【歴史講座】鎌倉時代、複数の貨幣が独自に普及した理由
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貨幣は人類が広域で活動することを可能にした発明です。遠距離の旅行中の物資の購入や交易を可能にしただけではなく、広域にわたってモノの価値基準を共有することを可能にしました。
貨幣が初めて発明されたのは古代オリエントの一角、アナトリア半島のリディア王国といわれていますが、その周辺のギリシア人やフェニキア人の経済活動領域を含め、古代の世界各地で貨幣の使用が始まりました。とりわけ地中海世界と春秋戦国時代の古代中国で貨幣の使用が広域の経済活動を加速させ、ローマと秦という広域を支配する帝国の成立に至りました。
貨幣は、文明と帝国にとってその存亡を左右する重要な道具、いわば決戦兵器であり、貨幣を創出し支配できなかった文明と帝国は、例えばインカやアステカ、あるいはアフリカ南部の諸王国のように敗れ去っていきました。
宗教もまた人類が広域で活動することを可能にしました。貨幣と同じで、それが無くても生きていけるし、ある程度の共同体は維持できます。人間が大陸にまたがるような広域の活動に乗り出そうとした時、貨幣と宗教が必要でした。
宗教と貨幣の関係は、新約聖書に見られる、神殿から商人たちを追い出したイエスの例に見られるように、時に対立するものでした。しかし、宗教と貨幣をあわせて活用し、相乗効果を生み出した文明が、覇権をもつことに成功しました。中世ヨーロッパのキリスト教文明は、ローマ帝国の貨幣制度を継承することに失敗し、広域の覇権を失いました。一方、イスラーム文明はその勃興期にローマ帝国の貨幣制度をそのまま採り入れ(ローマのディナリウス金貨をアラビア語でディナールと呼称)、広域の経済活動を支配し覇権を確立しました。
古代日本の場合、独自に貨幣制度をつくりだして普及するには従来からの広域な経済活動の規模が足りなかったと思われます。中国との交易でより広域の経済活動に接続することで、国内の経済活動も加速化し、貨幣制度を普及することが可能になりました。全5回の連載スタートです、ご笑覧下さい。
鎌倉・室町時代の貨幣経済ならびに昭和初期の国際金本位制への復帰について、暗号通貨に照らし合わせて解説します。
今回は鎌倉・室町時代に社会的分業の進展と貨幣経済の進化とが同時進行した背後事情を経済学で読み解きます。
キーワードは「マッチングの工夫」です。歴史って不思議ですね。ストーリーとしてなら頭に入りやすいのに、単語だと全く入ってこない。高校の教室だと全く入ってこないが大人になるとものすごく頭に入ります。不思議だ。