【清明祐子】事業はエクセルの数字では動かせない

2020/7/15
2019年4月、マネックス証券の社長に清明祐子氏が就任した。
現会長の松本大氏がネット専業証券として創業してから20年。メディアでは「ネット証券初の女性社長」「41歳の若さ」という見出しが躍り注目を集めたが、本人に気負いはなく「自分はごく平凡な人間」だと語る。
カリスマ経営者から後任を託された清明氏とはどんな人物なのか。そのキャリアの軌跡を追いながら、「松本大のマネックス」から「みんなのマネックス」を掲げる経営哲学を聞いた。(全7回)

銀行からPEファンドへ転職

三和銀行は私が入行した翌年の2002年に、東海銀行と合併してUFJ銀行となりました。
梅田支店で法人営業を3年間務めたあとは、東京本部のストラクチャードファイナンス部門に所属しました。法人のお客様の財務状況や事業戦略などを踏まえて、個々のニーズに合った金融サービスを提案していく部門です。
この部門では、企業の資産ではなく事業から生まれるキャッシュフローに着目した新しい貸出商品をつくって提供したり、事業再生ファイナンスを担当したりしました。
1号案件はあるけれど、2号案件はないような仕事に取り組む中で、外資系投資銀行やファンドと協業する機会が多くなり、経営に強い関心を持つようになりました。
清明祐子(せいめい・ゆうこ)/マネックス証券 社長
2001年に京都大学経済学部を卒業後、新卒で三和銀行(現三菱UFJ銀行)に入行。2006年からMKSパートナーズ(プライベート・エクイティ・ファンド)の参画を経て、2009年2月にマネックス・ハンブレクト(2017年 にマネックス証券と統合)に入社し、2011年に同社社長に就任。2019年4月よりマネックス証券社長(現任)、2020年1月マネックスグループ代表執行役COO(現任)に就任。
銀行での仕事は結局、資金調達の手段を提供するものです。でも、そこに至るまでの企業戦略や意思決定がどのように行われているのかを、知りたい、学びたいと考えるようになったんですね。
そこで、次の異動がくる前の2006年末に、プライベートエクイティファンドを運営するMKSパートナーズに転職しました。当時は邦銀からPEファンドへの転職は珍しいケースだったと思います。

事業はナマモノ

ここで私はまたしても、「世の中にはこんなに優秀な人たちがいるんだ!」というカルチャーショックを受けることになります。
メンバーはみんなMBAを持っているようなエスタブリッシュメントで、放たれるオーラからして違うんですよ(笑)。投資委員会には外国人がいて、会話も書類も英語でした。
(写真:mediaphotos/iStock)
私は大阪の下町・寝屋川育ちで英語に触れる機会なんてほとんどなく、銀行でも当時は全く英語を使っていなかったので、それだけで気後れしましたね。
当初は買収先候補としている企業や業界についてリサーチしたり、企業の将来性や価値を判断したりといったアナリスト的な仕事を担当。後に、投資先の企業に携わる仕事もするようになりました。