【チェックシート】ニューエリートへの第一歩は自分を知ることだ

2018/4/6
グーグルで人材開発のリーダーを務め『ニューエリート』の著者でもあるピョートル・フェリクス・グジバチ氏と、中学生の時に会社を興した大学生起業家の仁禮彩香(にれい・あやか)氏は、自分を知ることこそがニューエリート育成の第一歩だと語る。自分を知り、自分を表現し、自己を実現する──。そのステップを2人はどう踏んできたのか。

中学2年で起業した理由

──ニューエリートの条件の1つは、詰め込み型の知識を増やすことではなく実践的な学びをして体験総量を増やすことと指摘する声が多くあります。その点、ピョートルさんは冷戦後のポーランドの貧しい村からグーグルの人材開発リーダーとなり、仁禮さんは中学生のときに起業するなど若い頃から様々な経験をされてきています。
ピョートル そうですね。私が育ったポーランドの村では、冷戦後、リストラクチャリングの名のもとに地元の企業がドイツ資本となり、その途端に村の失業率が100パーセントになりました。
年の離れた2人の兄たちも突然仕事を失い、上の兄はずっと仕事がなく、アルコール依存症になって自動車事故に遭い、命を落としました。
僕も高校を中退して、出稼ぎ労働者としてドイツに移り、建設業やポーランドの季節労働者のための通訳やコーディネーターを務めていました。つまり僕はエリートでも何でもありませんでした。
ピョートル・フェリクス・グジバチ(Piotr Feliks Grzywacz) / プロノイア・グループ代表取締役
ポーランド生まれ。ドイツ、オランダ、アメリカで暮らした後、2000年に来日。02年からベルリッツのグローバルビジネスソリューション部門アジアパシフィック責任者、06年からモルガン・スタンレーでラーニング&ディベロップメントヴァイスプレジデント、11年からグーグルで、アジアパシフィックでのピープルディベロップメント、14年からグローバルでのラーニング・ストラテジーに携わる。現在は独立して2社を経営。近著『Google流 疲れない働き方』『ニューエリート グーグル流・新しい価値を生み出し世界を変える人たち
しかし、僕は勉強が好きでした。ですから、ドイツでためたお金でポーランドの高校に復学し、結局大学院まで進学して言語学や心理学、消費行動などを学びました。
日本との関わりは、千葉大学で異文化のマネジメント研究も行うために、2000年に来日したことがきっかけです。様々な経験をしてきましたが、今の自分の土台は20代のときにつくられたと言えそうです。
──一方、仁禮さんは中学2年生で起業されています。
仁禮  14歳のときに「子どものアイデアを実現する事業」「子どもが未来志向の学校をつくる事業」「子どもが頑張る大人を応援する事業」をサービスとするグローパスという会社をつくりました。
きっかけは、日本の教育に違和感を覚えたことでした。私は幼稚園からインターナショナルスクールに通っていて、多様な人が共に生きることは、学校や会社でも世界だろうと変わらないと考えていました。
仁禮彩香(にれい・あやか) / グローパス最高経営責任者
1997年生まれ。4歳から12歳まで湘南インターナショナルスクールでバイリンガル教育を受ける。中学2年で同校の卒業生である齊藤瑠夏、齊藤未月とともに“子供による子供のための子供の未来創造企業”としてGLOPATHを創設、CEOに就任。以来多くのソーシャルイノベーション型事業を推進。慶應義塾大学(湘南藤沢キャンパス)に入学した2016年、企業向け研修や製品開発を支援する2度目のスタートアップ企業「ハンドC」を設立した
人と協働するには、何かトラブルが起きたとき、どうしたらいいのかを自分で考えて行動する力が一番大事になります。それを育むためには、「どうすれば解決できるか」という自分自身への問い掛けが必要です。
ところが、その後進学した公立の小学校では、トラブルが起きれば、先生が「ああしなさい」「こうしなさい」と言ってきて、全ての事柄が定義し尽くされていました。
ピョートル 大人が正しいと決めたことに沿って物事が進んでいた、と。
仁禮 そのギャップにとにかく驚き、「なぜ学校に行くんだろう」と考えこんでしまいました。
そのとき、学校に行く意義とは「自分で学び成長するため」「友達と何かを実現させるため」だと思ったのですが、私が通っていた公立校ではそれができませんでした。
ハッキリ言えば、英語の先生よりも私の方が英語を教えられるとも思いましたが、いざそれをやろうとすれば排除されるし、何かアイデアを出しても教科書に書いてなければ答えとして認められない世界でした。
「自分が居続けることは何か違う」という思いを抱き続け、以前通っていたインターナショナルスクールの先生に「小学校をつくってほしい」とお願いしたことで新たな小学校を設立してもらえました。
それが、自分でどうすればいいかを考えて行動したら、問題解決ができるというひとつの成功体験にはなりました。
それとともに、日本の教育環境があまりに閉鎖的なことも、起業のきっかけになりました。中学進学時に学校が独立していて、社会とのつながりがないと感じたのです。
ピョートル 閉じられた世界だったわけですね。
仁禮 学校は社会に出ていく準備をする場所であるはずなのに、社会とのつながりがないという環境はおかしい。その問題を解決することが、私が会社を設立した趣旨になります。

