パンデミックに際して、私たちはいかに「移動」が現在の社会の根幹となっているかを痛感している。グローバルな移動によってウイルスが世界中に拡散し、都市封鎖や物流を制限すると、世界の経済活動が急激に減速する…。このような社会のあり方をいち早く示していたのが、社会科学において最も注目される研究者の一人であるジョン・アーリだ。

本連載ではアーリが2008年に刊行した書籍『モビリティーズ──移動の社会学』から全8回にわたって、「移動」がいかに社会の根幹を成し、社会を変えてきたかを紹介する。

自動車は「ただの交通システム」以上の価値を持つ

自動車移動システムは数多くの要素から成り立っている。そうした要素が組み合わさることで、自動車システムの「特異的な支配の性格」が生み出され、再生産され、20世紀を通じて発揮されてきた。言ってみれば、自動車は一つの生活様式であり、ある場所から別の場所へと動くためにだけある交通システムではない。
自動車独特の特徴が、自動車をそれまでのあらゆる移動システムと異なるものにしている。
第一に、自動車は、20世紀資本主義を主導した産業界とイコン的企業が産み出した典型的な製造物である(フォード、ゼネラル・モーターズ、ボルボ、ロールスロイス、メルセデス、トヨタ、プジョー・シトロエン、フォルクスワーゲンなど)。10億台の自動車が20世紀の間に製造され、現在、500〜600万台の自動車が世界中を走り回っている。
多くの国々が自動車産業を発展させており、なかでも成長著しいのが中国である。自動車産業からは、フォーディズムとポスト・フォーディズムという決定的に重要な社会科学の概念が生まれ、組織資本主義社会の性質に関する多くの理論形成と調査研究を誘ってきた。
自動車産業は多くの社会科学にとって資本主義とイコールの関係にある。しかし、不思議なことに、社会科学の焦点はほとんどが自動車の生産に向けられており、自動車移動という消費や利用の面には向けられていなかった。
第二に、ほとんどの家庭において、自動車は、住宅関連の支出に次ぐ個人消費の主要項目であり、これまで各時代の先端を行く若者たちの間で人気を博してきた。自動車は、大人であることの証であり、市民であることの標章であり、社交やネットワーク形成の基盤をなすものである。
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自動車本体、修理、点検、燃料、課税、付属品、保険などのコストを考えれば、自動車は概して非常に高価な移動手段である。
とはいえ、多くの社会において極貧層の家庭でさえ、所有や一時的な借用、レンタルといったかたちで自動車を利用している。自動車は、自動車の窃盗や自動車による窃盗だけでなく、自動車システムが生み出す新たな数々の「犯罪」ゆえに、あらゆる刑事司法制度の関心を一手に集めている。
自動車はそのさまざまな記号価値(速さ、安らぎの場、安全、性的な成功、職業上の業績、自由、家族、男らしさ、さらには血筋の良さなど)を通して、その所有者に威信を与えている。私用の車はまた、名前をつけることで人格化されたり、扱いにくい性格であるとみなされたり、美しくも酷くも「年季が入った」ものとみなされることがある。全般的に言えば、車の所有に深く結びついた「自動車が動かす感情」、ついては、すなわち、「特定のモデルが、欲望の対象とされ、収集されかわいがられ、磨かれ熱愛され」、結局欲動の対象となるようなリビドー経済が存在するのである。
第三に、自動車移動は強力な複合体であり、技術面、社会面で他の制度、産業、関連業務とかなりの点で連環することで構成されている。「自動車」そのものよりも、この相互連結のシステムが重要なのである。
スレイターの論じるところでは、「自動車はその物理的特徴ゆえに自動車なのではなく、供給システムや事物のカテゴリーが安定したかたちで『物質化』されているがゆえに自動車なのであり」、車が自動車─ドライバーのハイブリッドに与える独特のアフォーダンスはここから生まれている。
自動車と相互連環の関係にあるのが、免許交付機関、交通警察、ガソリンの精製と流通、道路の敷設と維持、ホテル、沿道のサービスエリア、モーテル、自動車の販売・修理であり、郊外や田園地帯の住宅造成地、複合商業施設、広告やマーケティング、そして、途切れなき移動を約束する都市デザインや都市計画などである。
以上のような連環が「占拠」され、自動車システムが次第に世界中に広がりゆくことを確実にするのに一役買ってきた。自動車とその関連インフラ、製品、サービスを生産、販売する人びとに対して、巨大な収穫逓増をもたらした。この占拠は、特定の諸制度が自動車システムの発達を構造化したことを意味している。ノースによれば、そうした諸制度が、予測可能性が高く、覆すのが困難な長期に渡る不可逆性を生み出したのである。
