【末續慎吾】インターハイを失った「後輩」たちへ

2020/4/30

高校生の夢が突然消えた

夢、目標。
誰にとっても大事で、欠かせないもの。
そう言われています。
アスリートとして四半世紀近くを過ごしてきて、それは自身の成長を促すときに間違いなく必要なものでした。
夢や目標があるからこそ、つらい練習を乗り越えることができる。歯を食いしばることができる。
振り返れば、その目標設定自体を誤っていた、と思うこともありますが(その要因は、顕示欲が出過ぎていたり、周りの期待に応えようとしすぎていたりと、さまざまでしたが)、夢や目標そのものがなければ、そのことに気づくステージに進むこともできませんでした。
【末續慎吾】一流の「楽しい」とアマの「楽しい」の差
いま、その夢がなくなった。突然、目の前から消えた「後輩」がいます。
全国高等学校総合体育大会、通称インターハイが中止となりました。昭和38年に第一回が開催されてから、初めてのことだそうです。
僕自身、この一報を耳にしたとき「インターハイがなくなるなんて……」と、とても感情的になりました。
もし、自分が高校生でインターハイがなくなったらどうなっていたんだろう。
そこには想像すればするほど、信じられない絶望、虚無感、不安が渦巻いていました。
いてもたってもいられず、とはこのことを言うのだろうと思います。「後輩」たちはいま、何を欲しているのだろう。多くの人が、さまざまな選択肢や、未来を語ります。それはいずれも素晴らしいもので、心の支えになるものだと思います。
では、僕は?
アスリートとして生き、自分のことをこう言うのはあまり好みませんがオリンピアンとして、メダリストとしての経験を持った僕は、どんな言葉を掛けられるのか。
もう一度、もし僕が、いま高校生だったらと想像しました。
今回は、それについて書いてみたいと思います。
【為末大】東京五輪の「アスリートファースト」とは何か

銅メダル獲得後、僕の夢も消えた

新型コロナウイルスの感染拡大という未曾有の事態で、インターハイは中止になりました。
少し話が遡りますが、今年のインターハイについては去年から開催へ大きな課題がありました。
(ローテーションで)全国大会が北関東で行われることが決まっていたのですが、時期が東京五輪開催にかぶっていたことで、宿泊施設や資金、開催環境が整わず、開催が危惧されていたのです。クラウドファンディングをしたり、分散開催にすることでその課題にめどがついたばかりでした。
そんな中で、今回の中止決定。
そもそも、インターハイは進路を決定する上でも大きなウエイトを占めています。もっと高いレベルでやりたい、その思いを持って高校生活を送ってきた選手たち、3年生は大学受験と同じくらい強い気持ちを抱いていたはずです。
また、その実力に関係なく、高校生活で打ち込んできたことの一つの集大成として、大きな存在でもありました。
その夢、目標が突然目の前から消えたわけです。
大人であれば、考える力があります。受け入れがたい現実を受け入れる術を持ち合わせています。
でも──高校生だったら。自分のことを思い出しても、その絶望、不安な気持ちたるや、なかなか一人で処理できるものではない。
実は、僕自身も夢や目標を突然、失った経験があります。
2008年、北京五輪のあとのことです。覚えている方もいると思いますが、100×4の400Mリレーで銅メダルを獲得しました(のちに、ジャマイカの失格により銀メダルに変更)。
それ以前には、世界選手権の200Mで銅メダルを獲得、200Mの日本記録、200Mでは4度の、100Mでは2度の日本一も達成していました。
でも、オリンピックで日本男子トラック種目初のメダリストの一員となった瞬間から僕は、全ての夢を失ったのです。
成し遂げた、といえばその通りなのかもしれませんが、あのくらいはっきりと、目指すべき光の姿が見えなくなったことは、ありませんでした。
そして、2ヶ月後には無期限の休養をすることになります。トラックに戻って来られたのは、その3年後のことです。
絶望や虚無感を伴ったこの経験が、いまインターハイという夢を失った「後輩」たちと同じと言えるかは、意見の分かれるところかもしれませんが、その気持ちは少なからずわかるつもりでいます。
そして先輩として、どうしてもこう伝えたいのです。
「大丈夫だ」
と。
【注目】リモートで変わるカラダ、注意すべき3つの兆候

