技術的拡張の時代に求められる知識

ビクトリア時代の教養人が習得すべきカリキュラムは、現代の学生の場合よりはるかにシンプルだった。その内容は、もちろんラテン語と数学、それから地理と歴史。だが科学の分野となると、19世紀前半──宗教が科学を支配していた時代だ──に学べた物事と今との間には、驚異的な違いがある。
当時、進化生物学はまだその影響を及ぼさず、物理学の研究といえば、古典的なニュートン物理学の研究に決まっていた。現代人にとっては当たり前のゲノミクスも量子世界も、ビクトリア時代の生活の現実とは懸け離れた存在だった。
筆者が指摘するまでもなく、今の世界には技術的拡張の新たな波が訪れている。急速な変化の時代には、一連の新たな知識やスキル、能力、特性が求められると専門家は口を揃える。とはいえ、それがいったいどんなものか、彼らの意見は一致しない。
学生や従業員、起業家やリーダーは将来的に何を知り、何ができるようになる必要があるのか。その点について、コンセンサスはほぼ皆無だ。となれば、不確実性が生まれるのは不可避であり、そのせいで教育計画の策定はとりわけ困難な課題になっている。
情報の氾濫をもたらした一因はテクノロジーだ。だが同時に、テクノロジーは理解の手助けもしてくれる。

コンピューター・サイエンスという実例

人間が世界についてこれまで知らなかった何かを1つ学ぶごとに「知るべきこと」リストの項目は増え、リストはどんどん長くなる。
一例が、コンピューター・サイエンスの学士課程だ。1980年当時には、この課程を履修すれば、コンピューター・サイエンスとソフトウェア工学について知るべきことはほとんど学べた。
ところが今では、学問の理論的中核はおおむね変化していないものの、コンピューター・アーキテクチャが飛躍的に進歩しているために、潜在的に求められる知識領域は並行・分散システム、ネットワーク、セキュリティ、暗号理論などへと広がり続けている。
さらに、コンピューティングはさまざまな形で応用されるようになっている。グラフィックス、科学・医療コンピューティング、HCI(ヒューマン・コンピューター・インタラクション)やAI(人工知能)だ。
初期のコンピューター・サイエンス学生らの貢献もあって、情報を正確に蓄え、呼び戻す能力で人間をしのぐAIが今や誕生している。
世界最強の囲碁棋士と言われたイ・セドルに勝利したアルファ碁、米クイズ番組で歴代チャンピオンを負かしたIBMのワトソン、チェスの勝ち方を自己学習したアルファゼロばかりではない。
グーグル傘下のAI企業ディープマインドは、ロンドンにあるムーアフィールズ眼科病院との協力の下、疾患を自動診断するAIを開発。人間レベルのパフォーマンスができるAI学習支援システムも登場している。

大学にAIがやってきたらどうなるか

こうしたAIは新たなデータを処理して日夜、学習を続ける。継続的に吸収する新しい情報に、既存の知識と人間側からの適切な質問を組み合わせることで、回答能力や問題解決能力を増大させていく。
AIはいずれ、現在の「知性」の定義を時代遅れにし、再定義を迫ることにもなるだろう。そのとき、知性は以前と比べてはるかに豊かな概念になる。学問的知識や知能指数(IQ)テストと同一視されるのでなく、人間とAIが補完的に協力し合うネットワーク化した集合体と見なされるようになる。
そして、これらのテクノロジーは教育のツールとして利用できる。
未来の大学はどんな姿になるのか。新しい形の知性の進化を支えるインフラとして、学術機関はAIを活用するだろう。複雑で洗練されたAIシステムを開発して、新たな世界の分析に役立つ力となるだろう。
教育分野にはすでに、AR(拡張現実)ヘッドセットやVR(バーチャルリアリティ)シミュレーション、音声起動パーソナルアシスタント、個別型学習支援システムなど、各種の幅広いテクノロジーが出現している。
この手の技術は、学生のデータを適切かつ洞察力をもって解釈することを可能にし、究極的には教える側の支援をも可能にする。具体例を挙げてみよう。
●「MaTHiSiS」をはじめとするプロジェクトは個々の学習者に、環境やデバイスを問わず、資質に合わせたオーダーメイド型の学習体験を提供する教育プラットフォームの在り方を探っている。

