【藤原和博】9月入学は東大のみ実施せよ。高校以下には不要

2020/5/17
コロナショックをきっかけに、教育改革の議論が加熱している。オンライン教育の本質とは何か?9月入学への移行は意味があるのか?今、本当に求められる教育改革とは何か。和田中学校・一条高校の元校長で教育改革実践家の藤原和博氏が緊急寄稿する(全3回)

20日程度の補習でカバーできる

まず、最初にはっきり申し上げなければいけないのは、3カ月の学校の閉校で生じた遅れを取り戻すことと、9月入学問題は一緒に議論すべきではないということだ。
3カ月遅れたから、9月入学にスライドすれば遅れが取り戻せると考えるのはあまりにも短絡的で、深い思考によって生み出された考えとは思えない。
もし、この3カ月の遅れを半年も進級、進学や卒業を遅らせることでカバーしようとすれば、旧態依然とした授業が半年増量されることになる。
ひいき目に見て半分の先生はオンライン授業にも対応「できる先生」かもしれない。
しかし、あとの半分はどうだろう。そうした先生方が、ダラダラと同じような黒板授業や、とてもオンライン授業とは言えないパワポの電子紙芝居を増量しても、学力の支えにはならない。
これは児童生徒にとって、とても不幸なことだと思う。
藤原和博(ふじはら・かずひろ)/教育改革実践家
1955年東京生まれ。 東京大学経済学部卒業後、リクルート入社。 東京営業統括部長、新規事業担当部長などを歴任後、 ヨーロッパ駐在、1996年同社フェローに。 2003年より5年間、都内では義務教育初の民間校長として杉並区立和田中学校校長を務める。2016年春から奈良市立一条高校校長として2年間勤務後、東京に戻る。著書は『藤原和博の必ず食える1%の人になる方法』など多数。
遅れた分は、冷静に考えると、もともと休日が多い3、4月だから26日程度、連休を挟んで5月末まで休校するとプラス17日だから全部で43日ほどになる。ただし、3学期末と1学期初頭は行事が多く授業が潰れがちな期間だ。
例えば、卒業式の予行とか、授業では盛り込みにくい「薬物教育」「性教育」などが3学期の消化試合の時間で行われることが多い。
4月も新入生には学校を案内して図書室でオリエンテーションが行われたり、校外学習(遠足)でクラスの親睦を深めたり。秋には学芸会/文化祭や歌唱祭が催されるから、春に運動会を持ってくる学校も多い。すると、運動会の予行や練習で授業が潰れる。
というわけで実際は、授業日数にして20日間程度の補習でカバーできるだろう。
(写真:xavierarnau/iStock)
さらに言えば、塾に通っている子はとっくにカバーできている可能性がある。
受験生が心配だという声がよく聞かれるが、受験生はもともと自分で過去問を分析しながら受験対策をやっているので、学校の先生がそこまでしてくれるところはそうはない。一部の私立の進学校だけだろう。
だから、塾や予備校のサポートがある子やオンラインでの学習習慣がついている子には補習の必要さえもない。
かえって学校がなくて、嫌いな教科の先生のまだるっこしい授業を受けずに済んだから、せいせいしている子も一部にはいるはずだ。
藤原氏が出演した「教育改革」をテーマにした「The Update」。9月入学の是非について論客と議論を交わした

地域社会の力も借りる

さて、それでも補習が必要な児童生徒は、経済的に厳しい世帯の子を中心に相当数はいる。
このキャッチアップをどうするか。
9月に入学や新学期をスライドさせてこれを消化するのではなく、各校が独自に知恵を絞り、ついていけていない子のキャッチアップを真摯に図るべきだろう。
まさに教員の腕の見せ所だし、学校長は県教委や市教委の言うことを聞かないでもいいから、自分たちの地域社会の力も借りて「バラバラ」に手を打ったらいい。
夏休みは平日が26日間あって、お盆の1週間を休んでも22日ある。これを潰して補習に充てればカバー可能だ。
あるいは、この時期はもう朝の5時から明るいのだから、擬似サマータイム制を導入して朝7時から8時半までを補習の時間とすることもできるかもしれない。
その場合はセキュリティをしっかりする必要があるから、地域のお年寄りに朝、道路の角に立ってもらって体操やジョギングなどをしてもらえたら登校時の見守りができる。
(写真:PhilAugustavo/iStock)
ただし全員強制は無理だと思う。
夏休みのスケジュールとして、塾の合宿やサマースクール、家族旅行を予定済みの世帯もいるだろうから、必要な子を任意に参加させればいい。
本当は、全国の公立小中学校3万校のうち1万校の学区にすでに設置され予算も付いている「地域学校協働本部」主催にして、先生が協力するスタイルが理想的だ。

