“さとくん”が19人を殺害するまで
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注目のコメント
残忍でおぞましい事件ですし、あってはならないことです。
ただ、事件の悪質さや残忍さを個人の資質だけに帰して断罪することは簡単ですが、それではかえって事の本質を見失うように思えてなりません。
本稿を読む限り、被告は元々、明るい普通の少年だったようですが、いつ何時、何かのボタンのかけ違いで自分もとんでもない過ちを犯しかねないという健全な恐怖心と想像力を常に持っていないと、かえって危ういと思うのです。
この点、10代の頃に小説を乱読していた時期がありました。その中でも特に読み耽ったのは筒井康隆の作品ですが、彼の過激なドタバタナンセス、スプラッターなブラックコメディ作品の中には、普通の人間がちょっとした出来事をきっかけに、どんどんと不条理な世界に迷い込み、とんでもない罪を犯すというものが少なくありません。
小説に功利的な要素を追求するというのは随分と無粋な話ですが、敢えてフィクションの「役に立つ」点を1つ挙げるのであれば、いつ何時、自分が加害者・被害者双方の立場に立つかもしれないという想像力を養うことなのだと思います。
それはそれとして大麻云々のエピソードは、無理やり事件にこじつけている感が私には拭えません。脱法ハーブや大麻と、差別的言動への豹変を結びつけたいような記事にも読めますが、実際には彼の言動や精神は内的に連続しています。
障がい者の方を「可愛い」「俺がいないと生きていけない」と言っている時点で既に強い者と弱い者の境界線を作り、そこからさらに「生きている価値がない」までは一貫しているのです。
裁判では彼をどう裁くべきかが問われ、どうすれば止められたのかという視点はない。どうすれば止められたのかはナンセンスな問いでさえある。よくない。タイトルといい、半生を報道することにどんな意味があるのか謎。殺害ありきで誰でもある行動も変に見える。殺害をノーベル賞受賞に置き換えたら「やっぱり他とは違うな、さすが」になる。専門家が研究して防止のポイントがあれば報道を検討し、活かせば良いだけ。知りたい人いるのか。?