【豊田真由子】パンデミック担当官だった私が今、伝えたいこと

2020/3/31
2017年、秘書への暴言のスキャンダルを発端に政治生命を失った豊田真由子・元衆議院議員。
暴言が録音されたテープがワイドショー番組を中心に何度も放送され、「ちーがーうーだーろー!」のフレーズは、その年の「新語・流行語大賞」にノミネートされるほど世間の注目を集めた。
一連の騒動後、自民党を離党。2017年10月の衆議院総選挙に出馬するも、落選。(写真:時事)
あの騒動から、約2年9カ月。
あれだけワイドショーで袋叩きにあった豊田氏が、新型コロナウイルス問題の専門家として当のワイドショーに突如として出演。にわかに注目を集めている。
なぜ、このタイミングで表舞台に復帰を果たしたのか? 批判を受けるリスクを承知の上で、専門家として新型コロナウイルスについて伝えたいことは。
豊田氏が、その真意をNewsPicksだけに語り尽くす。

WHOで、国代表として「奔走」した

豊田 2009年、今回と同様に世界保健機関(WHO)から新型インフルエンザの「パンデミック宣言」が出された当時、厚生労働省の官僚として対応をしていました。
そうした貴重な経験もあり、友人からも新型コロナウイルスの問題について問い合わせがあったんです。
一つ一つ自分の知見を丁寧に返答していったのですが、その情報が巡りに巡って番組関係者の目に留まり、専門家として、テレビ出演のお声がかかりました。
正直、出演はとても悩みましたが、友人からも「真由子の説明を聞いて、状況がよく分かった。ぜひ混乱した世の中に伝えるべきだ」とアドバイスされました。
今、何が起こっているか、何をすべきかをお伝えすることで、少しでも安心につなげることができればと、番組への出演を決めたんです。
2009年のパンデミック時のWHO担当は、私一人でした。
当時、外務省に出向して、外交官という立場で、スイス・ジュネーブでWHOと日本政府の間に一人で立っていた。
携帯電話を3台支給されて、24時間電話を回しているような状態です。ですから、当時の舞台裏をすべて見ていた日本人は、私しかいない。
だからこそ、正しく情報をお伝えすることで、乖離を埋めることができると思ったんです。

「パンデミックの定義」が変わった

豊田 2009年の新型インフルエンザのときと、今回、大きく異なる点があります。
それは、WHOにおける「パンデミックの定義」が変わっているということです。