“ビジョン・ドリブン”の地方創生。前橋モデルの真価を探る

2019/12/26
 群馬県・前橋市── 。関東近郊の中堅都市の一つとして、一見目立たないこの街で、新しい“うねり”が生まれている。
 商店街に足を踏み入れると、赤レンガの洒落たレストランが出迎える。東京から移住したシェフが開いた、クラフトパスタの店だ。その隣には、ガラス張りのモダンな装いの和菓子屋。手土産を求める客で賑わう。
 少し歩いた場所では、世界で活躍する建築家・デザイナーによる、老舗ホテルのリノベーションが進行中。2020年、開業予定だという。
 一時は衰退が心配された前橋市に、新たな個性と活気が生まれつつあるのだ。
 前橋市はこの「前橋再生プロジェクト」を、従来の地方創生とは全く異なる方法で推し進めている。その新しい地方創生の型を、「前橋モデル」と呼称。その真価を解き明かすべく、NewsPicks Brand Designは11月30日、東京ミッドタウン日比谷でイベントを開催した。
 イベントは基調講演から始まり、「Well-being」「働き方」「食」「暮らし」の切り口から、全部で5セッション行われた。イベント全体を通じて明らかになった「前橋モデル」の正体を、レポートする。

ビジョンのある地方創生

前橋モデルの一番の特徴は、企業と同じようにビジョンを制定していること。そのビジョンを目指して、街全体を『デザインする』という手法を取っている点が、今までの地方創生にはない新しさだと思います」
 前橋市出身で、中心となって前橋再生プロジェクトを推進するジンズホールディングス代表取締役CEOの田中仁氏は、冒頭でこう切り出した。
 前橋市が定めたビジョンは、「めぶく。」だ。
 市民3000人へのアンケートやステークホルダーへのインタビューを通して、前橋は「良いものが育つ土壌がある」とのコンセプトが生まれた。多くの人に親しまれるよう、「めぶく。」と置き換えている。
田中 「ビジョンを具体化する手段が、街を『デザインする』戦略。
 今までの地方創生は、『その地にすでにあるもの』を起点に施策を考えていたと思うんです。一方で前橋は、どういう街を目指すかという“ビジョンドリブン”で、県内外の一流クリエイターの知恵を総動員しながら、街全体をより良く作り変える挑戦を始めています
 スペースコンポーザーで、さまざまな地方活性化プロジェクトでアドバイザーを務める谷川じゅんじ氏は、前橋モデルの魅力をこう語る。
谷川 「前橋モデルの面白さは、この規模の都市をして、“デザイン”をキーワードに掲げた点。街のデザインはソフトとハード、両方にまたがります。目に見える建築物などはもちろん、目に見えない体験や空間もデザインすることになる。
 だからこそ、街のデザインは絶対に一人じゃできないんです。前橋がデザインというキーワードを掲げた瞬間に、多様な人が集まりだして一緒にやろうよ、という機運が生まれたのです」
セッションには群馬県知事の山本一太氏(右から2番目)も飛び入り参加。行政もこのプロジェクトと連携していく旨を語った。