グーグルが重視する3つの力

──現在は社会に求められる人材像や教育の転換期だと指摘されていますが、なぜ変化が起こっているのでしょうか。
ピョートル エリートの定義においても、今はパラダイムシフトが起こっています。
なぜかと言うと、テクノロジーの進化によるデジタル化やグローバル化が急速に進みながらも、人類の重要な問題がいまだに解決されていないからです。
日本は安全でも、世界のどこかで今も戦争が行われています。ニューエリートには今、世界で何が起きているのかという現状理解と、誰かが動かないと問題は悪化する一方だという認識が必要です。
グーグルのマネジメント教育で非常に強調されているのも、「共感」「同感」「思いやり」という3つのスキルです。これも「我々が抱えている一番大きい問題を解決しましょう」という考えからです。
グーグルの行動規範が「Don't be Evil」だったことは有名だ。(写真:colasMcComber/iStock)

自分は何を得たいのか

現在の日本を見れば、GDPで世界3位の大国ながらも、世界的に活躍している人材はというと、それほどの数はいません。
だから、私はニューエリートを育てるプラットフォームを作り、もっと若い日本人に世界に出てもらい、環境問題でも教育問題でも健康問題でも何でもいいですから、世界の問題を解決したいというマインドセットや勇気を持って、動いてくれる人たちを増やしたい。
では、どうすれば世界の問題解決につながるか。
それは、自分は世界に何をもたらしたいのか、ということをしっかり考えて、その思いを自己認識し、自己開示、自己表現して、その後、逆に、自分は世界から何を得たいのかという、自分の基準や価値観を認識することが大事です。
これが自覚できるようになると、多様な人々と接する時に建設的な人間関係や、関係性が築け、人と協働して、世界で解決できる問題が増えます。
その点、仁禮さんはまだ20歳の大学生なのにすごいと思うのは、彼女くらいの若者ならファッションとかパーティーなどの話ばかりするのが普通なのに、そういう話題は全然出ないことです。
仁禮 もちろんファッションに興味はありますし、そういった話題も好きですが、誰かとお話しするときは、その人の限られた時間を使ってもらっているので、常に誰に何を話すべきかを考えるようにしています。自分の話したいことのために、相手の時間を割いてもらう必要はないので。
ただ、中学生の時に起業したのも、今、小学5年生から高校3年生までを対象に次世代のリーダーを育むサタデースクールを開催しているのも、ピョートルさんが言うように、自分が何をしたいのか、自分がどういう人間なのか、何がしたいのかが、自分自身で認識できているからこそだと思います。
ピョートル:まさに、人間の自己効力感は、自己を認識した上で、自己開示、自己表現することで満たされるというステップを踏んでいるのですね。

