【高島宗一郎】市長初日から修行。福岡を日本一元気な街へ

2019/4/30
たった20人の決起集会
2018年11月、福岡市長選挙。無事に3選を果たした私は、駆けつけてくれた支援者一人ひとりの顔を眺めながら8年前の最初の選挙を思い出していました。
「思えば、遠くまで来たものだ」。脳裏に浮かんだのは2010年10月24日、市長選告示の1週間前の光景です。
決起大会のために私の事務所に集まってくれた市民の方は……たったの20人でした。
テーブルの上に広げてあるのは、ペットボトルのジュースと紙コップ、そしてスナック菓子。用意してくれたのは、私が出馬前までキャスターを担当していた番組でアルバイトをしていた大学生でした。
一方、まったく同じ時間に現職の市長は、ホテルニューオータニ博多で2000人を集めた決起大会を開催していました。
地元財界が主催するその会は、大変盛り上がっているそう。我々の陣営に取材に来ていた記者が、聞いてもいないのにその様子を事細かに教えてくれました。
「100倍の差だからこそ、逆転の夢があります」なんて答えていたものの、錚々(そうそう)たる来賓の方の名前を聞くたびにさすがに不安になりました。
なにせ、相手陣営の集会に列席していた中には「高島君、応援しているよ」と肩をたたいてくれていた方が何人もいらっしゃったのですから。
しかし、来る11月14日。ふたを開けてみると、新人の私が、現職に6万5000票の差をつけて当選していました。
驚きました。そして市民のみなさんに感謝の気持ちがあふれてきた。
声が大きく顔がきく有力者だけが「市民」ではない。表に出てくることはないけれど、静かに私を支えてくれる人がいることを、心に刻みました。
そして臨んだ「初市長業務」でしたが……ここも甘くはありませんでした。
八方ふさがりの日々
「修行」
福岡市長就任当初の日々をひと言で表すなら、この二文字に尽きますね。
当時は民主党政権で、私が自民党の支援を受けていたこと。市長としては戦後最年少の36歳だったこと。政治経験がないこと。経営経験がないこと。民放アナウンサー出身で、浮ついたイメージを持たれたこと。
考えられる原因はさまざまです。
とにかくメディアからは、市長就任当日から厳しい目が向けられていました。
一般的に、就任から100日間はメディアに見守ってもらえる「ハネムーン期」があるものですが、私の場合はそれが1日もなかった。