【横山和輝】経済学で読み解く、古代「律令制」の仕組み
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律令制は中国の歴史を通して理想とされた体制であり、何度崩壊しても立て直そうとされてきました。土地の私有を許さない公地公民、という原則などはまさに現代の中国でも同様です。法と官僚制で経済を把握し動かそうという発想は、社会主義というより2千年以上前から今日まで中国が同じ方向を進んでいる、ということを示します。
律令制を維持するためには、法家思想とともに実際の運営を担う官僚制の基礎となる儒教が必要になります。儒教は、まさに官僚たちにインセンティヴを与えます。個人の経済的利益だけではなく、道徳や親族のために律令制に奉仕する理由が十分に示されます。ただ、庶民にとってインセンティヴが少ないのが律令制の欠点で、律令制は毎回、庶民の反乱、もしくはインセンティヴの外部にいる異民族によって崩壊してきました。儒教を持たなかった秦は特に脆く、律令制の原型をつくったものの、律令に不満を持った庶民である陳勝・呉広や劉邦、その他雲霞のような庶民の反乱で短期間で崩壊しました。
律令制を輸入したものの、法家思想と儒教を持たなかった日本でも、律令制はやはり崩壊しました。大化の改新の後の壬申の乱も律令制の挫折ではありましたが、より長期には、律令制になど従わなくても自分たちで土地を所有してしまった方が得なのではないか、と考えた寺社や武士たちによって完全に崩壊しました。このあたりは、連載の続きで、明日、論じられるのでしょう。世界史でも、だいたいの秩序は、自分の利益のために秩序を無視しようとする人間が増えてしまって彼らの跋扈を許したがために崩壊してきました。猛烈に面白いです。
気になるのは国司が中央とどういった通信手段をとり決裁をえていたのかということ。当時はまだ街道らしいものも整備されなかったでしょうから、基本的にメインルートは尾根伝いの山中行だったでしょうし、途中で通信使が死んだり逃げたり、嘘を伝えたりもあったでしょう。
またその決裁後の援助といっても物流自体が至難の業だったでしょうから、混乱の極みというか「なんとなくそんなかんじ」ぐらいの事しか実際にはできなかったのではないかと想像しますが。
しかし、一方で東大寺や薬師寺の建造技術をみると思った以上に行き届いたシステムがあったのかもしれません。
いずれにせよつぎが楽しみです。