【長友佑都】才能がなかった僕が若い頃こだわったこと

2020/1/30

ヒーローを目指す今、変わるべきこと

34歳を迎える2020年を迎えた。プロ生活は13年目。
どんな1年になるのか自分でもわくわくしている。不安はまったくない。気力の充実はこれまでにないくらだ。もちろん、ここ数カ月のプレーに満足はしていない。けれど成長できる手応えをひしひしと感じている。
もっと上を目指したい──そのために変えなければいけないものもある。
多くの人に勇気を与えられる存在になりたい。
誰にでもある成長と苦労と逆境。それを乗り越えたことがある者。その上で、自分だけではなく人のためにも生きることができる者。それが僕の目指す「ヒーロー」だ。
だからどんなことが起きても、すべては「ヒーロー」までの「ストーリー」の一部であり、その瞬間、瞬間に起きていることは一つの「シーン」でしかない。
こうやって考えられるようになると生き方というか、自分の取り組むべきものへの意識が大きく変わる。
誰にでも失敗、悔しいこと、苦しいことはあると思うけれど、そして多くの場合、それが次の一歩を踏み出すことをためらわせるのだけど、それらも「ストーリー」の中で考えれば「シーン」でしかないからだ。
誰だって「ストーリー」を生きているのだから、その一部である「シーン」を見て立ち止まっていてはもったいない。いかに「ストーリー」を色付けしていくか、俯瞰して自分の人生を見ていくかに注力したほうがいい──これまでの連載をとおして書いてきたことだ。
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ただ、僕がずっと「ストーリー」の中で生きることを意識してきたかと言えば、全然そうではなかった。むしろ、若い頃は「シーン」にとらわれまくっていた。

ピッチで「目の前の相手に集中する」こと

僕はサイドバックを主戦場にしている。
ポジション的に言えば、DFに分類されるから守備を生業としている。ここ数年でサッカー界にも変革が起きていて、DFは守備をする選手だ、と言い切るのは語弊があるのだけど、もっとも大事な仕事であることに変わりはない。
そんな守備の人間に対して、例えば試合を観ているとき「ここ集中だぞ、集中!」と思う人は結構いるのではないだろうか。ピッチ上でもよく飛び交う言葉だ。
「集中」というのは、確かに「守備」においてとても大事な要素である。誰もが想像しやすいのは「1対1」の局面だろう。
攻撃の選手とDFが対峙したとき、その選手に抜かれてしまったらピンチを迎えることになる。当然だ。だから「1対1」はとても大事である。
しかし、もしこの「集中する」ということが、目の前の選手に負けない、「1対1」にだけフォーカスするものだとすると、これほど危ういものはない。
プロとしてサッカーをする最終的な目標は「試合に勝つ」ことにある(そのためには必ず「ゴールを取る」必要があり、これも目標になりうる)。ピッチに立つ選手は、誰だって勝利を目指している。
そのために“目の前の相手に集中する”ことは、いいことのように思われるかもしれないが、実はそう簡単ではない。攻撃側の選手からすれば、“自分にばかり「集中」する”DFの選手はとてもやりやすいからだ。
例えば、ゴールを取るために攻撃の選手に必要なことはDFの背後を取ることだ。確かに「1対1で勝つ」「抜く」ことができれば、その背後を突くことができる。
しかし、背後を取るためには必ずしも目の前のDFを抜く必要はない。相手のDFがあまりに“自分(対峙する攻撃の選手)ばかりに「集中」している”とすれば、味方の選手を使って、そこにパスを出させればいい。
つまり、“目の前の相手に集中する”ことが、本来の「試合に勝つ」という目的に適っていない可能性があるわけだ。
このことはピッチレベルにおける「シーン」と「ストーリー」の関係とも言える。
「目の前のシーン」ばかりを見ていて、裏に走る相手選手に気づかない。すると、「試合に勝つためのストーリー」にとって危険なものとなる。
「シーン」だけにとらわれることの脆さはここにある。
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「シーン」で突き抜ける