自分に問い続ける

──起業の経緯もそうですが、なぜそこまで自分を客観視できるのでしょうか。
仁禮 それはおそらく、私が周囲の人に「問われ続けてきたこと」が大きいと思います。
これまでも、私が「これは嫌」「これは違うと思う」と言ったとき、自分の家族や学校の先生から「なんでそう思うの?」「どういうところが違うの?」と深く本質的に問われることが多くありました。
私の考えを代弁したり、勝手に答えを見つけるのではなく、私のなかから出てくる答えを引き出すために、「なぜ?」を繰り返してくれたのです。
インターナショナルスクールの幼稚園のときもそうでした。たとえば、周囲とけんかし、突然泣き出してしまったとき、その感情がどこから来るものかを、自分自身で見つけられるように、先生に問われてきました。
自分はなぜ泣いているのかの理由を自分で認識させること。それも、子どもの自己認識につながる。(写真:szefei/iStock)
園児ですから、自分が泣いていても、それが悲しくて泣いているのか、怒っているのかもわかりません。
このときは先生に、「今、あなたはどういう感情なの」「なぜ感情が激しく動いたの」などと問われることで、自分は泣きながら「怒っている」ことを知りました。
すると先生はなおも、「なぜ怒っているの?」と問いかけてくれるのです。すると自分は、「あの子が私に言った、あの言葉が嫌だった」などとわかります。
では、その言葉の何が嫌だったのかと言えば、自分が否定された気がした、と。すると私は、自分が否定されたときに傷つくのだと理解できます。そして、だったら、この問題をどう解決するべきかを、自分の頭で考えられるようになります。
このときは、「自分が嫌だと思ったことを、相手にちゃんと伝えてみる」という解決策を考え、行動を起こすことができました。
問題解決とは、このようにまずは自分を認識すること、自分の頭で考えることから始まるのだと思います。
反対に、もし周囲が「今、怒っているんだよね」「あの子に嫌だと言えばいいじゃない」などと対応したとしたら、その場限りの問題解決にしかならず、自分の感情や考えの整理ができませんよね。
私が自分が世の中にもたらしたい「give」は「人の教育」ですが、それを見つけるまでのプロセスも、この時とまったく同じで、自分自身に自分の関心事を問い続けることで見いだしました。

行動を起こす教育とは

ピョートル 子どもが自分の社会的な関心事を見いだすには、ベースとなる知識も必要ですが、それを提供してくれる場所が学校でもあります。その提供の仕方は、どうすべきだと思いますか。
仁禮 日本の学校ではテスト勉強や受験対策に軸足を置くので、知識を習得する意味は「問題に回答するため」ということになりがちです。
例えば日本史でも世界史でも、歴史上の人物が「なぜ行動を起こしたのか」という本質的な物語を学ぶのではなく、年号と出来事の暗記を重要視しています。
一方、私の通っていたインターナショナルスクールの小学校では、算数の授業でも問題をひたすら解くわけではなく、たとえば竹のベンチをつくることもありました。
ピョートル 竹のベンチ、ですか?
仁禮 子どもたちが学校の前の竹やぶから竹を切り出して持ってくるところからはじまって、竹をカットする大きさはどうするのか、つくるまでのスパンはどれくらいかも自分たちで決めていきました。
ピョートル なるほど。椅子の大きさは座る人のサイズに合わせるから、その設計図を書く段階で算数の知識が必要になるわけですね。
仁禮 そうです。設計と製作は、竹の長さを測ったり、足したり、引いたり、掛け算したり、割り算をしたりと算数そのものでした。
このようなステップを踏むと、算数とは何かを実現するため、行動を起こすために必要なのだと腑に落ち、知識を習得しようという欲求もわいてきます。
先生の役割も、生徒が何らかの壁に直面したときに、「こういう式が使えるんじゃない?」といったサポートをすることに徹し、あくまで中心にあるのは、子どもたちが何を学びたいか、どうしたら学びやすいかということでした。
だからこそ、私たちも、先生に自分たちが何を求めているかをたくさん伝えたため、「自己表現」するというトレーニングにもなったと思います。
ピョートル 中学2年で起業したときも、周囲の大人に自身の考えを伝えることは多かったと思います。
仁禮 起業するために大人と接することが増えた、というよりも、起業までは大人と接する機会がなかったので、それを創出するために会社をつくりました。
日本には「社会人」という言葉がありますよね。でも、社会人になる前の学生の間は社会にいる人、つまり社会人ではないのか、という疑問があったのです。
ピョートル 確かに。子どもや学生は「非社会人」なのか「反社会人」なのかという話になってしまいますからね(笑)。
ただ、実際のところは、子どもも学生も誰もが一員として社会を構成しています。