結果や記録より、もっと頼りになるもの

もし、いま「後輩」たちが絶望や虚無感、不安を抱いているとすれば、間違いなく「大丈夫」だと僕は思っています。
彼・彼女らの未来は、必ずいいものである、と経験を通して断言できる。
本来は、「夢と目標がある」そのこと自体が幸せなことです。失ったからこそ、もしくは失わなければ感じることができない世界がいま、あります。
でも、もっと大事なことがあります。大丈夫だ、と言える根拠がある。
僕は、北京五輪でメダルを獲り、その瞬間から「メダルを獲ることが過去」になりました。
夢を失い、それでも人生には頑張らなければいけないタイミング、踏ん張らなければいけない瞬間が訪れます。
そんなとき、頼りになったのは決して「メダリストであること」ではありませんでした。
夢に向かって培った「真剣さ」だったのです。
日本新記録保持者という呼称でもなく、日本記録という結果でもない。夢が叶うかどうかは別としてそこに向かった「真剣さ」こそが、今の僕の人生──つまり「後輩」のみんなの未来を圧倒的に豊かにしてくれる。
僕はそれを、身をもって体験し、知っています。
僕の過去を知らない今の若い子たちからすれば、メダリスト末續慎吾の話だといっても、それだけでは耳を傾けてくれません。
でも、真剣に陸上に向き合った一人の男としての真剣な話には耳を傾けてくれます。
インターハイがなくなって、「虚無感や絶望や不安」を抱いているみんなは、その「真剣さ」をすでに手にしています。
一番大事なもの、みんなの未来にとってもっとも頼りになるもの、もっといえば本来インターハイで得るはずだったものを、もう、すでに持っているのです。
真剣さがあったからこそ、沸き起こる感情。それは、すでにインターハイを戦ったことに等しい、そして本来獲得すべき資質を持っている証明です。
いまは悔しいだろうと思います。進路が不安だとも思う。
でも、必ずこれから先、またやりたいこと、夢や目標を持つことがあります。そのとき、この高校の3年間を通してかけてきたことは必ず、頼りになります。
だから、このままでいい。諦めなくていい。
末續慎吾:1980年生まれ、熊本県熊本市出身。2003年6月の日本選手権で200mの日本新記録を樹立(20秒03=現日本記録)し、同年8月、フランス・パリで開催された世界陸上の200mでは銅メダルを獲得。同種目で日本人初のメダリストとなる。さらに、2008年北京五輪では4×100mリレーで銀メダルを獲得。今も現役を続けながら、スプリント理論の探究を続けている。

叶えたい夢を叶えたアスリートより

もし自分が、いま、高校生だったら先輩からどういう言葉をかけてもらいたかっただろう。
そう思ったとき、いろいろな慰めや選択肢も大事だけれど、「大丈夫だ」ということ、それが一番欲しいものだったろうな、と思います。
失った夢。
でも、それこそが証明するアスリートとしての資質がある、という肯定感。
それを、とても尊大な言い方ではあるけれど、「みんなが叶えたい夢を叶えた先輩がもっとも大事だと思っていること」として、「後輩」のみんなに伝えたいと思います。
大人になった僕らは、そんな彼・彼女たちのために、「思い出」を作ってあげる必要があると思います。それが、これからの僕の一つの使命かもしれません。
最後に付け加えておきます。
僕のインターハイは、というと高校1年のときは予選落ち。2年生のときは熱中症にかかり7位。集大成の3年生では、インターハイ前に窓ガラスに足を突っ込み15針縫うという大怪我をして最下位に終わりました。
いい思い出がなかったりします。
(編集:黒田俊、デザイン:九喜洋介)