【検証】「FA制度」導入の裏で何が話されていたのか?

2019/11/4

FA制度が生まれた背景と思惑

野村克也がヤクルトスワローズを15年ぶり2度目の日本一に導いた1993年、プロ野球(NPB)の選手獲得に関する二つの新制度が導入された。「フリーエージェント(FA)制度」とドラフト会議の「逆指名制度」だ。
一軍の登録日数が10年に達した選手が自由に他球団への移籍を交渉できるFA制度と、ドラフト1、2位に限って大学生、社会人選手が入団先を自分の意思で決められる逆指名制度の導入は、「職業選択の自由」が極端に限定的なNPBにとって画期的な出来事だった。
これらが同時期に始まったのは、決して偶然ではない。
逆指名制度を主導した「球界の盟主」に対し、当時、日本ハムファイターズの球団代表を務める小嶋武士はこんな警鐘を鳴らしている。
「『逆指名制度をやれば、野球界は裏金にまみれて大変な業界になる』と我々は忠告を出しました。現実にその後、そういうことが起こり出します」
逆指名制度が導入された際、争奪戦により契約金が高騰することを避けるため、12球団は最高契約金額を1億円にすることを申し合わせた(最高標準額。1994年から1億円プラス出来高払い5000万円)。
しかし2013年3月15日付の朝日新聞は、1997年から2004年にかけて読売ジャイアンツが6人の新人選手に対し、球団間で申し合わせた最高標準額を超える契約を結んでいたと報じた。(注1)
巨人に限らずこの約束が反故にされていたことは、球界の誰もが知っていたと小嶋が明かす。
「逆指名をとるための裏金は、選手だけでなくその関係者にも配られていました。そんな話は表に出ないけど、プロ野球に携わっている者なら全部わかるわけです。ドラフトの契約金は1億円を“目安”とされたけど、そんなものは守られていない。逆指名制度を契機に、そういうプロ野球をつくってしまったわけですよ。何年か後には、オーナー自身にも辞めなければいけない者が出てきた(注:例えば2004年秋のドラフトで自由獲得枠での巨人入団が確実視されていた一場靖弘投手に球団として約200万円を渡していた責任をとり、渡邊恒雄オーナーが辞任)。
もともと選手会からFA制度の要望があって、(逆指名制度の導入なども行われ、選手の権利を拡大することについて)ある程度考慮せざるを得ないという雰囲気が出てきたわけです」

読売新聞が繰り広げたキャンペーン

日本シリーズで巨人が西武に4連敗を喫した43日後の1990年12月6日、読売新聞は「プロ野球のドラフト制はこれでいいのか」という社説を掲載した。2日前、労働組合日本プロ野球選手会はFA制の導入を要求することに決めている。
同記事は、「背景には、昨年ダイエーに指名された元木大介選手(上宮高出身)、今回ロッテの指名を受けた小池秀郎投手(亜細亜大)らによる入団拒否がある」と解説している。2年続けて、意中の球団に入札されなかった目玉候補が入団拒否したのだ。そして記事は、「選手会の要求は、ドラフトを含めて、プロ野球の入団・契約のあり方に見直しを迫るものと言えるだろう」と続けた。
年が明け、読売新聞はドラフト改革キャンペーンを加速させていく。
独自に実施した全国世論調査の結果を2月17日に記事にすると、3月4日には社説で「改善迫られるプロ野球ドラフト制度」を掲載した。世論調査によると、「いまのドラフト制度を存続させたほうがいい」は19.6%と少数派で、最多は「改善のうえ存続」で47.4%。その結果をふまえ、「いまは、人びとの意識も、社会の仕組みも、個人の選択の自由を拡大する流れの中にある。その意味でもドラフト制度の手直しは避けて通れない課題だろう」と指摘している。
そしてペナントレースが開幕する4月6日、「プロ野球は『闘いのドラマだ』と」と題した社説では、「ドラフトを含めた現行制度は、選手の人権を犠牲にし、同時に、企業間の自由な競争を制限する方向に働いている。選手は、やめる以外に本人の意思がきかないし、球団の間には、互いにもたれ合うような要素があることを否定できない」とし、「まずドラフト制を全面的に見直す必要がある。その上で存続させるなら、フリーエージェント制の採用に踏み切るべきだ」と締めた。
一方、労働組合日本プロ野球選手会は1985年に登記された頃から、FA制度の採用を訴えていた。ドラフトで自分の働き場所が一方的に決められる以上、入団してチームに一定期間貢献した後、「自由になる権利」を求めた。
読売新聞の一連の主張は、至極真っ当に聞こえる。
ただし、あくまで一般社会の基準で考えた場合だ。スポーツの世界でも、Jリーグや欧州サッカーのように降昇格のあるオープンリーグでは、自由競争が最大限に行われるべきだろう。
一方、連載初回でNBAの例を出したように、降昇格のないクローズドリーグでは「競争と共存の絶妙なバランス」を考慮する必要がある。1チームの戦力が飛び抜けて勝ち続けると、残りのチームは負けが込み、リーグ全体としての面白さが相対的に損なわれるからだ。そのうえで、選手の「自由になる権利」も追求しなければならない。
【検証】「FA制度」では、なぜ悪者が生まれるのか?
労使間で契約が切れた後、更新する権利を球団のみが持つという「保留制度」が成り立つのも、プロ野球が“特殊な世界”だからと言える。日本ハムの小嶋元球団代表がその論理を説明する。
「野球界は言わば、村社会です。村社会の中で掟があっても、それはおかしくない。国会の中でも提起されて、プロ野球界に参加する者たちが“条約”をつくって運営していくのは承認された。そうしてドラフト制度は存続した」
プロ野球選手に「職業選択の自由」がないという問題提起は度々起こっている。1979年には国会で議論され、最終的に小嶋の言うような判断が出た。

