人生を3倍楽しむ成毛眞の「プランBでいこう」

2018/4/7

人生100年時代の誤算

「人生を3回転味わう」
日本マイクロソフトの社長を退任した2000年に出版した自著で、ぼくはこんなことを書いています。
その時、44歳。マイクロソフトという1回転目の人生をリセットしたばかりだったぼくは、次の20年間に人生をもう2回転楽しむことを宣言していました。

ADHDという個性

子どもの頃の自分がADHDだったと推定し、いろんなことが腑に落ちたのは、つい最近のことです。
小学校の頃のことはほとんど記憶がありません。楽しかった記憶として思い浮かぶ景色もない。校舎や校門の形すらあまり思い出せない。というか過去を思い出すことに興味がまったくないのです。

ヘンな先生たち

校訓は「やることはやる やるときはやる やれるだけやる」
この校訓に「やれなくてもやる」という言葉を付け加えることもあります。
とにかく自由な校風で、教師も生徒を厳しく管理しなくていいという具合。この自由さをめがけて、道内から生徒だけでなく、ヘンな先生たちが集まってきていました。

「我が故郷」東京

受験のために札幌から上京したその日から、東京が「我が故郷」になりました。
東京は、群衆の中の匿名性というか、透明な存在でいることが許される都市。人とあまり触れ合う必要がなくて済むのが、ぼくの気質には心地いい。

何の会社か聞かずに就職

「それで君、明日から来られる?」
普通、新卒入社は4月1日だということぐらいは知っていました。
就活をしていなかったぼくは選べる立場でもなく、まあ、いいかと思って入社します。
その会社の事業が何かをほとんど聞かずに入社を決めてしまったのです。

アスキーマイクロソフトに出向

アスキーにはまさにベンチャーの雰囲気がありました。一言二言話しただけで、
「明日から来れますか」
と聞かれ、
「あ、ここも、また明日からか」
と思いました。
初出社すると、アスキーマイクロソフトという会社への出向という辞令を受けます。アスキーマイクロソフトは、マイクロソフト製品の販売代理店でした。

アスキーか、マイクロソフトか

1986(昭和61)年、マイクロソフトはアスキーとの代理店契約を破棄し、100パーセント子会社を設立します。
そのとき、アスキーに残るか、マイクロソフトに移籍するか、社員は選択を迫られ、ぼくは古川享さんについて行こうと思い、マイクロソフトを選びました。
日本マイクロソフトは、この時点からスタートしました。

「マキアヴェッリ流」人事の大鉈

日本マイクロソフトの社長になったのは、1991(平成3)年。バブル経済が弾けたタイミングです。
トップに就いた時点で血を流すような人事は一気に手を下し、あとは何もしないことに徹しました。
ダラダラと毎月人事を動かしていたら、社員は戦々恐々として仕事が手につきません。
「一発バーンとやったら、おしまい」というマキアヴェッリ流に徹底的に倣いました。

ビル・ゲイツはアスペルガー?

ビル・ゲイツは天才ですが、アスペルガー症候群かもしれません。曖昧な表現を嫌い、記憶力の塊のような人でした。
会議でキレたら、熱いコーヒーをぶちまけるなんてことも、若い頃にはありました。

2回転目「インスパイア」

日本マイクロソフトの社長になって10年近く経過しました。さすがにマンネリ化してきます。
「飽きた」と言うと、スティーブ・バルマーから米国本社へ異動しないかと誘われました。でも、ぼくはそれが引き金となって退職を決めます。
2000年春、マイクロソフトでの18年を終えて、人生の1回転目が完了します。
同年5月に投資コンサルティング会社「インスパイア」を立ち上げ、44歳からの人生の2回転目が始まりました。

熱中することが生きる力になる

娘が小学生の時に、テストで「信濃川の支流を書け」という問題が出ました。
ぼくでさえ知りませんし、知る必要はありません。知りたくもありません。こういう奇妙さが学校教育全般を覆っているように感じます。
ですので、子どもには学校の勉強はしなくていい、と言いました。
それより、ゲームでもスポーツでも、好きなものに没頭する経験をすることの方が、「熱中することを学ぶ」ことにつながります。それはこれから生きる力、切り拓く力となると考えました。

3回転目「HONZ」

書評サイト・HONZを立ち上げたのは、2011(平成23)年のことです。
27歳でアスキー出版に転職した時には、編集者になりたかった。
それが、初日にアスキーマイクロソフトに出向を命じられて、編集の仕事とはかけ離れたビジネスに関わることになりましたが、やはり、本に関わっていたいという気持ちはずっとあったのです。
人生3回転目の始まりです。

おもしろそうだからやってみる

「おもしろそうだからやってみる」というのは、ビジネスにとって意外と大事です。
マイクロソフトを顧みても、もともとはBASIC言語ソフトやタイピング練習ソフトなどを作っているベンチャーで、OSのMS-DOSを作ろうなんて夢にも思っていなかったはずです。
それがIBMからの発注を受け、慌てて近くのベンチャーから買いつけてマイクロソフトとして発売したところ、OSの雄などと言われてしまったわけ。
ほとんどの若い会社は、最初に作った事業とは関係のないところで大きくなっています。この「プランB」は経営学的に大事です──。
(予告編構成:上田真緒、本編聞き手・構成:三宅玲子、撮影:遠藤素子、デザイン:今村 徹)