何億ものエージェントと何千もの組織が、自動車移動のシステムが世界中にウイルスのように広がるなかで共進化し、システムの再形成に適応していったのである。
第四に、自動車システムは余暇、通勤、行楽の際の主たる移動形態であり、徒歩、自転車、鉄道旅行など他の移動システムを従属させている。長期的な傾向として、自動車の領域は「かつてないほど排他的」になっている。
とくに、歩行者の移動とその緩やかな相互作用が、厳格に管理された機械移動に道を譲っており、機械は道路の片側を車線に沿って一定の速さで走っており、非常に複雑な信号と標識のシステムにしたがっている。
全般的に言えば、自動車システムは時間と空間を再編成しており、そのようにして、人びとが仕事、家庭生活、子どもの生活、余暇、歓びの機会と制約とをどう扱うのかを再編成している。
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第五に、自動車文化は支配的な文化へと発展し、よい生活をかたち作るものや20世紀のモバイルな近代市民にとって必要なものをめぐる主要な言説を生み出している。ロラン・バルトは、自動車が中世のゴシック大聖堂に匹敵するものであることをほのめかしている。すなわち、自動車は「時代の偉大な創造であり、知られざる芸術家たちによって情熱を持って構想され、一国民全体が、その使用においてでないにしても、そのイメージのなかで消費する。そして、純魔術的な物体とみなして自分たちのものにするのである」。
これらの魔術的な物体(ロールスロイス、ミニ、ジャガー、フェラーリ、マスタング、メルセデス、BMW)は、とりわけ近代文学と近代芸術のイメージとシンボルを通して探究されている。
さらには、米国社会全体に対する観念もまた、その郊外、都市街路、モバイルなモーテル文化に対する観念も含めて、自動車に基づく男尊的なモダニティと分かちがたく絡み合っている。そして、このことはキューバでさえも例外ではなく、1950年代の米国製自動車の見事な遺産は、今や、1898年以後の観光戦略の中心をなしている。
第六に、自動車システムは、大量の環境資源を利用し、桁外れの死傷者を生み出している。交通は、二酸化炭素総排出量の3分の1を占めている。
そして、もっと一般的に言うと、並外れた規模の物質、空間、電力が自動車の製造や移動のために用いられている。自動車システムは、大気、健康、社会、オゾン、景観、音、空間、時間に対する幅広い汚染を生み出しており、さらには、数多くの戦争が引き起こされる際の主役を演じているシステムでもある。
自動車システムはまた、自らの「否定的側面」を生み出しており、それまでのいかなる移動システムよりも大きな規模かつ高い頻度で多くの死傷者を生み出している。
映画にもなった『クラッシュ』は、自動車システムが必然的に生み出す劇的に速く訪れる死と負傷を扱っている。全世界で、自動車システムは年間120万人の死者と2万〜5000万人の負傷者を生み出している。自動車による大規模な衝突事故は、全世界で推計5180億ドルの損害をもたらしている。
第七に、「自動車移動」は、自叙伝の概念に見られるような人文主義的な内なる自己と、自動とかオートマトンとかいう場合の移動能力を有する物や機械との融合を意味している。自ら動く「自動(オート)」の持つこの二重の響きは、「自動車─ドライバー」が人間の意志と力、機械、道路、建造物、標識がハイブリッドに組み立てられたものであることを示している。
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したがって、「自動」車移動には、それぞれの社会ごとに、自律的な人間と、小道、車線、街路、高速道路に沿った自律的な運動の能力を備えた機械との強固な組み合わせが見られる。
自動車移動は、世界中に広がるオートポイエーティックで非線形的な自己組織システムであり、車、自動車─ドライバー、道路、石油供給、数多くの真新しい物、技術、標識からなるものである。
このシステムは、自ら自身の自己拡大の前提条件を生み出しているのである。
自動車移動による時間と空間の再構築は、さらなる自動車の必要性を生み出し、システムとしての自動車移動のさらなる拡大の必要性を生み出している。
つまり、時空間を作り変えることによって自動車システムの自己拡大が確実なものになっているのだ。
社会生活が不可逆的に占拠されてきた移動のモードは、自動車移動が生み出すとともに、これまでのところ、自動車移動のさらなる拡大と時間と空間の再構築を通してかろうじて対応できるものとなっている。
※本連載は全8回続きます
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本記事は書籍『モビリティーズ──移動の社会学』(ジョン・アーリ〔著〕吉原 直樹・伊藤 嘉高〔翻訳〕、作品社)の転載である。