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川崎殺傷事件「死にたいなら一人で死ぬべき」という非難は控えてほしい

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注目のコメント

  • 暦オタ・ガジェオタ・ミリオタ・時々謎のPro Picer

    同じ世代の子供を持つ私には、こうした言説を説く方の気持ちはわかりません。

    しかし、亡くなられた子供や、男女にも未来があり、そのご両親の悲しみはいかほどのものか、私もひとりの子を持つ親として、痛いほどわかります。
    自分勝手な凶行に、抵抗の術さえ知らない子供を狙い、殺戮した犯人を断じて許すことはできませんし、1人で死ぬことさえできず、自らの死に人を巻き込もうとする行為全てに対し「未来ある子供達を自らの死に巻き込むな。死にたいのなら一人で死ね」と声を大にして言いたいです。

    卑劣な犯罪を、社会の問題が生み出した犠牲者扱いするのは個人の勝手ですが、それ故に子を持つ親の自然な感情を口にすることを非難するのは些かお門違いかと思います。

    社会問題の解決は、1人の犯罪者やその行為に対して忖度するのとは、別の次元のことなのではないでしょうか。
    1人で死のうとする個人の自死は、周りのサポートや様々な社会的支援で未然に防ぐことが出来ます。
    しかし、巻き込まれて殺された人たちの命を救うことはできないのですから。


    (追記)
    感情的な表現については賛否あるのは承知しています。
    しかし私は抵抗さえできない弱者を狙ったこうした犯罪は、歪な形で社会への復讐を願う歪んだ感情が根底にあり、彼らに同情したり、その行為に少しでも理解を示すことは他人を巻き添いにした人生最後の復讐を成功させ、寧ろ次の凶行を産む土壌となりかねないと考えています。
    人には誰でも死にあたってまで、卑怯者と下げ荒まれるのを嫌い、その死が何らの復讐にも繋がらない無意味なものと自覚すれば、それを思いとどまるくらいの良心はあると私は信じています。
    だからこそ、許されないことはどんな理由があっても許されない、と強くいい続けることこそが、逆に無益な第三者を巻き込んだ社会への復讐の連鎖を断ち切れるのだと思うのです。


  • 保険ウォッチャー・子育て主夫(プチFIRE) 不動産投資

    そうした言葉を発するのは、何も落ち度がないのに殺されなければならなかった人たちの無念を思えばこそなのでしょうが、犯行に及んだ本人は既にこの世にはいませんから、少なくとも本人の耳にこの言葉は届きません。ならば、そうした言葉は今回の犯人以外の「自殺を考えている人」や「社会に絶望して自暴自棄になりかけている人」、つまり第二第三の犯行の可能性がある人たちの心をグサリと刺激することにしかならず、再び何の落ち度もない犠牲者が出ることへのアシストになってしまうわけです。

    「命の電話」に電話をかけてきた自殺願望者に対して、「死にたいのなら誰にも迷惑をかけないで1人で死になさい」と言えるかという問いかけと同様です。自分の名を明かした上で言うのなら言葉を発した張本人が恨みを買ってターゲットにされる可能性が高まりますが、顔の見えない安全地帯から匿名で発せられた言葉が冷たいものだったとしたらどうなるでしょう。
    世間があまりにも冷たいものだと感じると、1人でそっと死にたいと考えている人まで自暴自棄になって、人ではなく「社会」を恨むようになり、見ず知らずの人にまで危害を与えることになりかねませんからね。

    (追記)
    追記をする方が多いですので、僕も考え方を別記事のコメントで書きました。
    https://newspicks.com/news/3930932/
    子どもを持つ親として、今回の犯行は決して許すことはできないものですし、犯人に同情を寄せるつもりもありません。やり場のない怒りをぶちまけることについてですが、言い方によっては悪影響しか及ぼさないというだけです。


  • 認定NPO法人3keys代表理事 / 現代ビジネス連載中

    「死にたいならひとりで死ぬべき」か…

    この人がやったことは当然許されるべきではない。怒りでいっぱいです。

    一方で社会をつくる一構成員としてそれはほんと最後の最後まで言わないでおきたい言葉ですね。

    「人を殺すのは許されない。許すべきではない」が適切。


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