誤解だらけのアダム・スミス。「見えざる手」の本当の意味

2020/1/26
いま私たちが当たり前のように考える「経済ってこういうもの」という枠組みの大本には、先人たちが積み重ねてきた思想がある。時代を経て「古典」として位置づけられる書物を改めてひもといてみたい。名前は知っていても、著書を読み通したことはないという人は多いだろう。
初回に取り上げるのはアダム・スミス。言わずと知れた「経済学の父」だ。人々が分業し、生産物を市場で交換することで社会全体が豊かになると説いた。
ただ、有名なフレーズ「見えざる手」も、「経済は自由な市場の競争に委ねればうまくいく=神の見えざる手」というように、世の中の解釈は誤解だらけのようだ。
解説してもらったのは、中央大学の井上義朗教授。経済理論・経済学史を専門とする。アダム・スミスを原著で読むなかで、翻訳では分からない言葉の使い分けを発見し、競争をめぐる学説に対する長年の引っかかりが解けたという。その発見とは?

競争は勝つためのものではなかった

今の競争観は「相手を乗り越えるもの(競争力)を持っていないと競争に負けて、淘汰される」というものです。
互いの能力を高めるうえで競い合うことは確かに有効ですが、常に競争相手を乗り越えなければならないためにクタクタに疲れてしまい、そして負けて淘汰されることは自己責任だと冷たく見放されるのが今のありようです。
競争という言葉は両刃の剣だと思っていました。スミスの著書『国富論』『道徳感情論』を原著で読んで、翻訳では競争という1つの言葉があてはめられていますが、実は2つの言葉を使い分けていることに気づきました。