【松井道夫】絶対のルールなんかない

2018/5/12

画家を目指していた

松井証券の創業家に婿入りした私が、社長を継いだのが1995年の6月のこと。
金融ビッグバン以前から、独自の信念で外交営業や店舗を廃止し、手数料改革に着手。どこよりも早くネット専業証券会社に転換しました。
“業界の異端児”と呼ばれ、「なぜそんなことができたのか」と問われ続けた四半世紀でしたが、私としてはすべて我が心をただ見つめてやっただけのこと。
結果だけ見れば、たしかに今の日本の証券会社のメインストリームを切り開いたのかもしれません。
しかし、それはあくまで後付けの結果でしかない。私はただ、美しい絵を描きたかっただけなのです。
キザに聞こえたかもしれませんが、10代の頃、本当に私は画家を目指していました。

銭湯で絵が好きになる

私が生まれたのは昭和28(1953)年3月22日。生まれたのは母の故郷であった長野県松本市に程近い山の麓、波田村(当時)でしたが、父は戦後に東京国税局に勤めるようになったので、育ちはまるっきり東京。きょうだいは弟が1人いました。
弟とD51(蒸気機関車)の前で