2部降格の大ピンチ。HSVが仕掛けたビジネスストーリー

2018/11/23
2部に降格しながらも今季のホーム開幕戦を5万7000人で埋め尽くしたハンブルガーSV。
前回の記事では、その背景にある中長期的なマーケティング戦略について触れたが、今回は緊急時の短期的作戦に焦点をあてたい。
(筆者撮影)
「昨シーズンはチームの成績が振るわず、サポーターもメディアもイライラが募っていました。スタジアムではサポーター同士のケンカや、VIPエリアへの不法侵入も何度か発生しています。地元メディアもかなり批判的な報道を繰り返すような状況でした」
HSVマーケティング&インターナショナルマーケット担当ディレクターのフロリアン・リーペ氏は当時の状況をこのように語った。
それもそのはず、昨シーズンのHSVは序盤から下位に沈み、2度も監督が代わった。最終戦では試合終了間際に発煙筒が投げ込まれ、試合が17分間中断している。
驚くのは、こうした最悪の状況下でありながら、新規クラブメンバー獲得8000人、来季シーズンチケット購入者2万5000人という大きな結果を残している点だ。これが今季開幕戦を満員にした土台になっているのは言うまでもないだろう。
こうした結果を生み出すことができた短期的要因として、リーペ氏は、次の2つを指摘している。1つ目はマスコットを活用した動画プロモーション、2つ目が監督の存在である。

サポーターを揺さぶる動画企画

前回の記事でも登場したHSVのキッズマーケティング3本柱の1つ、マスコットのディノ・ヘルマン。クラブの伝説的マッサージャーの名前を引き継いでいることもあり、幅広くサポーターからの支持を得ていることはお伝えしたとおりである。
降格に際して、クラブを取り巻く環境は殺伐としたものになり、決定の瞬間には多くのサポーターが「ブンデスリーガ創設メンバー唯一の降格未経験クラブ」というアイデンティティを失ってしまった。このように深く落ち込んだサポーターの気持ちを前向きなものに変えるきっかけになった一つが、この愛すべきキャラクターを用いた動画プロモーションであった。
動画は、傷を負いボロボロになったディノ・ヘルマンが松葉杖を付きながら寒風吹きすさぶハンブルクのうらぶれた通りを、うつむきながら、とぼとぼ歩いてゆくシーンから始まる。その様子は降格によって大きなダメージを受けたHSVとサポーターの心情そのものである。
しかし、彼は杖を捨て、港町ハンブルクの街中を、再び前を向いて歩きだす。その過程でディノ・ヘルマンは徐々に戦う勇気を取り戻す。そして、彼が最後に行き着いた先は、ホームスタジアムであるフォルクスパルクシュタディオンのピッチであった、という内容だ。
「Trotzdem HSV」(それでもHSV)と名付けられた1分50秒ほどのこの動画は、ユーチューブの公式チャンネル上で9万回以上再生され、同チャンネル内の再生回数でベスト4にランクインしている。トップ10の中で1年以内にアップされた動画は2つしかなく、その他は7〜10年前のものであることを考えれば、この動画がいかにHSVファンの中で人気を博したか理解できよう。
「この動画は降格決定前から我々で作成計画を練りはじめ、降格決定後に撮影を行いました。サポーターから多くの反響が集まり、SNS上で数多く拡散されました。それによって多くのサポーターが勇気を持つことにつながったと思います」とリーペ氏は語る。

監督だから伝えられるメッセージ

上記の動画戦略が奏功した一方で、HSVの危機を救った最大の原因は監督の存在にあるとリーペ氏はいう。
実は、昨シーズンのHSVでは2度の監督交代があった。19節で最下位1.FCケルンに敗れ、マルク・ギズドル氏からベルント・ホラーバッハ氏へ代わったもののチームの成績は上向かず、わずか7週間後の25節には21歳以下のチームを率いていたクリスティアン・ティッツ氏が就任する事態となった。
「ティッツ氏は熱心なファンサービスや、サポーターへの積極的なメッセージ発信を行ってくれました。それによってクラブ史上初の降格という一大事にありながら、結果的に8000人の新規クラブメンバー獲得や、2万5000席の年間シート販売につながりました。トップチームの監督の人間性や影響力をまざまざと感じた出来事でした。これが初の2部で迎えた開幕戦を満員にできた最大の要因であると私たちは考えています」とリーペ氏は振り返る。
下の写真はHSVの順位(青色)と、クラブスタッフがスタジアムでの顧客対応やソーシャルリスニングの結果から主観的に観測したファンの感情との関係(赤色)を示すグラフである。これをみると、ティッツ監督就任以降、順位が上がらない一方でファンの感情がポジティブに上がっていることがわかる。
HSVの順位(青色)とファンのクラブに対する感情を示したグラフ(筆者撮影)
また、実際にHSVの公式ツイッターを振り返ると、ティッツ監督の前向きな姿勢やファンとの一体化を求める声を柱にする情報発信が行われていた。
降格が決定した試合の直前に行われた公開練習に2000人ほどが詰めかけた様子からも、ティッツ監督のこうした呼びかけがファンの心に届いていたことが理解できる。
なお、1部にいた昨シーズンでも、スタジアムを5万7000人の満員にできたのは対バイエルン・ミュンヘン戦の1試合のみである。このことからも、今季の開幕戦の特異性をうかがい知ることができよう。
ただし、大きな貢献を果たしたティッツ監督であるが、先月23日に成績不振を理由に解任された。勝負の世界は、やはり厳しいものである。

HSVからの教訓

HSVの事例からは、サッカーというビジネスは競技結果に大きな影響を受け、非常に感情的で情緒的なものであることを理解できる。
1点のゴール、1勝の重みが大きいサッカーというスポーツの競技特性から来るものであろうが、特に歴史ある伝統クラブでは、初の降格という事実に際し、サポーターやメディアは大きく動揺する。
そうした中で、HSVはマスコットという資産をうまく活用し、落ち込んだサポーターの感情をうまく引き上げることに成功した。そこにティッツ監督のポジティブな言動も加わり、危機を機会に切り替えることに成功した。
つまり、前者は計画的、後者は偶発的な要素であるが、この2つが組み合わさったことが2部降格にもかかわらず、開幕戦に5万7000人を集められた要因と言える。
HSVには酒井高徳(左から2人目)も所属
重要な点は、意図的か偶発的かを問わず、サポーターの感情が高ぶる瞬間を見逃さず、チケット販売や会員増加につなげたことだ。これは、複数のビジネスストーリーを想定し、販売に向けた準備が伴っていないと形にできないことである。
言い換えれば、前回の記事とも関連する長期的視野でのシステム設計があるからこそ可能になる、瞬時の対応でもある。こうした先を読み、準備をする力こそ、危機を大きな成果に変える際に必要な能力といえるのではないだろうか。
なお、降格によって停止した時計は、1部在籍期間ではなく、クラブ創設時を基準にして新たな時を刻み始めた。これもクラブの歴史やサポーターが抱く誇りをうまく前向きな感情に変えるための工夫である。
クラブ創設時を基準に再び時を刻み始めたフォルクスパルクシュタディオンの時計(鈴木創氏撮影)
こうみると、我が国のスポーツクラブにも活用可能な資産が数多くあるのではないだろうか。
(バナー写真:アフロ)