子どもは学校に隔離されている

仁禮 社会人という言葉ひとつとっても、日本の学校構造の実態を反映していると思います。
つまり、学生である子どもと大人が隔離されてしまっているのです。子どもは学校という箱から出ることができず、封じ込められている印象が強くあります。
しかし、子どもと大人が隔離される必要はまったくないと思います。むしろ、お互いが触れ合うことで、それぞれの世代が通ってきた道や持っている個性を共有することができます。
たとえば、大人が忘れてしまったことを、子どもたちの方がよく知っていることはたくさんあります。そうした大人と子どもの知恵や発想が掛け合わされば、互いに学びの機会は増えるはずです。
もちろん、子どもはお金や仕事など、社会を構築している要素についてよく知りません。ただ、成長の過程でプロフェッショナルな大人たちに出会うことで、多くのことを学ぶことはできます。
そんなときに、自分は「この人の何に引かれているのか」「この部分は好きだけど、あそこは苦手」などと掘り下げることができれば、自分の得意分野や関心分野を見いだすことにもつながります。
ピョートル 中学生で起業する段階で、どのように大人を巻き込んでいったのでしょうか。
仁禮 起業のときにわかったのは、人を助けるのが好きだという大人は、案外多くいる、ということでした。自分が「助けてほしい」と言えば、助けてくれる人がこんなにもいるんだと実感しましたね。
ピョートルそ れはそうです。人の自己実現=他者貢献ですから。
仁禮 「こんなことで困っている」「こういう場所をつくりたい」はもちろん、「会社の場所を貸して」「商品開発の情報を授業に使わせて」といったことまで、快く引き受けてくれる企業や個人は多かったです。
企業にスポンサーになってもらい、共同でCSR(企業の社会的責任)の活動や事業を創出したこともありました。
ピョートル その交渉も中学生でしたのでしょう?
仁禮 最初はCSRなんて何かも知らなかったので、大変でした。
そこで学んだのは、決定権のある会長や社長と交渉しなければ、意味がないということでした(笑)。トップダウンの企業であればなおさらで、上層部と話をすることが重要だと知りました。
ピョートル 上層部にどのようにアクセスしたのですか。
仁禮 私はよく「若いからできるんだよ」「学生起業家だからね」と言われることもありますが、まさにその通りで、中学生起業家?と大人が驚いて、話を聞いてくれる学生のうちに行動することは悪いことではない、と知りました。
アンフェアだと言われても、各年代に応じて得意不得意、持っているパワーは変わってくるものです。私も大人になったら、上層部に簡単に話を聞いてもらえなくなるかもしれません。
ただ、学生のうちに起業したからこそ話も聞けるのだから、わざわざ隠すこともありません。
それに、経営者も中学生から手紙が来ると応えてくれるものです。その手紙も、ただ「会いたいです」と書くのではなく、「私はこういう問題意識を抱えていて、改善するために助けてほしい」と思いを込めれば、それに応えてくれる、あるいは助けてくれる大人はたくさんいます。
思いに共感してもらえれば、資金を出してくれたり、人を紹介してもらえたりと、新たなつながりも生まれます。
ピョートル 学校が社会とつながっていないことへの疑問は本質的ですが、どうして中学生で本質を捉えて問題を見つけることができたのでしょうか。
仁禮 やはり、答えを与えられずに「これはなぜなんだろう」と、問題を掘り下げていくことが身についていたからだと思います。
公立校に通っていた小学1年生のときは「ここに6年間通うのは嫌だ」という感情がまずありました。その感情を「どんなところが嫌なのか」「それは先生が悪いのか」と掘り下げていき、どこに起因しているのかまで考えていました。
わからないことがあっても、自分のなかから生まれている疑問ですから、なぜかと知りたい。答えを追求したいという意識から、人に聞いたり、調べたりもします。
小学校1年生で日本の教育課程から離脱しながらも、中学課程で日本の学校に進学した理由も、日本の教育に違和感を覚えたのは、むしろ自分は教育自体に関心があるからだとわかったからです。
小学校の間に、問題の解決方法につながるであろう仮説をつくれたことで、それを実行に移す上でのリサーチとして現場を知らないといけないなと思い、日本の普通の公立中学に行きました。