「熱を移して」仲間を増やす

田中 「僕が前橋の街づくりに関わるようになったのは、世界の起業家の大会に出席したのがきっかけです。欧米の起業家の社会貢献を目の当たりにして、地元前橋に対して何かしたいと考えるようになりました。
 そこで前橋を何とかしようと本気で取り組む、熱量の高い若者たちと出会って。ネットワークもお金もない彼らが街づくりにかける想いに感化され、居ても立っても居られなくなったんです」
谷川 「僕の母親は実は、群馬県の山間部に1人で移り住んでいます。
 移住後の母を見ていると、都会の忙しさとは全く違った形で、『忙しそう』にしているんです。近所の集まりからボランティアまで、人に必要とされることで生き生きとしている。
 効率や成長といった軸で毎日が流れる僕ら都会の暮らしと、芳醇な時間と自然の中に生きる母の群馬での暮らしを見比べて、住む場所や生き方を捉え直す必要性を感じた。それがきっかけで、前橋再生プロジェクトにも関わりを持つようになりました」
前橋の変化の軌跡をパネルで展示。多くの来場者の関心を引いた。
 このプロジェクトは、動き出してから約5年。まだ成長真っ只中のフェーズだ。
田中 「前橋の変革は、まだ始まったばかりです。これから変わる、というこのタイミングを、ぜひ多くの人と一緒に共有したい。
 人まかせでは、街は作れません。『自分ごと』として取り組むのはもちろん大変なんですが、その分喜びは大きい。ぜひ多くの方に前橋に来てもらい、前橋の芽吹きを体感し、この『熱』に加わってもらえたら嬉しいですね
 前橋市は、日本のクリエイティブ産業の活性化に、一役を買える──。
 前橋市への産業誘致を推し進める、quod共同代表の飯塚洋史氏は、そう語る。このセッションではその理由を、Well-beingを予防医学の観点から研究する石川善樹氏と、脳神経科学の観点で研究する青砥瑞人氏を交え、解き明かす。

Well-beingの鍵はクリエイティビティ

石川 「Well-beingに生きるとは何か。もちろん人によって定義は違うことでしょう。ただ、みんな違ってみんないいでは先へ進めません(笑)。これは街づくりでも一緒で、何を主眼とするのか仮でもいいから決めることが重要。
 ここで注目したいのが、前橋市は『デザイン』や『クリエイティブ』を合言葉にしていることです。
 確かにクリエイティビティは、Well-beingを構成する重要な鍵です。人はどんな小さなことでも、創造性を発揮している限りはWell-beingを感じますからね。またこれからの私たちの働き方を考えても、クリエイティブな活動の割合はどんどん増えていくはずなので、とても面白い着眼点だと思いました」
飯塚 「僕も同感です。モノがあふれる今の時代は、みんな物質的な豊かさへの興味が薄れていて、むしろ精神面や文化面を満たしたがっている。だからこそ、クリエイティビティを高める必然性が増していると感じます」
 飯塚氏によると、日本でクリエイティブ産業に従事する人は増えているものの、世界的に見れば大きく後れを取っているという。
※専門職等:アメリカ以外:研究者、技術者、医師、金融・法律家、教員、デザイナー、芸術家等(ISCOに基づく分類)アメリカ:NAICS(北米産業分頼システム)に基づき、上記に沿った職業従事者数を調査 Source: Demographic Yearbook(UNSD), Labour Force Survey(ILO, ONS UK, Statistics Norway), Labour Force Statistics(CPS US), 労働力調査(総務省)
飯塚 「世界のクリエイティブ産業の労働人口割合を見てみると、日本は約15%な一方で、スウェーデンは50%近く。各国が政策的にクリエイティブ産業を推進している中、日本は大きく後れを取っているのです

人生を“消費”してはいけない

 前橋再生プロジェクトは、日本のこのクリエイティブ産業の問題に一石を投じるものになると、飯塚氏は語る。
飯塚 「前橋は街中に緑をちりばめ、都市の便利さと自然の両方を楽しめる街づくりを進めています。さらに一流の建築家やアーティストの作品で、街がデザインされていく。
 前橋の街中を歩いているだけで自然やアートに触れられ、結果的に自分の感受性を高められる。前橋は、“誰もがクリエイティブになれる”、ユニークな位置付けの街にできると思うのです」
青砥 「自然は、脳をクリエイティブにする重要な要素。無機質的な都会に対して、田舎の自然は変化していく有機物。時間とともに移ろい変化する情報は、脳にすごく大きな刺激を与えてくれるんです」
前橋市の街中を流れる広瀬川。自然を感じながら街歩きを楽しめる。
 石川氏は、前橋を「いい感じに何もない街」と形容する。
石川 「東京にいると、刺激や情報にあふれているので、それらを消費するだけで時間が過ぎていってしまいます。でも前橋は実際に行ってみるとよくわかるのですが、いい感じに都会にあるものがありません。たとえば、街中なのにあまりコンビニやチェーン店がないといった具合に。
 先日前橋で出会った若者が、『前橋は夢を追いかけたい人には、最高の場所』と話していたんです。都会にあるものがないからこそ、何をやろうかなとワクワクできる時間と場所があると、語ってくれました。
 都会で自分を“消費”してしまうのではなく、自分の人生をきちんと選んで、時代を創っていきたい人。そんな人にとっては、すごく魅力的な街だと思います」
 生活の質を大きく左右する、「働き方」。テクノロジーが発展を遂げた今、私たちはどんな働き方ができるのか。前橋で実現できる“生き方”とは。
 前橋市長の山本龍氏、チェンジ代表の福留大士氏、前橋市の現代美術館で館長を務める住友文彦氏が登壇。at Will Workの藤本あゆみ氏をモデレーターに迎え、読み解いていく。

