ハーバード大を中退した起業家の野望

統計的に見ると、アメリカの高等教育は黄金時代を迎えている。アメリカ人の3人に1人以上が学士号を持っており、これは史上最も高い割合だ。この春の高校卒業者の70%近くが大学に進学するとみられる。1970年代半ばの大学進学率は約50%にとどまっていた。
しかし、大学教育で享受できる恩恵は、きわめて不平等なものである。エリート校のキャンパスを歩いているのは裕福な家庭の子どもたちばかり。
ハーバード大学の経済学者ラジ・チェティが率いるリサーチグループ「オポチュニティー・インサイツ」によれば、所得上位1%の家庭の子どもが「アイビープラス」校に入学する確率は、下位20%の子どもに比べて77倍も高いという。
アイビープラスとは、アイビーリーグ8校に加えて、マサチューセッツ工科大学(MIT)、デューク大学、スタンフォード大学、シカゴ大学の12校を指す。
平たく言えば、アメリカの高等教育はカネで買えるのだ。
3月12日、全米の高校3年生が志望校の合格通知を緊張しながら待つなか、米連邦捜査局(FBI)は名門大学への不正入学斡旋の容疑で50人を逮捕した。逮捕者の中にはハリウッド女優2人など著名人も含まれ、組織的な裏口入学スキャンダルとして物議を醸している。
FBIの捜査によれば、裕福な親たちはもはや大学に巨額の寄付をするなどといった従来の合法的な手段を使ってはいなかった。彼らは、わが子をエリート校に入れるために、裏口入学の斡旋業者や大学職員らに賄賂を渡すという違法行為を行っていたのだ。
4年生大学を卒業して学士号を取得することは、昔からアメリカンドリームという神話に不可欠な要素だった。貧しい家庭に生まれても、教育を受ければチャンスは開けるという夢である。だが大勢の人にとって、それは神話のままで終わっている。しかも相当高くつく神話だ。
大学卒業時に抱える学費ローンは平均3万ドル。入学後6年以内に卒業できない学生は40%を超えており、彼らの多くは成功に必要な資格やスキルが足りないまま労働市場へと出ていく。
もちろん、こうしたアメリカの高等教育のシステムはこの国の経済格差の主要因ではない。それでも格差を助長しているのはほぼ間違いないと言える。
その現状を正そうとしているのが、ハーバード大学を中退した起業家レベッカ・カンター(27)だ。彼女によれば、この問題の大部分は子どもたちが幼稚園から高校まで受けさせられる大量の共通テストにあるという。
そうした共通テストのピラミッドの頂点に立っているのが、SAT(大学進学適性試験)やACT(アメリカン・カレッジ・テスト)といった大学進学時に必要な選択式のテストだ。
カンターに言わせれば、これらのテストでは大学卒業後の成功に不可欠な学生の認知スキルはほとんどわからない。またFBIの捜査で判明したように、SATやACTの点数は操作することが可能だ。

シミュレーションゲームで思考力を測る

カンターがロサンゼルスで立ち上げたスタートアップ「Imbellus」は、こうした共通テストの改革を目指している。
同社が開発した評価テストはビデオゲームに似ている。受験者はシミュレートされた環境に置かれ、数々のタスクを前にいくつもの意思決定をしていくことが求められる。また、それぞれのシミュレーションはユーザーに固有のものであるため、不正はできない仕組みになっている。
4年前に起業のアイデアを思い付いて以来、カンターは2350万ドル以上を調達し、博士号取得者を10人以上雇い、新しいテストの開発のためにコンサル大手マッキンゼー・アンド・カンパニーなどの協力を取りつけてきた。
企業が採用候補者の意思決定力、適応力、批判的思考力を測ることができる、ゲームをベースとしたテストの開発だ。
カンターによれば、このテストはAI(人工知能)やデータサイエンスを活用することによって、労働者の考え方を定量評価できるという。だが彼女が目標としているのは、企業により良い採用ツールを提供する以上のことである。
カンターいわく、アメリカの大学生の多くがこのオートメーション時代に必要な能力に欠けている。大学側が社会に出ていく学生たちに適切な備えを提供できていないからだという。
「才能の問題ではなく、練習の問題です。彼らは正しい思考の仕方を練習していないのです」
カンターによれば、経済的機会を広げるには、共通テストや学生の潜在力を評価する手法を改革することが不可欠だ。「そのシステムのデフォルト設定を変えたければ、トップから始めなければいけません」

18歳でTEDトークの壇上に

カンターは身長163センチ、ブラウンのストレートヘアは腰あたりまで長くのびている。口調は何かに追われてでもいるように早口だ。成績優秀な子どもを数多く輩出することで知られる、マサチューセッツ州ボストンの裕福な郊外ニュートンで育った。両親は環境に優しいサステナブルな開発に特化した建設会社を経営している。
幼い頃から、カンターの関心は主に学校の教科以外のところにあった。自分で服を縫ったり、トランペットを演奏したり、陶芸も習ったりした。中学校で中国語を始め、中国語のシンデレラ劇を制作する助成金を市からもらった。
高校では児童売買春に対する啓発活動を行うチャリティー団体を設立。カンター率いる6人の生徒が40都市を回って演説し、5年間で10万ドルを集めた。カンターは18歳で初めてTEDトークの壇上にも立った。
「児童売買春の問題がとても複雑で、多くの要素が絡んでいることを考えるのは、まったくもってやぶさかではありませんでした」と、彼女は振り返る。「それで自分について学ぶことができました。私には複雑な事象やシステムについて思案する傾向があったのです」
だが一方で、学校の勉強については忍耐力がなかった。「娘は授業を楽しんでいなかった」と、父親のジョナサンは言う。「真剣に授業を受けていたし、かなりの負けず嫌いではあったけれど……」
カンターは多くの時間を、発達障害のある弟ジョシュの勉強をみることに使った。彼女は言う。
「ずっとジョシュには大半の人が考えている以上の能力があると思っていました。彼は正しいやり方で指導を受ければ、力を発揮できると信じていました。だから私は、小さい子どもながらに、その正しいやり方を探すために多くのエネルギーを注ぎました」
カンターはハーバード、プリンストン、イェールに合格し、デューク大学からは全額給付の奨学金も約束された。選んだのはハーバードだった。
「入学したときの気持ちは興奮というよりも、これは試してみる価値のあるものだ、という感じでした。それで最初のセメスターが終わった頃には、『もうたくさん。やめる』って思いになっていました」

