【スプツニ子!】同質化を乗り越えた先に広がる世界

2019/11/14

他者との摩擦が、知性のスケールを広げてくれる

── スプツニ子!さんは、高校時代までを日本で過ごし、ロンドン大学で数学や情報工学を学んだ後、英国王立芸術学院でアートの道へ進んでいます。そもそも、なぜアートに惹かれたのでしょう?
スプツニ子! アートが、自分の知らない世界への窓口になってくれたからです。
 私の両親は数学者で、私も理数系の教科が得意だったのですが、高校で教えられる範囲の数学や物理は答えがわかりきっていて、退屈に感じていました。
 そんな時、美術館に行ってアートを観ると答えのない作品だらけで、それまで触れたことのなかった視点に出会えて、すぐにハマってしまったんです。
── アートを通じて、どんな世界が広がりますか。
 たとえばジャーナリズムは事実をストレートに報じるところがあるけれど、アートでは、すぐに言語化できないような社会の空気や予兆のようなものを作品として形にできます。
 先日、ロンドンの美術館で観た作品に、シリアの戦争から逃れた子供が自分に起きたことを身振り手振りで説明する映像がありました。
 彼は耳が聞こえず、言葉も話せないので「こういう人がやって来て、隣にいた人が頭を撃たれて……」と身振りだけで伝え続ける。それを見ていると胸が苦しくなって、どんなニュースよりも思考や想像が掻き立てられました。
 私はこれまで、さまざまな時代の不条理や人類の葛藤を、アーティストの作品から感じたり、学んだりしてきた気がします。
 岡本太郎の「明日の神話」や、ピカソの「ゲルニカ」もそうですけど、どんな時代でもアーティストたちは、自分の置かれた状況や社会への葛藤、他者との摩擦を作品にしてきました。
 私も子供の頃にいろいろな葛藤があったので、その時に感じた気持ちと重ね合わせて作品を見るようになりました。
── どんなことに不条理や葛藤を感じていましたか?
 たとえば日本の公立の小学校に通っていた時、私はみんなと同じように日本で育って日本語を話しているのに、ハーフということで知らない上級生から「ガイジン!」と毎日ヤジられていました。
 もちろん、そんな差別をする子はほんの一握りで、全体の1%に過ぎない。それでも、当事者である私にとって、差別的な発言を毎日誰かに浴びせられることが100%の現実でした。
 そういう体験もあって、米国の黒人差別でもLGBTの問題でも、さまざまなマイノリティの葛藤を自分ごととして捉えるような気持ちが子供の頃に生まれました。そして少しずつ、学校で「ガイジン!」と叫ばれたら「あなたみたいな日本人にならなくてよかった!!」と言い返せるようになりました。
 言い返せるようになるといじめはなくなったので、私は同じ学校でいじめられていた中国人や韓国人をかばうようになりました。人種とか性別とかセクシュアリティとか、生まれつきのことで人に差別されたり排他されたりするのって、本当に悔しいしつらいんですよ。
 私は子供の頃に受けたいじめのおかげで、そういう感情に共感できるようになった。そして、こういういじめをしたくなるマジョリティの残酷さにも、早い時期に気づけたのだと思います。
── 日本からイギリス、アメリカと拠点を移しながら活動されていますが、国や都市によってどんな違いがありますか。
 ロンドンやニューヨーク、サンフランシスコなどの都市は、街を歩けばさまざまな人種に当たり前のように出会います。異なる文化や思想との接点があり、日常的に摩擦も起こる。
 そうした都市で学生やビジネスマンと交流して感じるのは、優秀な人はみんな柔軟な知性が育っていること。思考力や他者への理解力、想像力が高く、時代の変化を乗り越える力もある。
 彼らは、文化や思想の異なる人と触れ合うことが多いおかげで、成長の機会に恵まれていると思います。他者と出会うことで自分の考えを理解するきっかけを持てるし、意見を交わすことで自分のスタンスがさらに明確になっていく。
 そして違う価値観を持つ人々と衝突しても、それを乗り越え共存する方法を考える。知性というのは、他者との摩擦で育つものだな、と感じます。
── 一方で、日本は同質性が高い国です。
 そうですね。東京のような大都市でさえ、外国人や異文化に触れることが少ないと思います。
 日本では生活やコミュニティのなかで出会う異物や他者が少ないので、自分の考えを理解したり、他者と意見を戦わせたりする機会が乏しい。独自の答えを構築するよりも、みんなが同じ一つの答えに合わせていく感じがあるように思います。