和田中校長としての経験

「地域学校協働本部」は、和田中の校長時代(2004年)に「地域本部」として生み出され、文科省が「学校支援地域本部」と銘打って予算化し、のちに「地域学校協働本部」と改名され現在に至っている組織だ。
地域のボランティアを組織して、土曜日学校の運営や部活のサポート、学校のイベントと地域住民のコラボを受け持っている。
PTAとは違って、必ずしも息子や娘が当該学校に通っていないサポーターが中心の組織だ。
だから、お年寄りばかりではなく、教員になりたい大学生やバリバリに国際経験豊かな退役団塊世代もいる。塾の講師が協力しているケースもある。
和田中では、設立から16年が経っているが、未だに「土曜寺子屋(ドテラ)」での補習(例えば、算数が不得意な中学生のためのサポート)や、英語をもっと学びたい子に英語を積み増すコースなどを運営している。
マスコミで評判になった「夜スペ」は、当初サピックスが学校内に教室を持って高校受験をサポートするシステムだった。
2003年より5年間、杉並区立和田中学校校長を務め、大手進学塾と連携した授業を行った(写真:時事)
地域社会が主催すれば、貸しビルのレンタル料も受付の事務も募集費もかからないから、街中の私塾と比べて圧倒的に安いコストで運営できた。
いわば、地域主催の寺子屋だ。
隣接する養護施設には数名の生徒が暮らしていたから施設長と相談して料金も決めた。その程度であれば措置費から出せるというので実施に踏み切ったのだ。準要保護世帯のお母さんには本当に喜ばれた。
バトンタッチした同じリクルート出身の民間校長・代田昭久氏の代からは運営側をコンペで選ぶことになり、早稲田アカデミーやトライにも協力してもらった。
その後、当初の役割を終えて「夜スペ」のサポートは終了している。

受験生は成長するチャンス

そんなふうに、コロナ災禍によって生じた学習の遅れには、地域社会の資源を総動員して臨むのが肝要だ。
なぜなら、コロナとの戦いは、誰かが比喩したように戦時中に近い緊張感で臨んでいい緊急事態だからだ。
塾と学校が喧嘩している場合ではない。夏休みの補習の場には、塾の講師も地域資源の一つとして総動員したい。
(写真:ferrantraite/iStock)
コロナ世代の受験生が不利にならないような工夫をとよく言われるが、私はそのためには、なるべく学校が手を出さないようにするのがいいと考える。
受験生は放っておかれるほど自分で対策を考え、カリキュラムと時間割を自己編集する力を育むから、コロナ世代の受験生はより成長できるチャンスがあるのだ。
一方、試験範囲をどうするかという課題については、工夫が必要かもしれない。
もともと受験期の3学期にはほとんど授業はない。
もし、大学受験について範囲を狭めることで公平感が出ると判断するならば、高校3年生の9月までに終わる学習指導要領での範囲を試験範囲とするよう文科省が指示を出すことは可能だと思う。

