テレビとTwitterから撤退し、雑誌を作る

2018/12/4
戦後的イデオロギーへの軽蔑
──『PLANETS vol.10』のメイン特集は「〈戦争〉と〈平和〉の現在形」です。このテーマを中心に据えるにあたっては、どんな思いがあったのでしょう?
宇野常寛/評論家。1978年生。批評誌〈PLANETS〉編集長。著書に『ゼロ年代の想像力』(早川書房)、『リトル・ピープルの時代』(幻冬舎)、『日本文化の論点』(筑摩書房)、『母性のディストピア』(集英社)、『若い読者のためのサブカルチャー論講義録』(朝日新聞出版)、石破茂氏との対談『こんな日本をつくりたい』(太田出版)など多数。京都精華大学ポピュラーカルチャー学部非常勤講師、立教大学社会学部兼任講師も務める
宇野 これ、朝日新聞の「論壇時評」とかだったら絶対言えないんで、NewsPicksだから安心して言えるんですけど、憲法問題とかで紛糾している人ってそもそもの問題設定が間違っている人多いじゃないですか。
左右のイデオロギーをヒーリング的に消費している心の弱い人が多すぎて、現実的な議論にそもそもなっていない。
もちろん、憲法の議論は大事ですよ。本質的な議論が行われているレベルでは。
はっきり言うと、石破茂と山尾志桜里の論争には、僕は意味があると思っています。あれは「ぶっちゃけ、これからどうするんだ?」という具体的な議論ですからね。
「実際に朝鮮半島で何かが起きた場合、この先のPKOに対してどういう枠組みが妥当なんだろう」といった技術論を彼らは議論しているわけで、これには非常に意味がある。
けれど、安倍晋三応援団と、国会前の自分探しデモ隊の論争なんて、パーフェクトに意味がない。現実的な安全保障……もっと言ってしまえば、「人死にが出ない」ことに、一切寄与していませんからね。
憲法問題というか、戦争や平和を考えることにおいては、70億分の何人死なずに済むかという議論だけが本当は重要なのに、そういった議論とは全くかけ離れたところで、戦後の日本人に特有の自分探し的な自意識の問題だけがクローズアップされている。
要は、他虐的なコンプレックスを抱えたネット右翼と、頭の悪いナルシスト左翼の対立です。