とは言いながら、僕も特に20代の前半までこの「1対1」という「シーン」にこだわりまくっていた。目の前の相手に絶対に負けるものか、と目の色を変え、とにかく食らいついていった。
それが「すっぽんのような守備」と言われるようになり、いつしか「エースキラー」と評してもらえるようになるくらい、目の前にこだわっていた。
こうしたシーンに執着する感覚は「1対1」だけではなく、1試合に対しても同じだった。第一回でも書いたように、とにかくこの試合、このピッチで倒れてもいいくらいの気持ちで、フルに走り続けた。
一緒にプレーをさせてもらった偉大なる先輩たち、中村俊輔さんやサネッティ、スナイデルに対して、わからないことがあればなんでも聞いた。吸収できるものはすべて吸収してやる。その気持ちは「ヒーロー」になりたい未来のためのものではなく、明日の試合で相手に負けない「シーン」のためであった。
「ストーリー」なんてまったく想像しなかったのだ。
この連載では「ストーリー」の重要性を指摘し続けている。では、僕の若い頃を形作った「シーン」というものはどう捉えればいいのだろうか。
一心不乱に上を目指し、一つ一つの階段をなるべく速いスピードで駆け抜ける。僕にとって「シーン」は、そんな、上へと突き抜けていく一段のイメージがある。
残念ながら「持って生まれた才能」という「羽」を持っていなかった僕は、上に向かって一気に何段もすっ飛ばして進むことができなかった。
だから、目の前の「一歩」「シーン」に対してとにかく全力でぶつかっていった。
その結果、ある程度の高さまで来ることができた。すると、上から下を見下ろす余裕ができた。そこで、初めて気づくのである。「ストーリー」のなかに生きてきたのだ、と。
年齢で区切るのはあんまり好きではないけれど、「ストーリー」でものを見られるようになるためにも、若い頃は「シーン」にこだわった方がいい。
「シーン」は喜怒哀楽の感じ方も強烈だ。嬉しいことを味わえる一方、つらい、苦しいことも強く味わうことになる。
そんなとき、「ストーリーの一部だ」と自分を鼓舞してほしい。今の僕がそうであるように。
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「シーン」の持つ推進力

もう一つ、「シーン」にこだわることには強みがある。悔しいことを力に変える能力だ。
「ヒーローまでのストーリー」の中で生きるとき、“「シーン」にこだわることは「WHY(なぜ)」の中に生きることだ”、“「HOW(どうやって)」に目を向ける必要がある”、と前回書いた。
これは「WHY」が必要のないということではなく、経験を経るにつれて、「WHY」から「HOW」に進む時間を短くしていく必要がある、ということだ。
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いつまでもくよくよしても仕方がない、どんどん前を向こう、と考えることが経験を積むにつれて重要になる、ということでもある。
ただ、その経験がないとき、「なぜうまくいかなかったのか」「なぜ怒られなければいけないのか」そんな「WHY」から生まれた感情が、「HOW」を見つけるよりも前に自身を行動させ、前進させてくれるたりする。
これが「シーン」の力だ。
結果、高いところまで一歩一歩かもしれないけれど突き抜けさせてくれる。
変に知恵がついて「ああすればよかったんだな」と勝手に結論づけてしまうようなことがないのだ。
ちょっと極端かもしれないけれど、なんの経験もなかった20代前半の頃の“若造・長友佑都”が、「ストーリー」の中だけで生きていたら、今の僕はなかった。
話は10年前、インテルに移籍すると決まったときのこと。
アジアカップから帰国し、移籍期限の最終日にその連絡はあった。チェゼーナのスタッフが慌てて僕を呼び「とにかくミラノへ行ってくれ」と、何もわからない(どんな契約内容なのかすら)まま車に飛び乗った。通訳もいなくて、代理人は機上の人で話もできない状態だったほど急だった(笑)。
チェゼーナからミラノまで間に合う移動手段は車しかなかったけれど、誰も一緒に行ける人がいなくて、チェゼーナのホペイロ(用具などを準備してくれる人)が運転をしてくれた。イタリアに来てまだ半年。言葉もおぼつかない。時間が迫る焦りと、お互い言葉もわからない無言の3時間に、変な汗が出まくっていたことをよく覚えている。
半信半疑ではあったけど、移籍する、インテルで活躍する、それしか考えていなかった。
後になって、「よく決断したよな」と言われたことがあった。ビッグクラブに移籍するということは、「試合に出られないリスク」もあるからだ。
けれど、「シーン」にこだわってひたすら上しか見ていなかった僕にはその発想自体がなかった。
今になって思うのは、もし僕がこのとき「シーン」ではなく「ストーリー」だけでモノを見ていたら、「インテル? 昨年CLを獲ったクラブだぞ。試合に出れないかもしれない」とか「だったらもう少しチェゼーナで経験を積んだ方がいいのでは?」などと考えて、移籍を躊躇ったかもしれない。
あるいは、移籍して「試合に出られないという現実」に直面していたとしたら「ビッグクラブだから我慢だ」などと変に自分を納得させていたかもしれない。
「ストーリー」と「シーン」。
当たり前だけれど、「ストーリー」を彩るのは「シーン」であり、その「シーン」が魅力的でなければ面白くない。
ただそれは、「ストーリー」ありきではなくて、「シーン」を積み重ね、突き抜けた先で見えた「ストーリー」であることで、より一層輝きを増すのではないかと思っている。
そしてその「ストーリー」に生きる主人公こそが「ヒーロー」になるのではないか、と。
さて、僕の2020年はどんな「ストーリー」になるのか。やっぱり楽しみである。
(構成:黒田俊、デザイン:九喜洋介、松嶋こよみ、写真:Getty)