【ドミニク・チェン】情報のその先へ。ミクロな生態系に学ぶコミュニケーションの未来形

2019/9/30

1/1000mmの菌たちの多様で豊潤な社会

── ドミニクさんの活動は、インターネットや人工生命、メディアアートなど、非常に多岐にわたっています。こうした活動を貫く問題意識とは、どのようなものでしょうか。
ドミニク 僕はもともと、「コミュニケーションの方法」という観点から、インターネットに興味を持ちました。それで自分でも会社を興して、ネット上のコミュニケーションサービスを開発するようになりました。10年ほど前のことです。
 実はそのころ、会社の共同創業者が発酵食マニアで、彼の家に伝わるぬか床の一部を譲り受けたんですね。それで自分でも野菜を漬けるようになったらハマってしまって。
 そうすると、昼間は、ネットユーザーのオンラインでの挙動をじっと観察しながらサービスを設計して、夜、家に帰宅すると、自分のぬか床を観察しつつ手を入れるという生活をするようになりました。
写真:iStock
 考えてみると、昼も夜も同じようなことをやっている。人と微生物というスケールの違いはあるけれど、どちらもコミュニティを観察して、そこに手を入れて価値のあるものが生まれることを支援しようとしているわけです。
── 微生物って、どんなコミュニケーションをしているんですか。
 菌のような微生物には、人間のような思考や意識はありません。だからぬか床を始める前は、支配/被支配のような単純なコミュニケーションだと思っていました。
 ところが蓋を開けてみると、ぬか床って、非常に多様な菌たちが共生するコミュニティであることがわかったんです。しかも、その多様性自体もどんどん変わっていく。
 あるときはAという菌が優勢だけども、そこから1カ月経つとAが鳴りを潜めて、全然知らないCという連中が出てくるわけです。
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 たとえば、熟成しているぬかには、大体、50種類から100種類の菌を確認することができます。そのなかで、人間にとって一番いいと言われている乳酸菌が非常に大きなポジションを占めているけど、仮に乳酸菌しかいない状態があるとすれば、非常に面白くないぬかになってしまうんですね。
 面白くないぬかというのは、衛生的過ぎて、風味が豊かではない状態。だから、工場で衛生管理して作ったような味になる。
 価値あるぬか床が生まれるためには、最初は雑菌として追放しなきゃいけない連中が、もう一回、カムバックしてこないといけない。そうしないと、いいぬかにならないんですね。

ミクロな世界の「議会制」システムとは?

── 優等生だけではつまらない味になってしまうと。
 そうです。さらにぬか床も含めて発酵食は、微生物が人間とも影響し合っています。ぬか床が面白いのは、人間の微生物層が、実は、ぬか床の微生物層と直接、インタラクションしていることです。
 ぬかを人間の手で混ぜると、人間の皮膚の表面にいる常在菌たちが、ぬか床の中に潜んでいる微生物と対話を始めて、「俺たちはここら辺にいるから、お前たちはあっちね」みたいなコミュニケーションをどうやらやっている。だから、非常に複雑なんですね。
 人間のコミュニティで言ったら、100カ国ぐらいの人種が、同じ町に住み、常に新しい人種が出たり入ったりしているような状態です。
── 人間だったら、秩序を保つのも大変そうです。
 ところがぬか床だと、100カ国の人種たちがそれなりに仲良く暮らしている。暮らすだけじゃなくて、労働もして価値あるものを生んでいるし、それを漬物という形で税金として納めている(笑)。そこに次の新しい資本として野菜が投下されると、また労働を始めるわけです。
 そんな多様な菌たちが、いったいどうやってお互いに連絡し合っているのか。それを調べようとしても、これまではスナップショット(断面)でしかわからなかった。
 ある瞬間を切り取れば、Aが30%、Bが10%、Cが5%ということはわかる。そのスナップショットをどんどん重ねると、一つのタイムラインになって、変化の推移までは見えてきます。
 だけど、たとえば乳酸菌と酵母が、現場でどういう相互作用を起こしているのかをリアルタイムで追うのはとても難しい。近似であれ、それを見えるようにする研究を、いままさにしているところなんです。
── そんな小さな世界が、肉眼で見えるんですか!?
 見えます。一緒に共同研究をしている微生物学者の先生が、1台1億円ぐらいする顕微鏡を、ある企業と一緒に開発しました。
 それを使うと、3Dで菌の動きが把握できるようになって、動画が撮れる。たとえば細胞核が分裂したときに、どう動いているのかが見えてくる。僕はそれを数カ月前に見て、思わず「うおーっ」って声をあげてしまいました(笑)。
 他方で、マクロに見たときに、菌同士が実は議会制度のようなコミュニケーションシステムを持っているという比喩があります。「クオラムセンシング」と呼ばれる現象です。
「クオラム」は、古代ローマの議会で、派閥が結成されて、集結するという現象を指していますが、微生物たちも同様に、環境の変化に応じて、阿吽の呼吸で一斉にある方向に向かって集合する。よくシンクの流し場などで、ぬめりが発生するじゃないですか。あれがまさに「クオラムセンシング」なんですね。
 その内実は、まだよくわかっていないけれども、あたかも連絡を取り合っているように見えるわけです。そういう意味でも、微生物という最少のスケールで、コミュニケーションが発生していて、しかも驚くべき多様性を持続させているという事実がある。
 これから科学的に探求すべき点はたくさんありますが、傍目で見る限り、これはとても有機的で、いい社会のモデルなんじゃないかと思います。

