「大阪に帰れ」できたばかりのNSCに配属

2018/7/31

東京の芸能界

もし1980年に漫才ブームが起きなければ、僕はずっと大阪の劇場にいて、東京の芸能界を体験することもなかったと思います。
しかし漫才ブームのおかげで、僕はいろいろな経験をすることになりました。
このころ特筆すべき出来事は、漫才ブームで人気に火がついた「ザ・ぼんち」が、1981年に『恋のぼんちシート』というレコードを発売。これが80万枚の大ヒットとなり、オリコン最高2位を記録したことです。
歌がヒットしたので、ザ・ぼんちも『ザ・ベストテン』(TBS)、『ザ・トップテン』(日本テレビ)、『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ)といった華やかな歌番組に出演することになりました。
僕はお笑い番組とは勝手が違う歌番組の進行に戸惑ったりしましたが、のちに音楽ビジネスに進出することを思えば、これもいい経験でした。
その後もテレビでは続々とお笑い番組が生まれ、『笑ってる場合ですよ!』(フジテレビ)、『お笑いスター誕生!!』(日本テレビ)、『オレたちひょうきん族』(フジテレビ)が始まります。
こうなると東京事務所も木村さんと僕だけではとても人手が足りなくなり、ようやく社員が補充されることになりました。
それなのに僕を待っていたのは「大阪に帰れ」という辞令だったのです。
ある日突然、木村さんが僕にこう聞きました。
「大﨑、大阪に帰るか?」
「はい、ありがとうございます!」
といつものように反射的に返事をしたものの、「あれ、なんで今、お礼を言ったんやろう。なんか変だったかも……」と黙っていると、木村さんはボソッと言いました。
「俺はお前を便利使いしすぎたのかもしれんな。いい頃合いや。いったんここらで大阪に帰れ」
本当はどんな理由だったのかはわかりませんが、結局、「お前はもういらない」ということです。
ショックでした。自分なりに精いっぱい仕事をしてきたし、東京での人脈もつくってきた。それは全部意味のないことだったと言われたようで、虚しくてたまりませんでした。