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これまでエリートといえば、固定された地位という印象でした。しかし、変化が突然にやってくる時代、自分の周囲の環境が永遠に続くというのは幻想でしかありません。

今どこにいるかよりも、次にどう成長するのか? 子どもも大人も持続的に成長するーーそんな「ニューエリート」こそが求められています。

幸い、テクノロジーの進化により学びのハードルは下がっています。学習ログも残り、学歴より学習歴が問われる時代、我々はどう学び、働くか。一週間にわたり、考察していきたいと思います。よろしくお願い致します!
学歴とかホント関係ないんですよね。学習歴も履歴でほぼわかります。Newspicksのリアリティショー見てても思いましたけど、ピッチってその人のバックグランドや考え方、姿勢、熱意、聡明さを俯瞰できますよね。今までの学習の成果物が2分間のピッチと質疑応答なんだと思います。
何を学んで来たかではなく、何を出せるかが重要です。学歴も学習歴も外に出さなければ意味がありません。
VUCAの世界であるからこそ最も必要なスキルは相手を動かすことのできるコミュニケーション力であると思います。そして出せる人がニューエリートになっていくのだろうと考えると、教育はただインプットするだけではダメで、発表する場所も合わせて提供することが必要なのだと考えます。
H.Dソローが「森の生活」で言ったように、ライフではないものを排除(put to rout all that was not life)していけば、ワークはライフと一致し、クリスト&ジャンヌ=クロードのようにライフとワークはすなわちプロジェクトになるのだと思います。

「エリート」の定義は、農耕社会においては税を納める農民に対する徴収する側、つまり広い意味での支配層とそこにぶら下がる搾取層ですが、石油時代となった近現代においては、成長が永続化する事で「資本」の力が拡大し、さらに大量消費・製造に伴って、リスクを取らない中間層が拡大し、「エリート」の定義も広がっていきました。そのエリートを象徴する記号が、教養であり、過剰な装飾であり、限られた意味での「文化」だと思います。

しかし、資本成長の2つの源泉だった資源採掘コストがべき分布で上がって、さらに人口密度が高くなり出生率が下がっていくと、次第に拡大したエリートにより国家財政が維持できなくなり、エリート内の競争が激化します。この特集の新旧エリートの分断もそうですか、税制改正で年収850万円以上の所得税増税も同じ流れにあると思います。

エリート内の対立軸は様々です。過去の既得権にたとえジリ貧でもすがるタイプもいれば、より流動的な生き方を選び、自由競争の中で勝ち負けに分かれる道を選ぶ人も出てきています。

本来支配層とは、過去(の先祖等)の英雄的な行動や、自身の試験合格の実績などを背景に、意志決定権の自由度を、戦争やクーデター、経営難等による没落のリスクと引き換えに得ていると言えますが、近年ではデジタル化によって、目に見えづらい金融化が生活の隅々まで浸透したことで、リスクを自分以外に押し付けた上で高い利益を取るポジショニングが可能となっており(タレフの言う「非英雄」)、金銭的にはこちらが結果的に「勝ち組」でしょう。

自由な生き方を尊ぶことと、安全保障の枠組みとして国家をどのように維持するのかという問題は、常にミクロ-マクロの合成の誤謬パラドクスがあるので最適解はありませんが、社会の構造が大きく変化して、従来の価値観が通用しなくなることだけは確かでしょうね。
これからの生き方は、組織のヒエラルキーを前提にした服従と勤勉の相対性でエリートが形成されるのではなく、ナリッジエコノミー(知識を基盤とした経済)の時代になると、専門性や知恵が求められ、さらにゼロから1を生み出せる人、クリエイティブエコノミーに対応できる人が「エリート」になるってことですね。

『今の所属先や地位』よりも、学び続けて元いた場所と今いる場所に差がある、進化があることが求められる。

良い時代になりました。学歴社会ではなく、その人は何を学んで何ができるかを証明する『学習歴社会』。

子供も大人も学習歴時代の到来。学び続けなくては!
エリートとか関係なく、Learn how to learnの重要性は、どんどん上がってきていると思う。
プログラミングだけでなく、情報についてはアクセスしにくかったものが、どんどんアクセスできるようになったのがインターネット。ただそれで差別化できる「検索力」は、今も昔も一定効くかもしれないが、昔ほど付加価値がなくなったと思う。
むしろ、情報が大量にあって、スキルも見える化される中で、自分の得手不得手・好き嫌い含めて、「何をやるのか、何をやらないのか」というエッジを絞り込むことが一層重要だと思う。
学び方を学んで、そして得意領域については「学んでも追いつけないレベル」くらいまでに行けるか。
私の同級生で、普段の大学院の課程と並行してCourseraで機械学習とかを勉強して、修了証書をLinkedInに上げてくる人が結構います。「学習歴社会」の一つの表れかなぁという気がします。

