【中村文則】好きだからこそ、僕は日本を批判する
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「人は自信を失ったときに、ナショナリズムに行きがちです。強いものと一体化し、弱い人たちを攻撃することで、自信を取り戻そうとするのです。」
この言葉はすごい勉強になりました。
集合を作るのは個であるけれど、個がなければ集合は作られない。自分が努力をしなくても、強い集合の中に居られるならこんなに楽なことはない。しかし、それは個の成長を促さないために集合の成長も望めない。結果、強さは失われているのに強いという意識だけが残る。
昨今、虚偽性を含んだ「日本すごい」が増えて来たのはもともとは本当にすごかったものが、そのすごさを失ってしまったために虚偽として残ったもの。さらに、グローバル化の波の中で強さが失われていると気づき始めたものの、成長をしていないのでただただ「すごいんだ」と主張し続けることしかできない現実と理想の乖離が虚偽として現れたものがあるのではないかと思う。
日本人や外国人という区別ではなく、個の人として自信が持てるような成長が必要だと感じた。
注目のコメント
今月、中村文則さんの新作『その先の道に消える』が出版されました。
読了しましたが、ある殺人事件が解明されていくと共に、「保守」という概念が掘り下げられていく作品でした。
「人を内側から見る癖をつければ、差別しなくなる」というお話に、大きくうなずきました。
常に相手の内面を想像しながら接するのは、簡単なことではないと思います。でも、努力し続けたいと思いました。他者や社会に対する寛容さはどこから生まれるかというと「何があっても大丈夫」という安心感からではないかと思います。
将来が不安になればなるほど寛容さが失われるのは、沈みゆくタイタニック号で我先に救命ボートに乗ろうとする様であり、逆にそういう人々を見て「あさましい」と見下す心でもあると思います。
「平和ボケ」という言葉が批判的、自虐的に使われることも多いですが、私はむしろ社会全体としては平和ボケしていた方が財布の紐も緩み、新しいことにも寛容になれるのではないかと思います。南国の暮らしがフルーツと海産物で溢れ、食に対する不安が少ないが故にせかせかせず、常夏だから常に薄着でいるように。“最近、「ヘイト本」と呼ばれる本がありますが、本当の保守や右派の考えは、あんなに軽いものではありません。
人間って、他人を悪く言うときに、ちょっと快楽を覚えてしまうんです。その快楽を刺激するコンテンツが、今、増えています。”
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これはともすればNPでもあり得る話ですね。
それがちゃんとした意見の対立なのか、快楽に浸り難いがための批判なのか。
筆者の「好きだからこそ、僕は日本を批判する」という言葉が同時に、「批判することの重み」を語っていると感じます。