自分の感情の源を知る

ピョートル あえて、険しい道を選んだのですね。
何かを成し遂げるのは、繰り返しになりますが、自分は世の中に何を「give」し、何を「take」したいのかを知ることが大事です。そして、その源泉は強い情熱にほかなりません。
仁禮さんの話を聞いて、「自分の情熱の源とは何だろう」と改めて考えてみましたが、僕の場合、「怒り」と「悲しみ」だと思います。
子どもの頃を振り返れば、多くの修羅場を見てきました。村の失業問題もそう。共産党政権下の戒厳令のときの、人のふるまい方や扱われ方だとか、話せない話もいっぱいあります。
その怒りと悲しみを、いかに建設的に世界にもたらすか。
例えば、人の顔を殴ることではなく、みんなで何かを変えようよと啓蒙する、だとか。
子どもの時からの経験で、社会主義は良くない、かといって資本主義の行き過ぎもよくないことを身をもって知ったことで、それに代替する建設的な社会制度をつくっていきましょうというのが、僕の若い頃の野望だったんですね。
仁禮さんが、日本の小学校が嫌だったという感覚に似ています。ここは心地が良くないと思う。すると、普通は、不満を抱えながらもそこから動けなくなるか、あるいは逃げるかですよね。
僕らは、多分、逃げるのではなくて、そこと向き合って、新たな選択肢をつくろうと考えて行動する性分なのでしょう。つまり、意図的に難しい選択肢を取るのですね。
そして、僕はこの意図的に難しい選択肢を取ることが、その人の人生を楽しく、充実させることになると思うのです。
反対に、楽な選択肢を取れば、その後の人生は難しくなります。例えば、年を取れば取るほど問題が複雑になっていくから、自分の中の柔軟性は下がる。すると、ますます心地が良くない環境から抜け出せなくなるのです。
仁禮 同感です。私の場合、自分を動かすエネルギーは、「喜び」と「悲しみ」にあるのかなと思います。
どういうときにうれしく思い、どういうときに悲しいと感じるのかはそれぞれ違いますが、その動機は実は表裏一体です。
例えば私がうれしいと感じる瞬間は、周りの人が生き生きしていたり、納得感を持って物事を進めているときです。たとえもがいていても、本人が頑張ろうとしている意思が感じられたら、私にも喜びが生まれます。
反対に、私が悲しいときは、例えば自分で会社をつくって様々な企業を訪れたとき、そこで働いていた大人たちの目が死んでいるのを見たときでした。
その方々がどう考えているかはわかりませんが、その姿を見ていると、その人たちが幸せだとは思えず、悲しい気持ちになりました。
つまり、私は、うれしいも悲しいも人が生き生きしているかどうかで左右されるのです。それならば、私は一人一人が生きていることに対して喜びを感じられる社会をつくりたいと思いました。
ピョートル 彩香さんも僕も、原動力は違っても志は同じなのですね。
(取材:佐藤留美、構成:小谷紘友、撮影:小林正、デザイン:九喜洋介)