アートの必要性のところは、(NPではおなじみ)リンダグラットンの授業でもすごく強調されてました。これからのビジネスパーソンは「T型」、すなわち幅広ーい知識と、深ーい専門性が必要。でもそれだけではだめで、「足が2本のT」(πみたいな)を目指すべし、と。
そして2本のうちの1つはアートだとGood、2つの専門性がお互いを高めあう相乗効果があると。何かわかる気がしました。
人材像と教育のあり方、現状未来対比の表が分かりやすい。

特に共感した点は、ホルバートンスクールの取組。
リカレント教育に注目が集まっているが、従来インプット中心型に実践プログラムは必須と考えています。

また初期費用、教育費用ゼロでその後稼いだ額の30%還元型の費用面も興味深い。社会に貢献できる人材輩出にプログラム設計を仕向けるデザインです。
こうやって図に落とされると分かりやすいですが、こんなものをニューエリートと総称しちゃって良いのでしょうか。ガンダムのニュータイプを彷彿とさせるネーミング笑

実は書かれていることはほぼ弊社の採用・評価基準とまったく一緒なので、うちはさながらニューエリート養成所なのか。さすがにそれはありえない笑
でも具体的にいうと
・学歴不問(院卒から高卒まで全ての階級にいます)
・成果主義(タスクじゃなくて結果を報告してねと言います)
・スキルよりパッション重視(何ができるかじゃなくて自分のやりたいこと持ってますかを聞きます
・研修はなくて仕事に必要なことはDAY1から責任を追求する現場育成主義(あえて自分で学べるよう手取り足取り教えない。その代わり情報のありかや誰に聞いたら良いかは教えます)
・メンターは起業家(僕です笑)

でも、こういったラベルをつけてスタートアップの意識持っている人を評価してくれるのはありがたいんですけど、なんだか構図としてスタートアップの求める人材評価軸が従来の大企業のそれより優位みたいな書き方で良いんでしょうか。社会はこういう方向に流れて行きますが、本当にエリート扱いされるのかはちょっと疑問ですね。そうあって欲しいが。
フリーランス的に、あるいは野良犬的に仕事をしているとここで言われている「ニューエリート」的な仕事の仕方にほぼ必然的になりますが、
それをもって新しい働き方3.0と思ってしまうのはちょっと危険かなと自戒します。「多くの人が注目し始めたら終わりの兆候」
しかし、成果がまだまだなので、もうちょっと成果を出して人目のない森の奥の奥のほうへ移動しようと思います。
ホルバートンスクールが、大学ではなくて専門学校というところがポイントだなぁと思いました。最近は大学に即戦力育成的な側面を求められることが多い気がしているのですが、10年後のための基盤となる研究は大学で、即戦力人材の育成はこういった専門のところで、という形が良い気がします。企業等とも上手く連携して、お金も上手く回すこの感じ、良いですよね。
この連載について
ロボットやAIなどの技術革新により経済構造が大きく変化する中、学校は依然、社会と隔離されたまま。学校教育は相変わらず知識の詰め込み主義で、忍耐や協調ばかりが強調されている。 しかし、マニュアル主義の「旧エリート」に、新時代の価値は作れるのか。先行き不透明の時代、必要になるのは、自ら課題を設定し、問題解決する力を持つ「ニューエリート」の存在だ。 では、持続的に成長するニューエリートを創る教育とは? 学校教育から大人の学び直しまで、新時代を生き抜く学びのあり方を追求する。
Google LLC(グーグル)は、インターネット関連のサービスと製品に特化したアメリカの多国籍テクノロジー企業である。検索エンジン、オンライン広告、クラウドコンピューティング、ソフトウェア、ハードウェア関連の事業がある。 ウィキペディア
Facebook(フェイスブック、FB)は、アメリカ合衆国カリフォルニア州メンローパークに本社を置くFacebook, Inc.が運営する世界最大のソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)である。Facebookという名前は、アメリカ合衆国の一部の大学が学生間の交流を促すために入学した年に提供している本の通称である「Face book」に由来している。 ウィキペディア
時価総額
71.1 兆円

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