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注目のコメント
大学には知も人材も揃ってる。ただ、今も産業界との連携が少ないと感じます。東大は連携が多い方だと思いますが、世界に目を向けてみるともっと多種多様であって良いのだろうと。
「国立大学は、知識集約型の新しい産業のハブとなる機能と能力を備えています」といわれると、それが「本当だろうか?」と思う向きは多いと思います。
知識集約型社会というと、以前の労働集約型産業では儲からなくなる社会ということで、豊富な労働力にまかせて農業などをやっていても儲けが少ない、ということになります。グローバル化で、日本の農家や工場労働者が、中国の農家や工場労働者よりも高い給与をもらうのはおかしい、といわれるようになります。世界はフラット化するべきで、同じ労働なら同じ給与であるべきだ、といわれるようになります。世界トップクラスの一人当たりGDPを得たければ、日本人全員が金融とかエンジニア兼デザイナーのような上流工程で働かなければならない、という話になってしまいます。
仮にそうなるとして、国立でも私立でもいいですが、大学が日本人をそういう働き手に変えるのか、あるいは、そういう雇用をつくりだすにあたって指導的な役割を果たすのか、というと、あまりそうは思われていないでしょう。一部にはそういう大学もあるかもしれませんが、日本は現場信仰が強い社会です。「現場のことは現場にしかわからない」という主張が強く、大局的な知識は求められません。
日本に760以上ある大学は多様化しています。中には、知識集約型社会を推進する大学もあるでしょうが、むしろそれに抗しようとする日本社会の人々に近い大学もあります。甚だしい例だと、外国人学生(労働者)にビザを卸して荒稼ぎしていた日本福祉大学のようなところもあります。
とりあえず、「大学の役割」というのを一つのタイプ示されても、別のタイプで行こうとしている大学は実際は多いでしょう。大学は社会の映し鏡ですので、社会(企業)が「入ってから何をやるか分かりません。そして2~3年に1回異動します」という総合職採用を貫いている限り、学生は真面目に専門分野を勉強するインセンティブがありません。変わるべきは大学ではなく(大学も、ですが)、企業における雇用のあり方だとおもいます。