東大も明治期は9月入学だった

ここまで、遅れた授業については「9月入学/新学期」という飛び道具を使うのではなく、真摯に教員が補習してキャッチアップせよ、と提案してきた。
この後、「9月入学制」については別問題なので、別に論じることにしよう。
結論から示す。
9月入学は、まず、東京大学のみで実施。高校以下の追随は不要と考える。
東京大学はもともと明治期には9月入学だった。
明治政府はイギリス、フランス、ドイツから産業を興す技術や社会制度を管理する法律や経済の全てを学ぼうとしたから高い給料を払って雇った外国人教授に合わせて母国と同じ9月入学になった。
(写真:wnmkm/iStock)
寺子屋の流れを受けた小学校と、藩校の流れを受けた師範学校は4月入学だったようだ。
これを文部省主導で大正期までに大学も、それに付随して高校、中学も4月に揃えることに。なぜなら日本は行政の予算期が当年4月から翌年3月だからだ。これだと予算と人事を一元管理できる。
来春から例えばコンピュータサイエンスの教授陣を充実させようとした場合、その予算取りと採用を秋頃から行って来春には実行できるというわけだ。
ちなみに米国は9月入学だが、予算期も9月から翌年8月だ。
しかし、大学は教授陣の交流も含めてグローバルスタンダードに準じるべきではないかという議論は何度となく土俵に上った。
中曽根内閣の臨時教育審議会では、9月入学について沖原豊広島大学長を座長とする検討会を設けて議論を重ねたが、導入を見送った経緯がある。
1984年に設置された臨時教育審議会では、初等中等教育、高等教育の改革などが議論された。当時の文部大臣は森喜朗氏(写真:時事)
2011年から12年には東京大学が9月入学に全面移行すると発表して話題に。その後、主要大学を巻き込んだ議論を重ねたが、やはり引っ込めた。
おおむね、留学生を増やす目的が最優先だったようだが、今日では、60以上の国公私立大学が9月募集をやっていて、立命館APU(出口治明学長)などは、学部生の半分が留学生で占められるまでになっている。
9月入学に全面移行しなければ留学生が増えないというのは嘘だと思う。

「すき間」が生む、揺らぎと潤い

ただし、大学が9月入学になり、高校以下をそのまま4月入学/3月卒業のままにした場合、面白い現象が起こるかもしれない。
こちらにはよっぽど日本社会変革の期待がかかる。
何かというと、ギャップターム(ギャップイヤー)と呼ばれる半年間の「すき間」ができることだ。
高校を卒業して、大学に入学するまでに、3月から8月まで半年間の「すき間」ができることになるからだ。
海外では当たり前に行われていることで、オックスフォードやハーバードに受かった高校生が、わざと1年休学して一人旅に出たり、途上国にボランティアに行ったりする。
人生の方向性を探る旅をするためだ。大学で本当は何を学ぶべきなのかも、この期間に本人の中で熟成するのかもしれない。
(写真:twinsterphoto/iStock)
日本でも、このギャップタームが始まれば、被災地でボランティアをしたり、やってみたかった職人技を持つマスターににわか入門したり、YouTube大学で生涯の「恩師」を探したり、短期で海外留学したり・・・様々な選択肢が広がる。
それまで大学受験一本に的を絞ってきた学生も、初めて「人生を考える」時間が得られるかもしれない。
そうして、じっくり考えてみたら、自分がやりたいことを追うためには、それが囲碁であれダンスであれ宇宙開発の夢であれ、大学なんて行く必要はないのだと悟るケースもあるだろう。
もしかしたら、これが、日本社会に良い意味での揺らぎと潤いを与えるきっかけになる可能性がある。
なぜなら、そうでないと、日本の学校教育システムで育った若者はどうしても「正解主義」「前例主義」「事なかれ主義」の学校文化に毒されてしまい、ジグソーパズルの1ピースが合わないと気になってしょうがないという「正解至上主義」の人生をスタートさせてしまう恐れがあるからだ。