フィルターバブルによる「分断」を乗り越えるには

── スプツニ子!さんが2010年に発表した「生理マシーン、タカシの場合」のYouTube動画は、世界中で再生されました。インターネットは異文化や他者との接点を増やすと思いますか。
「生理マシーン、タカシの場合」をYouTubeにアップロードしたのは、美術館で行われるような議論をオープンにするためでした。
 当時の私はネットやSNSに希望を持っていて、小さくても意味のある意見が共感を集めたり、みんなで議論することで相互理解が進んだりするパラダイスみたいな場所になると思えていたんです。
 YouTubeやFacebookのコメント欄が、私にとってのパブリックディベートの場になるんだ、と。
 でも、その後の数年で肌触りが変わってきた。インターネット上での議論の性質が、明らかに変わりましたよね。
 ソーシャルメディアやテクノロジーの進歩がフィルターバブル(ネット上のフィルター機能によって、見たい情報しか見えなくなること)を生み、今ではすごいスピードで同質化を進めているように感じます。
 ソーシャルメディアには見たいニュースだけが何度も流れてきます。そのため、閉じた輪のなかで思考が先鋭化されていって、他者への許容力、想像力、理解力がどんどん薄れている。
 その現象は世界中で起きていて、人々はインターネットによって理解し合うどころか、分断が進んでいます。
── インターネット上で、同質なもの同士がまとまっている。
 そうです。ニューヨークやロンドンなどは物理空間に多様性があるからまだいいけれど、もともと同質性の高い国や地域は心配ですよね。ネット上でもリアルでも、他者に触れる機会がないわけですから。
 私の親戚がいるイギリスの田舎町も、白人ばかりが住んでいる地域です。2016年の国民投票でイギリスのEU離脱が決まった時、親戚たちは移民を恐れていました。移民を見たこともないのに、ソーシャルメディアでは「移民は悪だ」「移民は犯罪者だ」みたいなニュースばかりを目にしていたから。
 日本も同じです。もともと社会や個人について考える時に、「普通」や「常識」を重んじる文化がありましたが、それがさらに強化され、排外的な傾向が強まっています。
 ネット上には、私に共感して応援してくれる人たちもいます。でも、この10年でわかったのは、私が何を言おうとも、その信条や理想を徹底的に潰したい人たちも必ず存在するということです。
 先ほどお話しした、小学生の時の体験と同じですよね。一部の人とはいえ、変なメールが届いたり、大学に嫌がらせの電話をされたりしたこともあります。しかも、そういった嫌がらせをする人が1%だとしても、その総数は私が影響力を持つほどに増えていく。
── そうした「分断」は、スプツニ子!さんの活動にどう影響しましたか?
 ネットでの振る舞い方が変わりました。「届けるべき人にメッセージを届け、見られなくていい人たちには見られないようにする」というのが、最近の私のストラテジーになりつつあります。
 悩ましいのが、これは「フィルターバブルをなくし、他者を理解する」という過去の主張と矛盾すること。悲しいけれど、10年前と真逆のことを言ってしまっているんです。
 このままではいけないとも思うけれど、まだどうすればいいか明確な答えは見つけていません。今、自分のなかですごく葛藤があります。
── そのジレンマは、今の時代の社会課題でもありますよね。
 今、世界の思想やアクティビズムのあり方が、過渡期にさしかかっているのかもしれません。
 ポジティブな変化としては、特にここ3年ぐらい、日本では#MeTooなど、ソーシャルメディアで新しいフェミニズムが盛り上がり、すごい勢いで女性の声が発信されるようになりました。
 旧来の男性中心社会でつくられた慣例やメディアに対し、SNSで批判があがることも増えています。これまで日本で当たり前のように出されていた女性蔑視的な企画や広告が、SNSで炎上するようにもなりました。
 最近のSNSでのフェミニズムの盛り上がりって、実はトランプ現象と力の構図が似ているんですよね。トランプ支持者の多くは、かつてCNNやBBCなどのメインストリームメディアでは声が聞こえなかった人たちです。
 しかし今、彼らのような非エリート層がソーシャルメディアで声をあげるようになった。女性の声が聞こえるようになったのと同じ現象です。
 フェミニズムとトランプ現象は思想的にまったく違いますが、「女性 vs. 男性」「非エリート vs. エリート」というSNSの対権力構造が近い。これは、皮肉なことなんですけどね。

