「美的センス」は鍛えられるのか。アートと数学の意外な関係
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「令和」に何となく美しさを感じるのも、日本語を使う「訓練」を通して得た美的センスなんでしょうね。
運動神経や数学力より、美術スキルの方が遺伝的要素は弱いなら、初等教育でも体育や算数より、美術の授業を強化した方が、実は公平な教育なのかも。
=引用=
『遺伝子の不都合な真実』(ちくま新書)によると、運動神経や数学力よりも、美術スキルのほうが遺伝的要素は弱いそうです。つまり、後天的に鍛える余地もけっこうあるということです。東京藝大の現役合格者で見ると、数学が得意な人が多いという話は初めて聞きました。美術のセンスとは、岡本太郎画伯が言うように、ロジックと感性の半々で成り立っているということだったんですね。
増村さんは、日米(欧州)の美術教育の差について語られていますが、それが日本では絵心がない大人が多い理由かも。日本でもやっと絵を描きながらビジネスやビジョンを思考する大切さが、デザイン思考の流れで語られ始めています。岡本太郎の「すべては衝動から始まる。優れた衝動は後から計算が追いかけてくる」という言葉は面白いですね。最初の衝撃にであるのは観察力であり、それを仮説や最初の構想に変えるのはある種の洞察力だと思います。
ビジネスの世界でも、ある程度オペレーション化されている定常的な業務やに対しては「PDCA」というフレームが有効であるのに対して、より変化の早い環境の中で意思決定を迫られるような非定常的な業務に対しては「OODA」のフレームワークがより有効である、というような話も出てきていますしね。
Observe(観察)→Orient(仮説構築)→Decide(意思決定)→Act(行動)というように、やはり最初は観察から始まって、そこから課題を見つけてそれに対して仮説を立てている。
10年くらい前にヨーロッパに建築学で留学していた時もやはりRCAの教育は先を行っている印象でしたし、記事内に書かれているような、アメリカのデザイン教育でたたきこまれるという「デザインはアートではなくソリューション、つまり問題解決をすること」というのは、もっと意識して伝えられていくべき内容かと思います