ルールを作ったら企業は崩壊!? 働く人を幸せにする幸福経営とは

2020/8/31
働き方改革の文脈から、従業員満足度の向上や「働きがい」に注目が集まり、それが企業の成長にもつながるという考え方が浸透し始めている。

そんな中で起きた新型コロナウイルスのまん延。物理的な距離が取れない中でも社員のモチベーションを高めチームワークを維持する企業もあれば、そうではない企業もあり「コロナ格差」が生じている。

どんな状況下でも、従業員との高いエンゲージメントを維持しながら、従業員にやりがいや働きがいを感じてもらうためには何が必要か。

元はエンジニア、現在は慶應義塾大学で「幸福学」を研究する異色の教授、前野隆司氏に「幸福×経営」と、これからのリーダーが持つべき考え方を伺った。
──ロボットを研究していた前野先生が、「幸福学」に着目したきっかけは何だったのでしょうか。
人が幸せになるために作っているはずのプロダクトやサービスに、設計段階で「幸せの要素」が入っていない欠陥に気づいたんです。
私が幸せについて本気で考え始めたのは、便利さや使い勝手を中心に考える「人間中心設計」が重視され始めた頃。
本当に人間中心なら人の幸せを追求するべきなのに、その頃の設計思想が追い求めていたのは、人が望んでいないかもしれないスペックや機能ばかりで、使う人の幸せを考慮していないと感じていました。
きっとそれは、私たちが幸せの要素を分かっていないからだと思い、今から約12年前、幸せを「分解」し始めました。
──日本でも社員の幸せを考える企業が増えてきたように思います。「幸福経営」はなぜ最近になって必要とされるようになったのでしょうか。
まず、「幸福学」が学問として確立し、研究が進んできたことが挙げられます。
人はポジティブでモチベーションが高い状態ならパフォーマンスを発揮できるけれど、逆の状態ではストレスで鬱になるなど、さまざまな問題が生じることが明らかにされてきた。
つまり、人の心がビジネスに影響することが分かってきたんですね。
それと同時に社会で起きていたのが、人間の心を考慮しない合理主義経営の限界。これが問題視されるようになって、働き方改革や健康経営といった言葉が出てくるようになった。
こうした学術的背景と社会背景が合致して、一気に幸福経営が進むことになりました。
経済が成長しているときは、「金・モノ・地位」を供給し続けることによって幸せを感じられたかもしれません。
でも、現在のような低成長時代はそうはいかない。「金・モノ・地位」に代わる幸せとして、「やりがいや感謝、人とのつながり」といった、心に響く、“エモい”ものに幸せを感じるようになる。
そのことにみなさんが気づき始めたんだと思います。
──前野先生は、長続きする幸せには「4つの因子」があると提唱されています。企業のリーダーは、この4つの因子を踏まえてどんな人づくりや組織づくりをする必要がありますか?
まず経営者には、パラダイムが変わったんだということを、しっかり理解してほしい。
報酬でがむしゃらに働かせればよかったのは昭和の話。人がパフォーマンスを発揮するには、エンゲージメントやモチベーション、感謝、ポジティブさなどが必要だと、科学で検証されているんです。
だから、マネジャーも仕事を目先の効率で分配するのではなく、個々と向き合ってエンゲージメントやモチベーションなどを考慮した上で、その人に合った仕事を任せてほしい。
これは決して従業員のためだけではなく、ビジネスとしてもその方が長期的に見るとはるかに効率的になります。
「人をロボットのように扱う合理性」と「人の心の特性を考慮した合理性」の違いを把握し、リーダーシップのあり方がエビデンス付きで明確に変わったことを理解してほしいですね。
──そうなると、よりマネジメントは難しくなるように思います。
いえ、何も難しい話じゃありません。社員を家族だと思えばいいんですよ。
「合理的な仕事の分配」と「人の心の管理」の両方をやると考えたら難しく思うかもしれませんが、家族が成長するために役割を渡して、稼げるようにしていくのと同じだと思えばいいだけの話なんです。
メンバーを信じてやる気が出るように共に歩むために、業務連絡ではなく、大切な家族だと思って「対話」をしてください
家臣から慕われていた武田信玄が「信頼してこそ、人は尽くしてくれるものだ」という言葉を残しているように、メンバーを信頼して大切に思うことがすべて。
100人の部下がいるなら、100人のかわいい娘と息子がいると思い込めばいいのです。
──前野先生が「社員を幸せにする幸福経営」を実践している企業を挙げるとしたら、どの企業でしょうか。
長野県伊那市にある寒天メーカー・伊那食品工業さんが第一に思い浮かびます。
「いい会社を作りましょう」を社是に、社員にとっても社会にとってもいい会社にすることを第一に考えている会社で、社員に売り上げ目標は課していないんですね。
それでも、正しい努力をしていれば会社は報われるという考えで、48期増収増益を実現させています。
伊那食品工業のすごいところは、トップが社員を本当に家族のように大切にしていること。
だから社員はその思いに一生懸命応えるし、その一生懸命さにトップは感謝の思いとして福利厚生をどんどん充実させている。感謝と幸せがループしているんですね。