経済というツールをどう使うのか?

── スプツニ子!さんは、今、誰にどんなメッセージを届けたいですか。
 いろんな思いがあるんですが、自分の活動を通して、マジョリティに声が無視されたり軽視されたりしている人たちの背中を押せたらうれしい。ただ、「特定の誰かにこういうメッセージを送るために作るんだ」というシンプルなことでもないんですけど。
 私は作品を制作する時に、Twitterで人を募集することが多いんです。一人でリサーチしても追いつかない時に「○○について調べてるんですけど、10人分の脳みそを貸してくれませんか」って募集をかける。そうすると、メディアの記者さんや医師や学生など、会ったこともない人が応募してくれて、彼らの仕事の合間に手伝ってくれる。
 そこから共感をベースに仲良くなって、一緒にお茶をするようになったり、情報や人脈を紹介し合ったりと、新しいチームやコミュニティが作られていく。そういうのはネットの集合知がリアルなつながりになる感じがして、素敵だなと思います。
── なぜスプツニ子!さんの「共創」はうまくいくんでしょうね。周囲を巻き込むことにコツはありますか?
 私が心がけていることの一つは、自信スイッチを入れることです。
 日本では謙遜が美徳とされるけど、「つまらないプロジェクトですが……」「力不足かもしれませんが……」って言うリーダーのプロジェクトなんて手伝いたくないじゃないですか。だから、人が付いてきてくれる時こそ、「絶対実現するし、めちゃくちゃ楽しいし、歴史に残るよ」と言って仕事しています(笑)。
 それに、自信があるだけで、能力が2倍にも3倍にも発揮されることってあると思うんです。タダでチャンスが数倍になるんだから、いいことずくめです。
 もう一つ考えているのは、応援している人たちに対して、私からはどんな価値を提供できるのかということ。協力者やスポンサー企業にとって、作品としてのアウトプット以上に、応援するプロセス自体が大事だったりするのかな、と思う時があります。
 たとえば投資家がスタートアップ企業に投資する時の目的って、お金だけじゃなかったりしますよね。「この事業が実現することで未来が面白くなるんじゃないか」「この起業家と次の数年を並走することで学ぶことがあるんじゃないか」という気持ちを持って応援する人も多いと思います。
 私のプロジェクトを応援してくれている方も同じように、私が掲げているメッセージや創作に参加するという体験自体に価値を感じてくれているのだと思います。言葉にすると、「なんか面白そうだから」というくらいかもしれませんが(笑)。
── なるほど。その考え方は、アートにもビジネスにも通じますね。アーティストとして、今のビジネスパーソンに伝えたいことは?
 ベネッセホールディングスの名誉顧問である福武總一郎さんの言葉に、「経済は文化のしもべである」という名言があります。本当に一流の経済人って、経済だけを見ていないと思います。
 自分がどういう世界を作りたいか、どんな文化を作りたいかを強く考えているから、ビジネス自体がうまくいかない時でも逃げない。すぐに方向転換しないから、共感する人たちが集まってくる。
 経済は目的ではなく、新しい世界を生み出すためのツールに過ぎません。芸術でも、思想でもいい。経済以外の文化に触れて、「何のためのビジネスか」を考えることが、世界をよりよく変える第一歩になるのだと思います。
(取材・編集:宇野浩志 構成:有馬ゆえ 撮影:小島マサヒロ スタイリング:藥澤真澄 ヘア:KOKI NOGUCHI[TRON]、メイク:鈴木麻里子 デザイン:砂田優花)