「わかり合いすぎること」の危うさ

── 一方で、ドミニクさんは、人間のコミュニケーションについてはどのようにご覧になっていますか。
 コミュニケーションの未来を考えたときに、一つの究極の答えとして挙がるのが「神経接続」という概念です。
 いまエンジニアの間では、イーロン・マスクの「ニューラリンク」という、脳に埋め込むインターフェイスの話題が沸騰しています。これは、個人の脳に埋め込んだチップを、有線や無線で接続するという発想です。
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 たとえば、それを使ってイメージを共有し合いましょうとなると、接続して3分ぐらいで終わるかもしれない。こうやってインタビューをしなくても、脳の神経が直結して、「ああ、ドミニクさんはこういうことを言いたいのか」と。
 さらに、もしかしたら、その伝わった内容をAIに解読させると、勝手に言語化してくれるなんてこともできてしまうかもしれません。つまり神経接続というのは、同一化することで、メディアや媒介を必要としなくなるという発想なんですよね。
── 非常に透明なコミュニケーションが実現される可能性があるわけですね。
 ええ。だけど僕は、神経接続という概念には批判的なんです。僕たちが普段行っているコミュニケーションでは、100%透明な情報伝達なんて決してできません。
「スケールチェンジャー」という単語一つにしても、会話している双方で受け取る印象は違うかもしれない。表現には、必ず発信者と受信者の間に摩擦が生じるわけです。
 相手によく伝わるようにかみ砕いて話すことは大切ですが、すべてがわかり合えるというレベルを仮定してしまうと、おそらく異なる意見を持つ意味がなくなってきます。あるいは、メディアを選んで表現する必要性もなくなってしまうでしょう。
 それは人間社会をとても貧しいものにするだろうし、集団全員の脳が接続されるようになったら、非常に強固な全体主義がいとも簡単にできてしまう。
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 逆に言えば、新しい考え方や新しい意味を生み出していくためには、翻訳ミスや解釈の摩擦が起こることが必要なんですね。情報を一義的なものとして捉えるのではなくて、Aという情報が、視点によっては全然関係ないZという別の情報になり得る。微生物にたとえるなら代謝的、発酵的ですよね。
 このリアリティは、自然科学やエンジニアリングが、まだちゃんと把握できていないんです。
 インターネットにしても、機械的なコミュニケーションやクリエイションが、グローバル規模で効率良く行える段階に至ったに過ぎません。その上に、もっと複雑な文脈や身体的な感覚をどう乗せていくかということが、まだまだ課題として残っています。
── 微生物から、もっと建設的なコミュニケーションや、サステイナブルな社会のあり方を学べるかもしれない。
 そうですね。微生物の世界は、人間の身体と比べたときに、進化のスピードが速い。だから、人間の時間軸で眺めると、表面的な形はどんどん変わっていきます。ぬか床のように入れ替わりはあるけれど、システムとしては持続しているわけです。
 重要なのは、表層が変わることと、本質が変わらないことを、どう共存させるかということです。同じぬか床の中でも、100年続く価値もあれば、1週間で変わる価値もある。そして、その両方に通底するような芯の部分がある。
ドミニク・チェン氏の作品「Nukabot」
 人間の社会や経済も同じで、100年、200年のスケールで育てていくものもあれば、毎年、変えていくものもある。そういう複数のタイムラインを享受して生きられるようになれば、いままで実現できなかったような文化が生まれると思うんですよ。
 たとえば、丁寧な生活派とコンビニ派は対立しがちなんだけれど、両方が混在していてもいい。異なる価値観を持つもの同士がコミュニケーションしながら、全体として新しい文化を作ればいいんですから。