共通テストは格差を拡大する

両親は彼女が実家に戻ってくることは許したが、中退すべきではないと言い聞かせた。
その頃までに、カンターは事業計画を書き上げ、自身初の企業「BrightCo」のためのシード資金の調達を終えていた。大企業にブランドアドバイスを提供する若い社会起業家たちのネットワークの会社だった。
カンターはハーバードに対し、複数の専門分野にまたがる「リーダーシップと組織」という専攻の創設を提案したが拒まれた。このとき彼女は中退を決意した。母親のルースはこう振り返る。
「私たち親は、名門大学の卒業資格は成功へのチケットだと信じていました。でも娘を止めることはしませんでした。『きついからやめたい』というのではなく、『もうこれはしたくない』という理由だったからです。私たちは最終的には、中退が彼女にとって正しい道なのだと説得されました」
カンターはBrightCoを売却後、ニューヨークに移り、教育システムの改革案を練り始めた。当初は実務的でプロジェクトベースの大学カリキュラムを設計し、それをエリート校に売り込もうと考えていた。だがどの大学も買ってくれる見込みはなく、カンターは大学のカリキュラムから入試改革へと焦点を移すことにした。
2018年にSATとACTを受験した生徒はそれぞれ約200万人と190万人に上る。カンターに言わせれば、こうした共通テストは格差を拡大させている。
明らかなのは、裕福な家庭の子どもには、家庭教師を雇ったり、テスト対策コースで学んだりする金銭的な余裕があるということ。または、今回のFBIの摘発で暴かれたように、カネに物を言わせてテストの点数を改ざんすることもできる。
加えて、共通テストはさらなる弊害も生んでいる。高校の授業はSATやACTで高スコアを取ることに焦点が置かれるが、これらのテストは子どもたちがすでに知っていることを出題しているにすぎない。社会に出たときに必要となってくる問題解決能力や批判的思考力、創造力、共感力などを測るテストではないのだ。
「今とは違う、より良い意味で学校のカリキュラムを形成していく新たな基準を作りたいのです」と、カンターは言う。
「誰がハーバードに入れて誰が入れない、なんてことはあまり重要ではありません。もちろん、それはある意味重要ではありますが、二の次です。最優先すべきは、現状のシステムを改革して、すべての子どもに恩恵をもたらすことです」
カンターは、課題解決型の学習法に加え、子どもたちが教室の外で知識を応用することが必要だと訴える。子どもたちに自分の頭で考える能力をつけさせる教授法が優先されるべきであり、それを学校に強いる基準を作るべきというのが、カンターの主張だ。
「職場で求められる人間の知識の性質というものは30年前と比べてかなり変わりました。ブルーカラーでもホワイトカラーでも、どんな仕事においても高い思考スキルが求められるようになっています」

大学は抜本的改革に及び腰

イェール大学の入学試験事務局でかつて事務局長を務めていたジェフ・ブレンゼルは、SATやACTがカンターの言うように「重要ではあるが、きわめて狭い範囲の認知スキルを測るテストになってきている」と認める。「だがこれらに代わるものはないのが現状だ」と、ブレンゼルは付け加えた。
SATを運営する非営利の大学コンソーシアム「カレッジボード」は、何年にもわたってテストに変更を加えてきた。設問に偏りがあるとの批判を受けての措置だ。とはいえ、選択問題であることや決まった期日に実施されることなど基本的なフォーマットは変わっていない。
SATは学生が大学入学後の1年目をうまく乗り越えられるかどうかを予想するのに役立っていると語るのは、カレッジボードの元シニア・バイスプレシデント、ジャック・バックリーだ。彼はこの1月、カンターのImbellusに会長として就任した。
それでも、今回のFBIの摘発によって、SATがいかに簡単に操作可能かという現実が白日の下にさらされた。「このシステムを変えるべきだと望んでいる人はたくさんいます」と、バックリーは言う。
「しかしカレッジボードは会員制の組織であり、主要メンバーは大学機関です。そのためカレッジボードが抜本的な改革に乗り出すことは考えられません。それに大学自体を改革することも難しいのです」
カレッジボードのスポークスマン、ザカリー・ゴールドバーグはメールで次のように答えた。
「SATのスコアは高校の成績だけではわかりかねる、大学に入ってからの学生のパフォーマンスを予想するのに役立っていることは私どもの調査で示されています」
また不正が発覚したことについては、「カレッジボードは近年、組織的な不正と戦うためにセキュリティを大幅に強化している」という。
※ 続きは明日掲載予定です。
原文はこちら(英語)。
(執筆:Romesh Ratnesar記者、翻訳:中村エマ、写真:©2019 Bloomberg L.P)
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This article was translated and edited by NewsPicks in conjunction with IBM.