●ビッグデータとAIを活用するCentury TechやAleloといったシステムは、学生に魅力的なカスタマイズ型の学習を、教師に詳細なフィードバックを提供する。

●Founder4Schoolsなどが開発したテクノロジープラットフォームは、機械学習を利用して、地元の成長企業での職場体験やキャリア説明会と学生をマッチングする手助けをしている。

授業アシスタント「コリン」がいる日常

その一方、極めて有益な方法で人間の教師をパワーアップさせる可能性を持つAIもある。
筆者は以前、大学教員のジュードが利用する授業AIアシスタント「コリン」のことを紹介した。コリンは今のところ実在しないが、コリンを作り出すために必要なテクノロジーはすべて存在する。あとは構築して実装し、学習させればいいだけだ。
コリンはロボットではない。概念上の授業アシスタントで、Siriやアレクサのように音声インターフェースによってアクセスできる。コリンのデータと分析能力というパワーを得たジュードは教員版のスーパーヒーローになり、新種の教育を学生それぞれに適した形で提供できる。
コリンのいる日常とは、こんな感じだ。
学生が事前に行ったアクティビティのパフォーマンスを、コリンが個々のプロフィールに統合。おかげで、学生たちにとって理解しづらいのはどこか、よりよく理解できている点はどこか、ジュードには一目瞭然だ。

ジュードが成績評価や学生の満足度、中退しそうな学生の存在に気を配らなければならなかった10年前と比べて、1学期間のパフォーマンスは今やずっと充実している。

データソースは多元化され、学内横断的に集められた情報、ソーシャルメディアなどから得た情報が、学生および教員が提供した情報や最新の労働力スキルデータと組み合わされる。

学生1人ひとりの知識や理解度やスキルも、心身の健康状態、メタ認知能力、批判力や自己認識についてもジュードはいつでも確認できる。統計的な分析や比較も可能で、労働力要件の最新データにマッピングすることもできる。恣意的操作や剽窃があり得た試験や実験報告や論文の採点など、もはや過去のものだ……。

すべての人に教育を提供するために

言うまでもなく、この手のテクノロジーは開発コストがかさむ。完全機能型のコリンの開発プロジェクトは数億ドルを要するだろう。初期開発に必要な資金を確保すれば、製造自体のコストはずっと少なくて済むはずだが、それでも参入障壁が極めて高いことに変わりはない。
新たな教育テクノロジーの導入は圧倒的な体験になるが、資金面での重圧も多くの場合、圧倒的だ。そのせいで、最も不利な条件にある学生が取り残されることになる。
たとえば、15~24歳の若年層のインターネット利用率は先進諸国では94%に達するが、途上国では67%。最貧国に至っては30%にすぎない。最も懸念されるのは、インターネットを利用できない若者のほぼ9割が、アフリカとアジア太平洋地域に集中していることだ。
新型テクノロジーの効力や適切性を裏づける証拠も、現時点では大幅に不足している。こうした状況を是正するための取り組みと投資が必要だ。
学ぶ意欲を持つ人すべてに教育を提供することを可能にするテクノロジーを、人間は生み出した。その事実が、不平等の解消にとって持つ意味はとても大きい。
だが、そんな未来の実現を望むなら、私たちは学習者として自分自身を理解するためにテクノロジーを使わなければならない。そうであってこそ、私たちは同じ人間、そしてAIという「仲間」とともにより賢くなることができる。
原文はこちら(英語)。
(執筆:Rose Luckin/Professor at UCL Knowledge Lab、翻訳:服部真琴、写真:metamorworks/iStock)
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This article was translated and edited by NewsPicks in conjunction with HP.