思考する時間。そのプロセスを可視化する

── ドミニクさん自身は、どんな文化を作りたいとお考えですか。
 自分のなかの大きなテーマとして、「文脈」を共有できるような情報プラットフォームを設計して、プロトタイプでもいいので社会に実装したいという思いがあります。
 僕は10年以上前から、仲間と一緒に立ち上げたdividualというユニットで、人がキーボードでテキストを書くプロセスをすべて記録して再現するというプロジェクトを続けています。
 あいちトリエンナーレに出品した「Last Words / TypeTrace」では、このソフトウェアを使って、不特定多数のネットユーザーに、「10分以内に遺言を書いてください」とお願いしました。
 10分以内に自分の好きな人に向けて遺言を書く。それを作品化することで、人がどうやって言葉を紡いでいくのかというプロセスに、お互いが注目するという状況を作り出したかったんですね。
dividual inc.「Last Words / TypeTrace」
※本作はARS ELECTRONICA 2020 / TOKYO GARDENに選出され、2020年9月13日までオンラインで展示中(募集サイト:https://typetrace.jp/tokyogarden/)
 遺言を書くという行為を通して、その人の人生が総決算されるわけですよね。親へ、子どもへ、親友へ、あるいは、昔別れた恋人へ。いろんな人に、いろんな人が遺言を書く。会場には24台のディスプレイを置いて、現在までに集まっている約2,000件の遺言の執筆プロセスをひたすら再生しています。
── 書くプロセスが可視化されるというのは、これまでは伝わらなかったものが見えてきそうです。
「TypeTrace」のプロジェクトを続けて思うのは、いまの社会で、さまざまな「プロセス」に注視することがどれだけできているのだろうかということです。
 たとえばSNS上だと、注意をいかに自分に引き付けられるかという競争になっている。すべてが「いいね」やリツイートの数字に還元され、それが評価の対象になっているわけですよね。そうなってしまうと、いかに早く、相手の注意を引き付けるかという認知ばかりが、拡大していくことになります。
 でも、「Last Words / TypeTrace」では、一つの言葉を書いたり消したりという逡巡まで再現されます。それを垣間見るだけで、これを書いたのは、生身の存在であることが直観的に伝わっていくんですよね。
 これはまさに、機械的な情報伝達ではなく、情報以外の何か、つまり、「心」のようなものに僕たちが気付くという認知のあり方かもしれない。それを介してコミュニケーションをすると、やっぱりコミュニケーション内容も変わってくるんですね。
── 書かれたテキストだけでなく、時間的なプロセスによって考えている間や迷いも伝わる。相手の見え方が変わるんですね。
 そうなんですよね。こういった作品を発展させるかたちで、人々が腰を据えて互いの言葉を傾聴するようなプラットフォームを作れるんじゃないか。それはぬか床の中の不可視の微生物たちの息づかいに耳を澄ますことにも通底するのではないかと思います。
 瞬間の刺激に反応するだけではなく、長期的な時間経過にも注意を向けるために、人間の時間認識を引き伸ばすようなチャレンジをしていきたいと思っています。
(編集:宇野浩志 執筆:斎藤哲也 撮影:後藤 渉 デザイン:砂田優花)