【シェリル・サンドバーグ】ハーバード、財務省、Googleへ

2019/7/21
Facebookのマーク・ザッカーバーグCEOが、15歳年長のシェリル・サンドバーグをオペレーションのトップに迎え入れたのは、創業4年目の2008年のこと。以来、サンドバーグはFacebookの収益力強化や国際化に大きな役割を果たしてきた。

13年に『LEAN IN(リーン・イン)』を執筆して以来、働く女性を応援する活動が大きな注目を集めてきたが、「恵まれすぎていて参考にならない」という批判も浴びてきた。

だが、いまやザッカーバーグと並びFacebookの「顔」となったサンドバーグも、勢いでシリコンバレーに来た30代のときは、5カ月も仕事が見つからなかったとか。そんな知られざる裏話を、リード・ホフマンが本人から聞いた(インタビューが行われたのは17年2月10日)。
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リード・ホフマン 今日はハッカー・ウェイ1番地(Facebook本社)に来ています。
シェリル・サンドバーグ ようこそ。私がここにいるのは、あなたのおかげでもあります。あなたは私にとってメンターであり、キャリア・アドバイザーでもある。あなたの助言がなければ転職しませんよ。
ホフマン 照れますね。
まず、あなたの家族史を教えてください。おばあさんのおばあさんのときにアメリカに来たんですよね?
サンドバーグ ええ、祖母の祖母(高祖母)です。名前はチャナ・バーサ。リトアニアのビリニュスから船で来ました。
(写真:ロイター/アフロ)
実は2年前、友達が米国籍を取得した記念式典でスピーチをすることになり、その準備をしているときに高祖母の日記を見つけました。大変な旅だったと書かれていました。
ひどく船が揺れたため、みんな船酔いをして、そこらじゅうに嘔吐した。十分な水も食べ物もなく、上等船室の客に食べ物を恵んでもらったそうです。私の家族は三等船室に乗っていました。
ビリニュスを出たときは、清潔で健康だった子どもたち――私の曽祖母ですね――は船を下りるときは病気で、汚物とシラミにまみれていたそうです。
そのとき、今もですが、高祖母が払った犠牲にしみじみ思いを馳せました。リトアニアに住むユダヤ人家族でしたから、彼女がアメリカに行くと決断していなかったら、全員ほぼ確実にホロコーストで死んでいたでしょう。
今も世界中で、本当に多くの人たちが自由を得るために、そしてチャンスを得るために、大きな犠牲を払って、大きなリスクをおかしている。