働き方が「空間の制約」を超えた

福留 「僕はデジタルシフトを推進する会社を東京で経営しており、今まさに前橋でのサテライトオフィス設立を計画しています。リモートワークなどのテクノロジーの進展で、やっと『どこでも働ける』時代がやってきたからです。
 これからは多拠点居住が、当たり前になってくるはず。東京は東京で最先端都市として発展し、周りには前橋のようにユニークな個性を持つ街が点在する。東京と地方都市の両方に拠点を持ち、互いの“良い所取り”ができる働き方が、可能になっていくと思うんです
 前橋市のユニークさとして、前橋市長の山本氏は、「自由度の高さ」を挙げる。
山本 「東京が“ファスト”なら、前橋は“スロー”な街。ゆっくり時間が流れる分、時間の使い方、つまり人生そのものを、自分の意思でデザインできるんです。
 行政は、市民が自分らしく活躍できる環境を整え、問題が起きた時だけ調整役をする。市民と行政の関係は、そうあるべきだと思っています」
前橋市の魅力を語る山本市長(左から2番目)
住友 「自由度の高さで言うと、僕が前橋で館長をしている美術館『アーツ前橋』には、目標入場者数の設定がないんですよ。だからこそ、福祉施設とのコラボレーション展示など、他では難しいチャレンジングな企画ができるのです」

自分の働き方にプライドを

 都会の暮らしでは、多くの人が知らないうちにストレスを抱えていると、住友氏は指摘する。
住友 「都会には情報が多いので、他の人と自分をつい比べてしまうんです。それがストレスにつながっている。
 でも都会の喧騒から少し離れて前橋で働いていると、そんなことは気にならなくなります。農家さんなど、自分の働き方にプライドを持っている人も多い。周りにそういう人がいると、“自分らしく生きれば良いのだな”と思えるようになります
山本 「前橋は、人生をスローダウンさせ、豊かな人間性を取り戻せる場所だと感じます。
『めぶく。』のコンセプトに表されているように、前橋には人を育てる土壌がある。前橋の大地に眠る養分を存分に吸収して、多様な花を咲かせてほしいと思っています」
 Session3のテーマは「」。ミシュランに名を連ねるフレンチレストランのオーナーシェフ、川手寛康氏や、前橋市に移住した料理人の沢井雷作氏、デザイナー業の傍ら前橋市に和菓子屋を開いた村瀬隆明氏、さらに前橋市に代々根付く農家の伊能友和氏など、さまざまな視点から食のカルチャーを興す方法を探った。

