【証言】奇跡のマクドナルド逆転劇。あのとき僕らの歴史は動いた

2018/4/18
2014年の冬。年の瀬も迫るこの日、マクドナルドの主力フランチャイズ企業「クオリティフーズ」(新潟県)の下平篤雄の携帯電話が鳴った。 
「話がある」
電話の向こう側の相手は、日本マクドナルドのサラ・カサノバ社長。「詳しいことは会ってから」とだけ言い残し、東京で会うことになる。
下平は、マクドナルド前社長・原田泳幸時代の2009年に、本社からクオリティフーズへの出向を命じられ、後に転籍した人物。同じく2009年にカサノバがマレーシアの経営トップに抜擢される以前は、共に日本マクドナルドの役員同士であり、気心の知れた仲だ。
カサノバは普段、気軽なやりとりをする際には下平のことを「シモ」と呼ぶが、真面目な話のときは「シモダイラサン」と呼ぶ。この電話のときは「シモダイラサン」だった。