政権を倒し自由を望む民衆と同様に、現体制を維持したい独裁者や権威主義国家もまたデジタルテクノロジーを手に入れたのだった。
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*塩野誠氏は、株式会社ニューズピックスの社外取締役です。