「逆指名2枠」が生まれた理由

選手を所属球団が縛り続ける「保留制度」の是非で、もう一つ検討されるべき観点がある。独占禁止法だ。公正取引委員会の笠原慎吾・経済調査室長が説明する。
「確かに契約が終わったにもかかわらず、契約的に縛られている状態だと思います。でも契約が終わるときにいきなりそういうルールを出してきたわけではなく、統一契約書の中でそういうオプションの行使ができると書かれた上で、選手たちは合意してサインしています。それをどう見るかという話はあるかと思いますが、契約関係がないのに不当に縛っているというのは、必ずしも正しい見方ではないと思います」
“開かれた一般社会と、閉じられたプロ野球”では分けて考えるべきことがあると、笠原室長が続ける。
「NPBという一つの興行団体が共通のルールを定めてやっていることです。各チームが了承しているという意味において、我々では『共同行為』と言いますが、外形的にはカルテルや談合と同じような話で、『みんなでこういうルールでやっていきましょうね』と横で合意するものです。通常のビジネスの中では、カルテルは原則違法です。やった瞬間に、どんな効果があるかはさておき独禁法としてアウト。基本的に、世界中でそういう概念です。
ところがスポーツに関しては、必ずしもそういうルールを設けて一発アウトではなく、若干の留保が必要というのが我々の考え方です。それによって競争上プラスになることも考えられるとすれば、個別にバランスの中で評価しましょうということです」
独禁法が求めるものの一つは「競争促進」だ。保留制度やドラフト、FAがあることで、プロ野球では競争が促されているのか。そこに反した場合、法の出番になる。
逆に言うと、制約によって全体の競争が促進されるという見方もあるのだ。
大阪近鉄バファローズが消滅し、東北楽天イーグルスが誕生した2004年の「球界再編騒動」で、12球団による2リーグ制から10球団の1リーグ制に向けた動きがあったことはよく知られているだろう。
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今から振り返れば、地殻変動の“兆し”はドラフト改革の裏でも見られた。逆指名制度を求める巨人の渡邊オーナーから、「強権的な発言もあった」と日本ハムの小嶋元球団代表は振り返る。
「例えば、『賛同する者たちと新しいリーグをつくる。自分たちは(NPBから)出ていく』という話まで出た。実際にはアドバルーンを上げただけでも、それに恐怖感を受けた球団が『大変だ』となって、セ・リーグ6球団が全部集まって『従います』と。それにパ・リーグの西武とダイエーが乗っかった。
残りはロッテとうち(日本ハム)とオリックスと近鉄。そうすると(議案の議決に必要な)4分の3以上の同調は取れないわけです。そこで選手会も巻き込んで『(ドラフトを)フリーにしろ』という声が上がり始めた。それで4球団だけが(現行制度に)固執していても具合が悪いとなり、やむなく『2名の枠を自由にしていいですよ』と、ドラフトの制度が変わりました」

FA制度「時期尚早」と提案した理由

ドラフト改革の交渉が続けられる一方、FA制度の検討が本格化したのは1992年だった。
前年の12月3、4日に開催された労組プロ野球選手会臨時大会では参加選手中98%の賛成で、FA制の実現に向けて「ストも辞さず」と決議された。これを受け、1992年1月24日に行われた選手間と球団側の労使交渉で、球団側はFA制度の実施に向けて本格的に動き出すことが決まった。
球団側では3月に「FA問題等研究専門委員会」という諮問委員会が発足し、セ・リーグから巨人、阪神タイガース、中日ドラゴンズ、パ・リーグから西武、日本ハム、福岡ダイエーホークス(現ソフトバンク)、そして有識者としてテレビ東京会長の中川順、弁護士の根岸重治、慶應義塾大学法学部教授でメジャーリーグに精通する池井優の3人を加え、FA制度について様々な研究がなされた。
4月30日に第3回FA問題等研究専門委員会が行われた際、小嶋が残したノートのコピーが手元にある。
FA制度の導入について、日本ハムは「時期尚早」とし、阪神と中日は「反対」、巨人は「移籍の自由を導入する方法を日本的方法で導入すべき」とし、西武は「結論を出すに至っていない」とお茶を濁した。巨人以外で唯一賛成に回ったのがダイエーだった。
日本ハムの小嶋が「反対」ではなく「時期尚早」としたのは、メジャーリーグ機構や提携するニューヨーク・ヤンキースからアドバイスを受けていたからだ。FA制度導入の副作用として生まれる年俸高騰、戦力の不均衡などの問題に対策を打っておかないと、球界全体がうまく回らなくなると懸念し、然るべき準備を整えてから導入すべきと訴えた。
しかし小嶋の挙げたマイナス要素は十分に検討されることなく、FAは“実現ありき”に舵を切られていく。その裏で鍵を握ったのが、巨人に猛烈な対抗心を燃やした二人だった。
“球界の寝技師”こと根本陸夫とともにフロントとして1980年代から西武ライオンズ黄金期の礎を築き、1990年にダイエーの球団代表に就任した坂井保之と、西武グループの総帥として根本、坂井を使った堤義明である。(敬称略)
※第3回は11月9日公開予定
(執筆:中島大輔、バナーデザイン:九喜洋介、増嶋こよみ、写真:アフロ)