また、役割分担も主体的で、たとえば販売の人が「人手が足りない」と言えば、製造の人が自ら手伝いに行くし、会社の敷地内に併設している寒天レストランやショップ、ホールで地域の人に気持ちよく過ごしてもらうために、朝早く出社して掃除をする人は少なくない。
そこまで社是や理念が浸透するには時間がかかったと塚越寛最高顧問はおっしゃっていましたが、最高顧問が徹底してきたのは、何かに迷ったときは「相手が家族ならどうするだろうか」と考えること。
家族で話し合いをするときにプレゼン資料なんて作らないから、社内の会議も資料は作らない
創業時は技術も資金もない零細企業だったのが、売り上げや利益は求めず、従業員を本当に家族だと思って何十年も貫いた結果、今では寒天業界のトップ企業になっています。
つまり、幸福経営が長期的に社員を幸せにすることを、この会社は証明してくれているのです。
──幸福経営に何か細かい手法が必要なのではなく、一本の筋の通った考え方が必要なのですね。
幸福経営にルールやマニュアルは一つも必要ありません
ルールやマニュアルを作り始めると、どんどん巨視的な視点が失われ、どんどん細かいところに目が行くようになり、やがて承認やハンコが必要な書類であふれてしまう。
よく、ベンチャーの頃は幸せだったけれど、上場してルールまみれになって居心地が悪くなったという話を聞きますよね。
トラブルやミスがあると、ついルールを作りたくなるかもしれませんが、極論すれば、ルールを一つ作ったら「おしまい」です。
その瞬間から「不幸せ経営」が始まることを忘れないでください。
必要なのはルールではなく、心底信じて任せること。すると余計なプロセスがなくなって決断も早くなり、いいことだらけになりますから。
──幸福経営をしていたけれど、途中から不幸せ経営になった企業はありますか?
伊那食品工業のような幸福経営を目指している企業の中で、中途半端にやってしまってダメになったケースはいくつか見ました。
既存のルールが半分なくなって、理念が半分の人に浸透したような状態だと、内部での反発や衝突が起きてしまうんです。
また、幸福経営をやっていた社長が退いた途端に、一気に普通の合理主義経営になった会社もあります。
たとえば、幸福経営をしていた企業の市場が成長期に入り、重役たちは「自分たちならもっと成長企業を作れる」「もっと稼げる」と思うようになって、社長を退かせる。
すると、一気に合理主義経営に転換して一時は成長するのですが、従業員の長期的な幸せよりも「金・モノ・地位」を優先する、従来型のパラダイムになってしまう。
今回のコロナ禍のような危機的状況に陥ったとき、幸福経営で幸せな企業は社員が一丸となって乗り越えようとしますが、不幸せ経営をしている企業は簡単に崩壊します。
コロナ禍は、現代社会の良い点と悪い点を、拡大して見せてくれる機会になっていると思います。
──幸福経営をするのに適した企業規模はあるのでしょうか?
いろんな会社を見てきましたが、本当に幸せな企業は100人や200人規模が多いです。伊那食品工業は約500人規模なので珍しいケースです。
中小規模の企業が多い理由としてあげられるのは、創業社長がいるケースが多く、目が届きやすいから。そういった企業が本気になれば、本当に幸せな会社になれると思いますよ。
一方で、日本的な大企業は雇われ社長が多いですよね。
そもそも利益を出すことで出世してきた人たちが多いので、社員が幸せになる会社に変えようという発想を、なかなか持てないと思います。
経済成長から縮小均衡へとパラダイムが逆転しているので、経済成長の時代は大企業が優位だったのが、縮小均衡で幸せが重視される今は中小企業が優位に立つ。
だから、これからしばらくの間、幸福経営をリードするのは中小企業で、大企業に広がるのはもう少し時間がかかるのではないかと思います。
──大企業の幸福経営は難しいのでしょうか?
大企業でも、人を人として大切に思い、社員を幸せにするという意識変革ができれば、幸福経営は難しいことではありません。
ここで言っている大企業とは、日本的な長い歴史を持つ大企業のことで、アメリカのGoogleやAmazon、Salesforce.comなどは違います。
GoogleやAmazon、Salesforce.comは、20〜30年前にシリコンバレーで誕生し、そこに優秀な人が集まって大企業に成長しました。
日本の大企業と違うのは、合理的だけどテクノロジーをうまく活用して働く従業員が幸せになる、現代的な幸福経営をされていること。
そもそも、アメリカのForbesが「従業員のウェルビーイングを考えない会社は存在しない」と言い切るほど、アメリカでは幸福経営が常識です。
それがようやく日本に入ってきて、注目されつつあるというのが現状。この流れは止まりません。
日本では、従業員エンゲージメントを測るクラウドサービスを導入している企業は一部だと思いますが、社員が幸せになるにはエンゲージメントを高め、オープンなコミュニケーションを活発化させ、感謝を伝え合う文化を作る必要があります。
そのために、テクノロジーを駆使したサービスを活用することも、幸福経営に近づくための一歩だと思いますよ。
働く人をロボットとして扱う時代はとっくに終わり、いまや人を人として扱って幸せを追求する時代になりました。
人が本来あるべき姿に戻るチャンスだと捉えて、人を管理する「不幸せ経営」から脱却してほしいです。
すべての企業が早く幸福経営の良さに気づいて、シフトすることを心より願っています。
(文:田村朋美、編集:木村剛士、デザイン:月森恭助)