【中村文則】好きだからこそ、僕は日本を批判する
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『ヘイトは、言論の自由の範囲にあるものではありません。小学校レベルの道徳の話です。学校の先生が、生徒が他の生徒の悪口を言っているのを「言論の自由だから」と認めたらおかしいでしょう。
「どんな言説にも言論の場を与えるべきだ」という意見もあります。
バケツに入った汚物をアートとして会場に置き、「これが俺の表現だ」と言っているようなものです。それを撤去され「表現の自由を侵害された」と騒ぐ人を想像するといいです。ヘイト本などの類いは、そういうものです。』
という部分には大いに賛同しました。
『満員の映画館で「火事だ」と叫ぶ自由はない』という言葉も思い出します。
言論の自由、表現の自由を履き違えないようにしたいものです。
注目のコメント
今月、中村文則さんの新作『その先の道に消える』が出版されました。
読了しましたが、ある殺人事件が解明されていくと共に、「保守」という概念が掘り下げられていく作品でした。
「人を内側から見る癖をつければ、差別しなくなる」というお話に、大きくうなずきました。
常に相手の内面を想像しながら接するのは、簡単なことではないと思います。でも、努力し続けたいと思いました。他者や社会に対する寛容さはどこから生まれるかというと「何があっても大丈夫」という安心感からではないかと思います。
将来が不安になればなるほど寛容さが失われるのは、沈みゆくタイタニック号で我先に救命ボートに乗ろうとする様であり、逆にそういう人々を見て「あさましい」と見下す心でもあると思います。
「平和ボケ」という言葉が批判的、自虐的に使われることも多いですが、私はむしろ社会全体としては平和ボケしていた方が財布の紐も緩み、新しいことにも寛容になれるのではないかと思います。南国の暮らしがフルーツと海産物で溢れ、食に対する不安が少ないが故にせかせかせず、常夏だから常に薄着でいるように。“最近、「ヘイト本」と呼ばれる本がありますが、本当の保守や右派の考えは、あんなに軽いものではありません。
人間って、他人を悪く言うときに、ちょっと快楽を覚えてしまうんです。その快楽を刺激するコンテンツが、今、増えています。”
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これはともすればNPでもあり得る話ですね。
それがちゃんとした意見の対立なのか、快楽に浸り難いがための批判なのか。
筆者の「好きだからこそ、僕は日本を批判する」という言葉が同時に、「批判することの重み」を語っていると感じます。