通年採用は、時間の問題

私たちの世代では、大学の1~2年の時期に相当な余裕があって遊びが許された。
だから、ヨーロッパに自転車を担いで無銭旅行に出かけた友人もいたし、アルバイト三昧の生活の中でITに活路を見出して起業したやつもいた。70代以上の団塊の世代は学生運動で暴れ、検挙されるなどして人生を哲学した。
しかし、今の大学生にその余裕はないようだ。
理系はもちろん文系でも課題、課題で忙しい。だから20歳までにちゃんと人生に悩む時間は必要なのかもしれない。
そこで、まず東京大学を9月入学にシフトする。
時期は18歳が成人になる2022年からがいいだろう。18歳はもう成人なのだから、半年間、人生について深く悩んでも問題はない。
企業の採用時期とずれると心配する輩もいるが、新卒、中途含めて通年採用になるのは時間の問題だろう。
ましてやユニクロでも楽天でも、グローバル企業は全世界から優秀な人材を集めるから、とっくに通年採用だ。
(写真:J2R/iStock)
次に、そうして東大にアジアからの留学生(インバウンド)がもっと集まるのか、あるいは日本人の学生がもっと海外に長期留学(アウトバウンド)するのかを実証的に確かめる。
アジアからの留学生にとって日本が今でも十分に留学に値する社会かどうかは怪しい。今後、AIロボットの普及でコンビニやサービス業でのバイト口も減少する。
しかしながら、コロナ騒動で、日本の医療体制は皆保険制度とともにかえって見直されたかもしれない。
少なくともアメリカや中国やイタリアに行くよりは日本は安全だと評価されたはずだ。
逆に日本の若者(特に大学生)が、9月入学にすることによってより長期留学を目指すのかについても正直言って不明だ。
もともと日本が豊かになる過程で、パリやニューヨークへの憧れはそれほどでもなくなっていた。
(写真:Pawel Gaul/iStock)
フレンチやイタリアンの名店は日本にいっぱいあるし、和食もおいしい。ディズニーランドもユニバーサルも日本にある。海外の若者が憧れるアニメやゲームやアイドルやオタクの殿堂も。
だから、体験旅行の延長の短期留学は増えているが、グローバルに活躍することを前提とした本格的な長期留学への志は残念なことに減少傾向だった。
それが、果たして蘇るのかどうか。
コロナの状況を鑑みれば、スポンサーとなる親の立場からすれば、当分アメリカやヨーロッパへの長期留学は勧めないのではないかとも思える。
さてさて、どうなるか。
やってみなければわからないことは、ナンバーワンがリスクをとって、やってみるべきだろう。言い出しっぺでもあるのだから。
その上で、留学生が増え、教授のグローバルな交流も活発になり、OKマークが出るのならば、他の大学も9月主導に揃えるようにしたらいいのだ。

いくら考えてもメリットがない

この検討期間の間に入試についても一考したほうがいいだろう。
例えば4月には3月の一発試験での合格者を入学させ、9月にはAO入試で高校までにどんな取り組みをしたのかをプレゼンさせて評価する方式での合格者を入学させるなどだ。
少子化からAOや推薦入試の比率は全体として上がっていくだろうが、このように1年に二度、三度と種類の違うチャンスがあったほうが高校生も奮起できる。
2025年までかけて、この検証(エビデンス)が済んだら、高校以下(幼稚園から小中学校含む)をさらに9月入学に揃えるかどうかを検討するといい。
私個人は、いくら考えてもメリットが浮かばない。したがって反対だ。
でも、エビデンスが出てきて、幼稚園から高校までを大学の入学時期に揃えることにメリットがあると判断されたら、校長や地方自治体の教育長の熟議の元に制度を変えたらいいと思う。
なお、9月になったら新型コロナウイルス感染症は収束しているという見込みがない中、第二波も来るかもという現状では、とても幼稚園から高校までの9月入学/新学期説は受け入れられないだろう。
繰り返すが、遅れた分は9月までに取り戻すのが先決で、9月入学制による単なる先送りは許されない暴挙である。
地道に子どもの学びや生活を支える努力を重ねるのが先決だ。
これも繰り返しになるが、「一斉」ではなく、各学校の学校長の判断で「バラバラ」に個性を出すのが良い。
「教育は伝染、いや感染である!」
良い実践がたちどころに真似られるのが理想なのだ。そうすれば、コロナの感染力を、教育の感染力が上回る結果を出すことも可能ではないだろうか。
(写真:遠藤素子、デザイン:九喜洋介)
*第2回「学校とは何か?先生とは何か?」は5月19日(火)に掲載します。