料理人が幸せな場所は、東京ではない

 東京で一流フレンチレストランのオーナーシェフを務める川手氏は、壇上でシェフとしての本音をこう明かした。
川手 「“一番美味しいものを作る”ことだけを考えた場合、料理人にとって一番幸せな場所は、もう東京ではないと感じます。優れた生産者の存在、店の経営コストなどを考えると、地方でお店を開く方が良い。それが、今の正直な気持ちです。
 僕は今、2020年に前橋にオープンする予定の白井屋ホテルのシェフを、コーチングする役目を担っています。前橋は正直、土着の食文化はあまりない。そんな場所で、どう“前橋らしい”食を生み出せるか。難しいですが、そこに燃えてしまうのが料理人なので、非常にやりがいを感じています」
 東京の有名レストランの総料理長を経て、前橋市でクラフトパスタ店「GRASSA」を開いた沢井氏は、前橋市でレストランを商う醍醐味をこう語る。
沢井 「前橋に来る前は僕も東京で長年、イタリアンレストランの総料理長をしていました。自分の店を開くという夢は持っていましたが、東京ではなかなか言い出せなかった。前橋でやっと叶えられたのです。
 今日一緒に登壇している良農園の伊能友和さんからも野菜を仕入れており、お店を開く前に畑も見せていただいた。そういった素晴らしい生産者の存在も、前橋でやっていこうと決められた理由の一つです
村瀬 「僕は元々東京でデザイナーの仕事をしていて、菓子作りとは全く縁のない生活をしていました。ですが前橋再生プロジェクトに関わるうちに、もっと自分ごと化したいと感じるようになって。プロジェクトメンバーと一緒に勉強をして、前橋に和菓子屋の『なか又』を開きました。
 正直、最初に前橋の商店街を視察した時は、『何もないな』という印象で(笑)。でもだからこそ、チャンスを感じたのを覚えています。
 今となっては『あれもこれも』と、やりたいことばかりで、時間が足りないくらい。一緒に商店街を盛り上げる仲間が来てくれたら、こんなに嬉しいことはないですね」
 最後のSesison4では、「暮らし」をテーマに、アーティストのスプツニ子!氏や、建築家の藤本壮介氏、平田晃久氏が登壇、谷川じゅんじ氏が議論を進行した。この3名、実は前橋市で独自のプロジェクトを進めており、セッションでは各々の思いが語られた。

前橋の面白さは、“同時多発”

 前橋市の老舗ホテル「白井屋」のリノベーションを行う藤本壮介氏は、自身のプロジェクトを「前橋の新たな拠点」にしたい、と話す。
藤本 「このホテルは、住民も観光客も気軽に集まってくつろげる、いわば前橋のリビングルームにしたい。そう考えて、1階から4階まで全て吹き抜け、天窓から自然の光が入る構造にして、開放感を得られるデザインにしました」
白井屋の外観予想図。自然光だけでなく、外観の緑も訪れる人に癒しを与える。(c) Sou Fujimoto Architects
平田 「僕は街中の複合施設のデザインを任せてもらっています。これは商業的な目的だけでなく、人が集まる場所をデザインする、という試みでもあるんです。
 施設自体も、民間の人たちが共同所有する予定。街のコミュニケーション自体をどのようにバージョンアップできるか、今まさに模索している最中です」
 商店街の一角のリノベーションを担う予定のスプツニ子!氏は、アートと街づくりの関係をこう読み解く。
スプツニ子! 「アートは、社会の摩擦や葛藤を、アーティストなりの視点で形にするもの。自分とは異なる世界を見るための、窓口だと思うんです。
 街づくりの手法として、街の中でアート、つまり多様な視点に出会う仕掛けを作るのは、すごく納得感がある。街自体の知性、教養を上げることにつながるはずです
藤本 「前橋では今同時多発的に、新しい建築やアートが生まれているんです。これらが点在することで、その間を行き来する“回遊性”が街に生まれる。
前橋市のユニークさを語る、建築家の藤本氏。
 前橋はそもそも歩き回るのにちょうど良い、ヒューマンスケールの街でもあります。この規模の街で、さらに建築やアート、さらには食文化まで交わりだしたら、“すごいことが起きる”予感がしています」
 300人を収容する会場は、イベントを通して常に満員。地方創生に関わるビジネスパーソンが多く集い、前橋モデル、ひいては地方再興への関心の高さがうかがえた。
 これから、前橋市はどのように姿を変えていくのか。地方再興の新モデルとして、さらに注目が集まることは間違いない。
(取材・編集:金井明日香、構成:工藤千秋、写真:後藤渉、デザイン:岩城ユリエ)