コロナ下に、なぜ「言葉の暴力」は生まれやすいのか

2020/5/30
メディアがコロナ報道一色となる中で、「自粛か解除か?」「どこまで補償すべきか?」「ハッシュタグ抗議の是非」などを巡り、ネット上では日夜激論が交わされてきた。
こうした風潮は、多くの人々が社会や政治、経済に目を向けるようになった点ではポジティブにも捉えられる。
一方で「乱暴な論理で他者を攻撃したり、操ったり、優位に立とうする“屁理屈”の蔓延に注意すべき」と指摘するのは、「慶應丸の内シティキャンパス」の桑畑幸博氏だ。
ロジカルシンキング、ファシリテーションを専門とする桑畑氏は、「ソーシャルディスタンス同様に、“言葉の暴力”とも私たちは距離を取っていかねばならない」と語る。
人々がはまってしまう、議論の落とし穴とは何か。
「自粛警察」が生まれた背景
桑畑 新型コロナウイルスとともに今、社会に蔓延しているのが、他者への攻撃やマウンティングを目的とする「屁理屈」や「詭弁」といった“言葉の暴力”です。
例えば、次のような事例があります。
このツイートに対して、「いや、趣味は趣味として、それよりも今は命を守るほうが優先順位は高いよね」と再反論は可能かもしれませんが、問題はそこではありません。
そもそも発端は「ライブハウスが苦しい」という事実をミュージシャンが述べたこと。
しかし、批判する人々はあたかもこのミュージシャンが「命よりもカネを優先しろ」「芸能やスポーツを手厚く補償しろ」と主張したかのようにねじ曲げて(拡大解釈して)、猛然と攻撃を始めました。
このように他者の主張の論旨をねじ曲げ、そこに向かって批判、攻撃することを「わら人形論法」と呼びます。
自分で架空のわら人形をこしらえ、本人ではなくわら人形を攻撃することで優位に立とうとする。批判された側からしてみれば「そんなこと言ってないけど」となりますから、議論はたちまち生産性を失い、時として単なる誹謗(ひぼう)中傷の場と化します。
Photo:GettyImages/Tomohiro Ohsumi 
ただ、平時であれば、こうした詭弁を弄したインターネット上のやり取りは“レスバ”“炎上”という類いのもので、第三者の客観的な目にさらされながら、次第に沈静化していきます。
しかし、今回のコロナショックでは、沈静化するどころかヒートアップし、ついには実力行使に出る「自粛警察」と呼ばれる人々まで生み出すに至りました。
それはなぜか? 最大の原因は、彼らに「自粛が正しい姿である」という大義名分が付与されたことにあると考えられます。
ここでいったん、ロジカルシンキングの基礎をおさらいしておきます。私たちは普段、「演繹法」と「帰納法」という2種類の思考法で物事を考えています。