社長業の怖さと孤独と寂しさと

2018/7/22

僕は立派な社長ではない

お家騒動があって、結局、僕が社長にならないと事態が収拾できない状況になりました。
自分で言うのもなんですけど、世間から見れば「エイベックス=松浦」。僕が代表取締役として、エイベックスの顔にならないと、今後のエイベックスの事業に悪い影響が出てしまいます。それで、結局、僕が社長に就任することになるのです。
ただ、僕は「社長になりたい」と言って、お家騒動を起こしたわけではありません。僕は、地位が欲しいと思ったことも、名誉が欲しいと思ったこともない。
もし、僕が「社長になりたい」と思って、権力闘争をしたのだとしたら、ものづくりができるだけではだめで、経理や人事、総務といったところも掌握しておく必要があった。社長というのは、会社の機能のすべてを熟知して、掌握していないとなれないものなんだなと痛感しました。
僕みたいに「音楽さえ作っていればいいんでしょ?」という人は、社長にはなれない。だから、僕は社長かもしれないけど、立派な社長ではないんです。

4代表制

それで生まれたのが、4代表制です。代表権を持つ人が4人いる会社なんてほぼありません。
4人の役割分担は、COO、CFO、CMOのようにほぼ決まっていました。状況に応じて、その役割分担は臨機応変に変えていきますけど、まあ、サッカーのフォーメーションプレーのような感覚です。
でも、これが、僕がいかに立派な社長ではないかということの裏返しなんですね。僕が立派な社長であれば、一人でなんでも決めてしまえばいいことです。僕は音楽を作ることは得意だけど、それ以外のことはできない。
他の3人も同じで、それぞれ得意な分野を持っているけど、経営のすべてができるわけじゃない。
それぞれの得意の分野を持ち寄って、4人で経営しているというのが当時のエイベックスでした。
僕は20歳の大学生の時から、音楽ビジネスの世界に飛び込み、これといった趣味も持たず、ずっと仕事ばかりしてきました。
それも、大学生でいきなり会社を作って、最初から社長ですから、就職活動をしてものすごく高い競争率をくぐり抜けてきたわけじゃないですし、会社の中で熾烈な派閥抗争の経験があるわけでもありません。
音楽を作るのが好きだったし、僕が作らなければ誰が作るんだという気持ちだけで生きてきました。
だから、いまだに社員が地位にこだわる気持ちがよくわからないんです。社員と会議をしていても、名前はもちろんわかっていますし、その人がどんな仕事ができるかもよくわかっています。
でも、「あれ?この2人、どっちが部長でどっちが課長だったっけ?」ということがよくある。ましてや、僕が出席する会議に、誰が僕の近くに座るかという序列の問題で揉めているという話を聞くと、「空いてるところに座ればいいじゃん」としか思えないんですよね。
でも、それでも僕は社長で、社長業をしなければならない。怖いことだらけで、いつも不安ですね。